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Samsara~愛の輪廻~Ⅳ  作者: 二条順子
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29.真冬の暗雲(3)

深い眠りから覚めた。身体がやけに気だるく熱っぽい。

レッド・グリーン・オレンジ、三色の光が闇の中に点滅している。

リビングルームのカッコー時計が六時を告げた。健介からの電話の後、急に

悪寒に襲われ市販の風邪薬を飲んで横になったのが四時前だから、かれこれ

二時間近くも眠ったことになる。


めぐみはカウチに横たわったまま、窓から洩れてくる隣家のクリスマスライト

をぼんやり眺めていた。感謝祭が終わると待ち構えていたように各家々の軒先、

窓枠、庭の木々にクリスマス・イルミネーションが施される。

夜になるとケープ・コッドの白い家並みは幻想的な光の世界へと変貌する。

めぐみも健介と選んだ小さな樅ノ木に電飾を付け玄関脇の窓際に飾っている。

去年はクリスマスどころではなかった。

あれから一年、生死の境を彷徨った健介は無事に生還し来月からはいよいよ

社会復帰が実現する。大きな試練を乗り越え、互いを信頼し支え合って来た

二人はあの事故以来一層強い絆で結ばれるようになった。


点滅する光の中に愛する夫との明るい未来を確信し、めぐみは再び心地良い

微睡の世界へと誘われて行った。



* * * * * * * 



「じゃ、悪いけど、これをメグに届けてくれる。彼女には昼間、電話して

伝えてあるから」

バーミンガハム夫人から手渡された包みを受け取ると、純一は配達用の

トラックに乗り込んだ。車内に甘酸っぱいバターの香りが漂う。

助手席のケビンはすでに旨そうにマッフィンにぱくついいる。

二人は『リズの家』の玄関に飾られている油絵をクリスマス用のものと交換する

ために来ていた。


「おい、ジュン、ちょっと飛ばし過ぎじゃねぇーか? クリスマス前に

事故るのはごめんだぜ」

「おぅ、わるい!」

慌ててブレーキを踏んだ。

逸る心を抑えきれず、ついスピードを出し過ぎていた。

家の前まで来ると純一の胸は高鳴った。めぐみに逢うのはあの日、絵を見せに

行った日以来になる。

点滅するクリスマス・ツリーのライトが窓から洩れてくる。

少し緊張した面持ちでドアのチャイムを押した。が、数回押しても応答がない。

諦めて帰りかけると玄関のドアがスーと開いた。


「純一、くん… 」

か細い声で言うとめぐみは純一の胸の中に倒れこんだ。

呼吸が乱れ身体が火のように熱い。額には脂汗が滲んでいる。

彼女の只ならぬ様子を察した純一はめぐみを抱きかかえるようにトラックに

乗り込んだ。

「ケブ、ハイアナスのクリニック、ERへ行ってくれ!」

彼女を腕の中にしっかり抱き夜間救急へと急いだ。



「君は、彼女の家族?」

「いえ… 友人、です」

「保険の番号と身分証明書が必要なんだけど、家族の連絡先は?」

「……」

受付の女事務員は無愛想に言うと口籠る純一の顔を眼鏡越しにじろりと睨んだ。

「彼女、以前ここに通院していました。名前は、メグミ・アリガ…」

ここは、あの夏の日にめぐみと再会した病院だった。

「ああ、彼女のことなら私、よく覚えているわ。確か、ボスジェネラルの

ドクター・アリーガの奥さんよ」

別の若い事務員がコンピューターのスクリーンにめぐみのカルテを写し出した。

「じゃ、とにかく、家族と連絡が取れるまで君がここにいてちょうだい、

わかったわね?!」

中年の事務員は命令口調で言った。


ケビンを先に帰らせ待合室で一人になると、純一は急に不安になった。

めぐみが処置室に入ってからの時間がとてつもなく長く感じられる。

腕の中で苦しそうな息遣いをする彼女の顔が頭から離れない。


「君が、メグの友人かい?」

落ち着かない様子で待合室を行ったり来たりしている純一に担当の医師が声を

かけてきた。

「肺炎になりかけているから一応、抗生物質を投与したけど、明け方まで

高熱が続くかもしれないな。ケンと連絡が取れなくてね、携帯にメッセージを

入れておいたから、すっ飛んで来るとは思うが……」

恰幅の良い医師はその話しぶりから健介と顔見知りのようだった。


「僕が、そばに付き添ってます」

「そうか、そうしてもらえると助かるよ。今夜はやたら急患が多くてね。

ERは猫の手も借りたいくらいなんだ。じゃ、何かあったらすぐナース・コール

たのむよ」

早口に言うと中年の医師は慌ただしく立ち去った。



深夜を廻っても救急車のサイレンの音が引っ切りなしに聞こえる。

昼間に積もった雪が路面凍結し事故が多発しているらしい。


「まだ40度ちかくもあるわ。小まめに水分を補給してあげてね」

体温をチェックするとタオルとクラッシュアイスの入ったコップを置いて、

ナースは病室を出て行った。

純一はタオルでめぐみの額の汗をぬぐった。

高熱のため顔から首筋、胸元にかけて白い肌は上気し薄紅色に染まっている。

口元からは荒い息遣いが洩れる。


(頑張れめぐみさん、俺がずうっとそばにいるから……)

めぐみの手をぎゅっと握りしめた。純一の想いが伝わったのか彼女の細い指が

微かに動いた。

「う、うっ…」

高熱に魘され喉の渇きを訴えるようにめぐみの唇が苦し気に動く。

アイスチップをスプーンにのせ口元に運んでみるが、何度やっても上手く口に

入らず零れ落ちる。

純一は意を決したように氷の塊を自分の口に含むとめぐみの唇に押し当てた。

溶けた氷が口の中に伝わり渇いた喉を通って行く。

旨そうにごくりと呑みこむとめぐみの唇は潤いを求め再び動いた。

今度は躊躇うことなく唇を重ね合わせる。

めぐみの体温が身体の隅々まで伝わってくるようで、全身がかーと熱くなった。

人妻であるが故に心に秘め封印してきた切ないが想い、苦しい恋心が堰を切って

今にも溢れそうになる。


感情を振り払うようにめぐみの傍を離れ窓際に立った。

東の空が白みはじめている。このまま朝まで有賀健介が現れないことを

純一は心のどこかで強く望んでいた。











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