24.それぞれの決意(1)
十一月に入ると例年より早くニューイングランド地方はこの冬一番の寒波に
見舞われた。ケープ・コッドの風景はわずか一か月ほどの間に鮮やかな紅色
から一面の銀世界へと一変した。
「ねえ、今年のサンクスギビングどうする?」
めぐみは食後の珈琲を入れながらさっきからずっとパソコンに向かう夫の
背中に話しかけた。
「よーし、予約完了!」
「……」
「今年は、ニューヨーク・プラザの最上階で愛妻と豪華な七面鳥ディナーに
決定!」
「いったいどうしたの? なんの冗談?」
突拍子もない健介の提案にめぐみは手を止めた。
「マジだよ!」
車椅子を勢いよく回転させた。
「俺、仕事決めたよ」
「ほんとに?」
「大学に戻ることにした」
健介はケープへ来て以来ずっと就活を続けていた。
これまでいくつかのオファはあったがどれも決めかねているようだった。
結局、母校の医大の研究室に戻り、臨床医ではなく研究医として血液学の
研究を続けることにした。
「そう、やっと決心がついたのね。よかった…」
めぐみは内心ほっとした。
健介は患者と直に接することができる臨床医に最後まで拘っていたようだが、
病院勤務は時間が不規則で、体力的なことを考えると研究室勤めの方が
身体への負担は少ない。
「それで、仕事をスタートさせる前に一度、研究室を訪ねておきたいんだ。
住むところやなんかの下見を兼ねて。十二月になれば何かと気忙しいし、
感謝祭の日にここを出れば渋滞もそれほど酷くないしね。その夜はNYに
泊まりワシントンでゆっくり週末を過ごして、週明けに大学に顔を出そうと
思ってる。どう?」
「ニューヨークで感謝祭のディナーなんて、なんだがロマンティック…」
「だろう? それにライアンたちにも久しぶりに会えるしな」
「そうね、アンジェラ大きくなったでしょうな。それに、モニカのお腹も!」
「アイツもついに二児の父親か……」
年明けには家族が一人増えるカペーリ家の幸せそうな姿を思い浮かべた。
ワシントンに戻ればまた以前のように親しい付き合いができる。
親や兄弟のいない二人にとってライアンたちは親戚同然の存在だった。
「ケン、実はね… 私もやっとやりたいことが見たかったの。」
おもむろに切り出すと分厚いパンフレットを健介の前に差し出した。
それは、自閉症やダウン症など発達障害を持つ子供たちを対象にした全米各地に
ある教育機関の資料だった。その中に、障害児教育の一環として音楽を通して
ソーシャルスキル・トレーニングを実施しているワシントンの施設が紹介されて
いる。
「最初はボランティアとしてだけど、大学で児童心理学やなんかの単位を
取れば本格的に採用されるらしいの。なんか、これなら私にもできそうな気が
するの…」
控えめに話すめぐみの表情は生き生きとしている。
「君にぴったりの仕事じゃないか。ワシントンに行ったらぜひ見学に行って
みようよ」
資料に目を通しながら健介は自分の事のように喜んでくれた。
「ええ。感謝祭、大雪にならないといいなあ……」
めぐみは窓の外の雪景色に目を遣った。すっかり落葉した裸の木々に白い雪が
舞い降りている。
* * * * * * * *
めぐみの願いが通じたのか、感謝祭の一週間、アメリカ北東部は寒波もなく
冬の晴天に恵まれた。予定通りニューヨークでロマンティックな夜を過ごした
二人はワシントンでの再スタートの準備を整えボストンに戻って来た。
新しい職場に良い感触を得た健介は、抱いていた社会復帰への不安がすっかり
払拭されたようで以前にも増して表情が柔和になった。
めぐみも見学に訪れた障害児の施設でピアノの腕と人柄が気に入られ、ボラン
ティアとして働くことが決まった。
「メグにはさあ、なんか、子供の心を惹きつける不思議な 〝パワー” が
あるんだよな」
「それって、もしかしたら私の精神年齢が子供に限りなく近いってこと?」
「かもな?」
「ひどーい!」
めぐみは唇を尖らせた。
「障害を持つ子供の心って、とってもピュアなのよね……」
ピアノの周りに集まり瞳を輝かせていた子供たちの顔を思い浮かべた。
「うむ、だから君のような綺麗な心を持つ大人に惹かれるのさ。」
「やーだ、貶した後は、お世辞のつもり?」
健介をキッと睨みつけた。
「お世辞なんかじゃないさ。心も身体もこんなにピュアで綺麗な奥さんを
持った俺は、世界一幸せな男だって言いたいだけだよ」
健介はめぐみの躰を抱き寄せた。
ワシントンでの新しい生活に向け何もかもが怖いくらい順調に動き始めている。
健介とのこの平穏な暮らしがいつまでも続くことを願わずにはいられなかった。




