21.燃ゆる秋(1)
車は運河に架かるサガモア・ブリッジに差し掛かった。
この橋を超えるとケープ・コッドに入る。一年ぶりに訪れるケープは木々が
色づきすでに秋の気配を漂わせている。
二年前はじめてこの橋を渡った時、鮮やかに紅葉した木々の美しさに少女の
ような黄色い歓声を上げていためぐみの顔が浮かぶ。
本来ならば、七月末でエクスチェンジ・プログラムを終了しワシントンに
戻るはずだった。あの事故さえなければ下半身の自由を奪われることもなく
エリート医師としての将来が約束されていた。
事故によって失ったものはあまりに大きい。が、得たものがないわけではない。
半年に及ぶリハビリ生活の中でやっとそう思えるようになった。
事故前は医者の目線でしか患者を診ていなかった。自分が患者の立場になって
初めて、同じ目線に立って治療していくことがいかに大切かを体得することが
できた。これからもどんな形にせよ医療に関わって行く仕事を続けたいと望んで
いる。死の淵から生還し絶望の底から這い上がってきた経験は将来必ずプラスに
なると信じている。
この事故を通じて得た最大のもの、それはめぐみとの確かな愛、深い絆だった。
彼女さえ傍に居てくれれば何も恐れるものはない、彼女のためならどんな苦境も
乗り越えられると実感した。
車はコロニアル・スタイルの白い家並みが続くケープの住宅街に入った。
めぐみの待つ『リズの家』まであとわずか、健介は逸る心を抑えつつ
ハンドルを握りしめた。
「ケン?! 今どこ?」
めぐみは朝からずっと待ち構えていた電話に飛びついた。
「窓の外、見てごらん」
運転席の健介の姿を認めると慌てて外へ飛び出した来た。
そして、信じられない光景を目にしたようにその場に立ち尽くした。
「約束したろ、自分で運転して君を迎えに来るって。」
「でも、まさか本当に…」
めぐみの瞳が潤む。
「〝サプライズ!” ってわけさ。さあ、乗って。さっそく ”我が家” へ
行こう!」
「……」
「さあ、何をぐずぐずしてるの。愛する旦那さまのお迎えよ。」
驚いているめぐみの後ろでリズがにこにこしながら声をかけた。
健介からこの計画を事前に知らされていた彼女は助手席のドアを開け
めぐみを中へ促した。
「想像してたよりずうっと、いい家だよ」
『リズの家』から十五分くらいのドライブで新居に着いた。
「車椅子に優しい設計になっているでしょ?」
それは、めぐみが不動産屋に出した第一条件だった。
交通事故で半身不随になった息子のためにリフォームされたこの家はドアの
広さ、バスルームやキッチンなど車椅子生活に対応できるよう随所に機能的
な配慮がなされている。
「こっちに来てみて」
「わぉ、ほんとに海が真ん前だな!」
「まるで私たちのプライベートビーチみたいでしょ?」
「うん、こんなところで綺麗な奥さんと一緒に三ヶ月も暮らせるなんて、
最高だよ!」
健介はいきなりめぐみの躰を引き寄せた。
「もう絶対、淋しい想いはさせないからな」
「ケン……」
二人は別居生活の長い時間を取り戻すかのようにいつまでも熱い抱擁を
交わした。
* * * * * * * *
「このごろ純ちゃん生き生きしてるな。なんか、ええことでもあったん?」
「べつに…」
キャンバスに向かったままつれない返事をした。
だがその表情からは以前のような悲壮感が消え穏やかな笑みさえ浮かべて
いる。直美はそんな純一の変化を見逃さなかった。そしてそれが、めぐみの
ところへ引越しの手伝いに行った日から始まっていることにも気づいていた。
「もしかして、〝綺麗なおねえさん” にキスでもしてもらったん?」
「はあ? あのな、そんなしょうむないこと考える暇があったら、大阪へ
帰る準備でもしたらどうや?」
同居の約束期限は今月末で切れ直美は来月早々には帰国することになって
いる。
「あたし… 今年いっぱいこっちにいることにしたわ」
「はあ?!」
「もうボストンのスクールにも三ヶ月分の授業料払ってきたから、ビザの
心配もいらんし。純ちゃんかてルームメイト探す必要ないから、ちょうど
ええでしょ?」
「そんなん勝手に決めるなよ。もう帰った方がええって」
「あたしと暮らすの、そんなにイヤ?」
直美はいつになくしんみりと言った。
「そんなことは……」
純一は言葉に詰まった。
お節介で煩いところはあるが掃除、洗濯、料理を一切引き受け、彼女が来て
から純一の食生活はぐっと改善された。それに何より部屋代と光熱費を折半
できるのは助かる。だが、このままずるずると居座られても困る・・・
「お願い、純ちゃん! 三ヶ月経ったら今度はホンマにゼッタイ帰るから!」
拝むように手をすり合わせ懇願した。
「…ホンマに、三ヶ月だけやで…」
またもや幼馴染に押し切られる形で彼女との同居延長を承諾した。
こんな風にすぐに妥協してしまうところは父親のDNAを受け継いだのかも
しれない。純一の脳裏に父修二の温和な顔が浮かんだ。




