17.真夏の再会
八月に入りニューイングランド地方は本格的な夏のシーズンを迎えた。
海に突き出た半島はボストンに比べると気温が低く真夏でも凌ぎ易い。
この時期のケープ・コッドは海水浴や避暑を求めるボストニアンたち
他州からの観光客で賑わい、一年中で最も活気に溢れる。
「めぐみさん!」
「……」
「あの、僕です、『リズの家』で会った…」
「ああ、あの時の直美ちゃんの。たしか…純一、くん?」
「はい、そうです!」
青年は嬉しそうに応えた。
めぐみは毎週、血液検査のため家の近くのクリニックに通っている。
ATGの効果が現われるのは投与から少なくても二、三ヶ月かかるため
定期的な検査が必要となる。検査結果は直接ボスジェネラルの健介の同僚で
ある血液内科の主治医に転送される。
「めぐみさん、どこか悪いんですか?」
「いえ、ちょっと検査のため… あなたは?」
「ここのドクターのオフィスが改装されたとかで、新しい絵を届けに」
「そう、暑いのにたいへんね」
彼が画廊でアルバイトをしながら絵を描いている青年だということを思い
出した。
「じゃ、お仕事がんばってね」
めぐみはバス停へ向かおうとした。
「あの、よかったら送ります。ちょうど終わって帰るところだから」
「でも…」
「あの、もし、迷惑じゃなかったら…」
少年のようにはにかむ様子がめぐみの目に微笑ましく映った。
「じゃあ、お言葉にあまえてお願いします」
めぐみはぺこりと頭を下げた。
「そろそろお昼よね、送ってもらうお礼にランチご馳走させて。
この近くにちょっと素敵なレストランがあるの。」
「はい!」
真っ黒に日焼けした顔が綻び白い歯が零れた。
輝くばかりの青年の笑顔がめぐみには眩しかった。
そのレストランはハイアナスの港の近くにあった。
海に浮かぶ船のデッキをイメージした洒落た店内からヨットハーバーが
一望できる。大きなベイウィンドーから入ってくる海風が涼しくて心地よい。
「ここのロブスターロール、大きくて美味しくて、それに安くて有名なのよ」
そう言うとめぐみはくすっと笑った。
少女のような無邪気な笑顔だった。
「じゃ、遠慮なくいただきます!」
純一は大きなロールにかぶりついた。
「うまい!」
「でしょ? よかったら、これもどうぞ」
めぐみは自分のロールを皿の上で半分に切り分け純一の皿にのせてくれた。
こんな風に彼女と過ごす時間、これまで何度も夢に描いた光景だった。
このまま時が止まってほしい、夢なら醒めないでほしいと本気で思った。
「直美ちゃん、元気にしてるのかな? たしか、七月いっぱいで帰国するって
言ってたわよね?」
「あ、いや、なんか… こっちが気に入ったとかで、九月末までいるみたいな
こと言ってました」
純一はしどろもどろになった。
先週、直美はアパートに引っ越してきた。だが、まさか一緒に暮らしている
とは言えない。
「そうなの… こっちに来ると、みんな日本に帰りたくなくなっちゃうのよね…」
独り言のように呟くと窓の外に広がる青い海を見つめた。
ギャラリーで初めて目にした時と同じ憂いのある美しい横顔だった。
純一はふと、彼女も日本を逃れてこの国へ来たのかもしれないと思った。
「今、どんな絵を描いているの?」
「えっと……海、ケープの海を」
口から出まかせを言った。本当はずっと何も描けていない。
一向に認められない自分の絵に対してすっかり自信を失くしていた。
「そう、ギャラリーに展示されるといいわね」
「あの、もし、もしも展示されたら、見に来てくれますか?」
口にしてから、ひどく大胆なことを言ってしまったような気がした。
「ええ、ぜひ」
めぐみは女神のように優しく微笑んだ。
彼女に自分の絵を見せたい見てもらいたい・・・
純一は身体の中になにか熱いものがほとばしるのを感じた。




