16.真夏の出逢い(3)
二週間後、直美は本当に純一のアパートに姿を現した。
彼は画廊近くの安アパートに住んでいる。ルームメイトのケビンと部屋代、
光熱費をシェアし食費などの出費を極力切り詰めた貧乏生活だった。
「へぇー けっこうきれいにしてるやん」
直美は好奇心たっぷりに部屋中を見回した。
「今どんな絵、描いてるの?」
「勝手に、触るなよ」
直美が手にしたスケッチブックを取り上げた。
「そんな怖い顔せんでもええやん。ホンマに押しかけて来たから、怒ってんの?」
純一の顔を覗き込むように見た。
「純ちゃん、好きな人いるの?」
「そんなん、おまえに関係ないやろ」
ぶっきら棒に言うと窓を乱暴に大きく開けた。その弾みで手に持っていた
スケッチブックが床に落ちた。直美はすかさず拾い上げると勝手にページを
捲りはじめる。
「うわっ、綺麗な人! この人、誰かに似てる…」
「返せ!」
純一はひったくるようにスケッチブックを奪い取った。
ギャラリーで初めて見かけた日以来スケッチブックの中は彼女のデッサンで
埋め尽くされている。
「この前、言ったこと、嘘やないよ…」
窓際に立つとバッグから煙草を取り出し慣れて手つきで火をつけた。
「…美大やめてアメリカに行くって聞いた時、すっごいショックやった。
なんか、あたしの手の届かへん遠くへ行ってしもて、もう二度と逢えへん
ような気がして… せやから連休に逢えた時、ホンマ嬉しかった。
会社、辞めたって言ったけど、ホンマは辞めさせられたん。上司との不倫が
バレて… 二年も続いてたのに妊娠したってわかったら中絶の費用と慰謝料
銀行振り込みで送ってきて、さっさと奥さんのとこへ戻って行った…」
純一に背を向けたまま直美は窓の外に向かってふーと大きく煙を吐いた。
その後姿に純一と一緒に無邪気に遊んでいた頃の幼馴染の名残はない。
「そのこと、おっちゃんやおばちゃん知ってるんか?」
「まさか! うちの親、ああ見えて凄い保守的なとこあるんよ。お父ちゃんなんか
女は嫁に行くまで処女を守らなあかん、なーんて時代がかったこと平気で口に
するし。自分の娘が妻子ある男と不倫してたなんて知ったら、ショックで倒れて
寝込んでしまうわ」
純一は確かにその通りだと思った。
直美は父親が四十を過ぎてからできた子供だった。眼の中に入れても痛くないほど
可愛い一人娘が会社の上司と不倫の挙句、妊娠、中絶したなんてわかったら、
ただでは済まないだろう。一世代若い父の修二でさえ姉の “デキ婚” に相当
ショックを受けていた事を純一はよく覚えている。
「なーんか何もかもイヤになって、家から遠く離れて暫く一人になりたかったん。
アメリカはええわ。純ちゃんが日本に帰って来たない気持ち、分かるような気が
するわ…。」
直美は窓の外の遠くの空に目を遣った。
彼女の両親は長男夫婦と理髪店を営んでいる。長男の結婚と同時に家を建てかえ、
一階を店舗、二階を両親と直美、三回を長男一家の住居にした。
会社を辞めて家に居づらくなった直美は、語学留学というもっともらしい理由を
つけてアメリカに逃げ出してきた。
「なあ、純ちゃん… スクール終わったら秋まで、あたしここにおいて
くれへん?」
「はあ?!」
「秋のセメスターまで続けるお金はあるんよ。三年間のOL生活で貯めた分と、
たいした額やないけど慰謝料も入ったし… けど、ボストンよりここの方が好き。
海のそばにいたらなんか、心も身体も癒されていくような気がするんよ。
お願い、どうしてもこのまま日本へ帰る気になれへんねん。」
両手をすり合わせ拝むような恰好をした。
突然の直美の言葉に驚いたが、彼女の気持ちが解らなくはなかった。
美大をやめた直後、純一も家でぶらぶらしていた時期があった。
末は画伯と期待されていたにもかかわらず、わずか半年で中退した “神童” に
対する親戚や近所の冷たく好奇な目、そんな息子を庇い腫れ物にでも触るように
接する家族の気遣い優しさが堪らなかった。あのころの自分がそうであったように
直美も、親や兄弟や友達も誰もいない知らない土地で一人になりたいのだろう。
「やっぱり、あかん?」
押し黙ってしまった純一の顔色を窺うように聞いた。
「あかん、こともないけど…」
暫く考えてからようやく口を開いた。
「ホンマ!? 部屋代も光熱費も食費もちゃんと払うから。あたし、こう見えても
けっこう料理とか得意やねんよ。毎日美味しいもん食べさせたげるねっ!」
直美の顔がぱっと輝くといつもの彼女に戻って早口に捲し立てた。
「けど、ホンマに二か月だけやで。夏が終わったらまっすぐ大阪へ帰れよ」
「うん、約束する」
直美との “共同生活” を受け入れる気になったのは単に、不倫の破局で傷心の
幼馴染への同情だけではなかった。純一自身、切羽詰まった事情を抱えている。
エリカと付き合い始めたケビンは彼女のところへ入り浸りでほとんどアパートに
帰ってこない。どうやら二人は同棲するつもりらしい。
ケビンが出て行くことになれば新しいルームシェアの相手を探さない限り、純一
一人では経済的にやっていけない。このプロビンス・タウンでゲイ以外の同性の
ルームメイトを見つけるのは容易な事ではない。その意味で直美のとの同居は
“渡りに船” だった。
こうして純一と直美は、二か月という期間限定の共同生活をすることになった。




