15.真夏の出逢い(2)
純一は夢の中にいるような気がした。
目の前で優しく微笑み語りかけてくるのは、まぎれもなく “彼女” だ。
同じ空間に居て同じ空気を吸っていることがまだ信じられない。
「じゃあ、二人は幼馴染なのね…」
「そうなんです、生まれた時からの。小さい頃はお風呂屋さんでいっしょに
泳いだりした仲なんですよ…。」
緊張のあまり上手く言葉の出てこない純一に代わって、直美が饒舌に彼女との
会話を楽しんでいる。
「あの… めぐみさんは、ピアノだけじゃなくて、絵もやるんですか?」
純一はやっとの思いで彼女に質問した。
「いいえ、絵心なんて全然ないんだけど、昔から絵画を見るのはとても好き
でした。純一くんは、どんな絵を描くの?」
「人物画も風景画も、別にジャンルは決まってなくて…」
はにかむように応えた。
「純ちゃんは小さい時から絵がすっごい上手で、いろんな賞もらったんですよ。
似顔絵なんか、めっちゃ得意で…」
直美がまた二人の会話に割って入ってきた。
「…近所の誰もが、将来は絶対有名な画伯になるやろって…」
「直美、ちょっと喋り過ぎやぞ!」
「ええやんか、ホンマのことなんやから…」
直美は唇を尖らせた。
二人の様子を黙ってみていためぐみが俯き加減にくすっと笑った。
綺麗な笑顔だと純一は思った。
「ごめんなさい。二人のやりとりがあまり軽妙だったから、つい…」
「まるで漫才みたいやって思ったんでしょ? 関西人が二人寄ると、自然に
“ボケ” と “ツッコミ” ができてしまうから… あっ、わたしもう一杯、
いただこうかな」
直美は急に立ち上がると、入れたての珈琲を運んできたバーミンガハム夫人の
ところへ駆け寄った。
まるで機関銃のような “大阪のオバちゃん” 級の幼馴染の言動から解放され、
純一はほっとした。
「あの… めぐみさんは、印象派の絵が好きなんですか?」
リビングの壁にかかる50号の油絵に目を遣った。
「そうねえ、どちらかと言えばそうかも。ぱぁーと光り輝くような明るい絵が
好きだから。画廊でこの絵を見た時、ボストン美術館にある『静かな朝』が
すぐ頭に浮かんだの」
めぐみも壁の絵を見上げた。
ベンソンの絵は自分も好きである。彼女と同じ感性を共有しているような気が
して純一はちょっと嬉しくなった。
「純ちゃん、もうそろそろ行かな間に合わへんわ」
他のゲストと賑やかに談笑していた直美が腕時計を見ながら戻ってきた。
彼女にせがまれて昼間、映画のチケットを買っていたのをすっかり忘れていた。
映画なんかより純一はこのままずっとめぐみとの会話を続けたかった。
映画館を出た純一の車は再び『リズの家』の前に停まった。
窓から灯りが洩れピアノの音が微かに聴こえる。
純一は胸の高鳴りを覚えた。
「純ちゃん、きょうは一日中付き合ってくれてありがとう」
「いや、こっちこそ。ホンマ楽しかった」
彼女のおかげでやっとめぐみに逢うことができた純一は心からそう思った。
「また、逢いに来てもええ? それとも、迷惑?」
直美は助手席に座ったまま純一を見ないで言った。
「……」
「あたし… 昔からずっと、純ちゃんのこと好きやった」
直美はいきなり純一に抱きつき唇を押し付けた。
「アメリカ式の別れの挨拶や。ほな、今度は純ちゃんのアパートに逢いに
行くわ」
面喰っている純一にそう言い残し直美は『リズの家』に向かって走り去った。




