13.不倫の代償(2)
日曜の朝、珍しく勇樹の部屋から杏子の声がした。
中を覗くと息子の相手をしている妻の姿があった。床には英才教育用の玩具や
絵本が所狭しと並べられている。耕平はそんな杏子の様子を訝しげに眺めて
いたが、やっと母性本能に目覚め我が子への愛情を示し始めたのかもしれない、
と満更でもなかった。
「何度言ったらわかるの! 次はそれじゃなくて、これでしょ!」
耕平が自室に引き揚げ暫くすると、子供部屋からヒステリックな杏子の声と
勇樹の泣き叫ぶ声が響いた。
やれやれと言うように子供部屋に行くと、床の上に並べられていた教材が
散乱し、杏子が息子を叱りつけ今にも手をあげようとしていた。
「やめるんだ、杏子!」
部屋の中に飛び込み、振り上げた妻の手を制した。
「この子、いくら言ってもわかんないのよ。よその子は二歳になる前から
この教材を使いこなしているっていうのに…」
新しいクライアントの宣伝企画のため幼児向けの教材のモニターを社員が
引き受けることになり、勇樹にもやらせようとしていた。
「勇樹、ほら、もう一度やってみなさい!」
「やめろ、勇樹には無理だ」
「少しは厳しくしないと、言葉だって遅れてるし…」
息子の手を取り無理やり本のページを開かせようとする。
「勇樹は、病気なんだ…」
耕平は怯えるように泣く息子を優しく抱き上げた。
「病気?」
「ああ、自閉症って聞いたことがあるだろ……。」
自ら作成した自閉症に関する資料を杏子に見せ、できるだけ解かり易く
説明した。
話を聞きながら資料に目を通していた杏子は急に立ち上がると、グラスに
ブランデーを注ぎ一気に飲み干した。そして落ち着かない様子で立て続けに
何本も煙草をふかした。
「嘘よ、勇樹が障害児だなんて、そんなの絶対嘘よ… ただ、少し遅れて
いるだけよ、そうでしょ? そうだと言ってよ!」
ヒステリックに叫ぶと二杯目をグラスに注いだ。
「酒に逃げたって何も解決しないよ…」
耕平は穏やかな口調で諭すように言うと杏子からグラスを取り上げた。
「…この障害はまず、俺たち親がしっかりしないとダメなんだ。事実を
受け入れ前向きにならないと何も始まらない。周囲や家族の理解と愛情、
適切な療育を受けさせれば勇樹は将来、社会の中で十分やっていける。
そりゃ、健常児を育てるように簡単にはいかない。一つの事を覚えさせる
には何十倍もの時間、忍耐、努力が必要になるだろう。けど、一つの事を
達成できた時の喜びも何十倍、何百倍にもなって返ってくる」
泣き疲れて眠ってしまった我が子を愛惜しむように抱きしめた。
「私には、絶対無理。障害児を育てるなんて… きっと罰が当たったのよ」
杏子は放心したようにぽつりと言った。
「そんな言い方はよせよ」
「耕平、あなただって心の底ではそう思ってるんでしょ?!
正直に言いなさいよ。愛してもいない女との不倫の挙句にできた子供だって、
最愛の妻との生活を奪った憎い女の子供だって! 子供なんか…
子供なんか産むんじゃなかったわ!!」
杏子はわっーと声を上げて泣き伏した。
予想していたこととは言え、やはり杏子には我が子の障害を受容し共に
生きていくことなど不可能かもしれない。
妊娠を告げられた時、正直、おぞましいとさえ思った。中絶してくれる事を
望まなかったと言えば嘘になる。たが、生まれてきた子には何の罪もない。
罪があるのは不倫という人の道に外れた行為をし愛する女を苦しめ傷つけた
自分自身である。その代償として亜希を失う結果になったことも当然の
報いだと思っている。だが杏子が言うように、勇樹にもたらされた障害が
自らが犯した罪に対する神から与えられた罰だとすれば、あまりにも
我が子が不憫すぎる。
父親としてできる事は、将来、勇樹の社会生活が可能になるように障害を
共に背負い愛情を持って育ててやる事しかない。それは同時に、この世に
生を享けることのなかった二人の息子たち、そして幼くして逝った亮への
償いにもなる。
(パパが守ってやるからな。いっしょに頑張ろうな…)
耕平は腕の中で無心に眠る息子に向かって囁いた。




