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Samsara~愛の輪廻~Ⅳ  作者: 二条順子
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11.愛の試練(2)

沢村からのメールを読み終えた耕平は煙草に火をつけた。そして、机の隅に

置かれているオルゴールの蓋を開けた。甘美なメロディーが流れる。


ーー「身体、大事にしろよ」

  「ありがと。でも、私は大丈夫。耕平さんの方こそ煙草の量、減らさないと

   ダメよ。子供たちのためにいつまでも健康でいてあげないとね」

  「そうだな…」--


別れ際に交わした会話が頭を過ぎり、耕平は手にした煙草を揉み消した。

抱いていた不安が的中した。亜希のあまりに明るい表情や態度が少し気には

かかっていたが、まさか再発していたとは・・・

自分の事はいつも二の次で人の事ばかり思い遣る。周りに心配かけまいと、

辛い時に努めて明るく振る舞う彼女の性格を熟知しているはずなのに

今回もまた見抜いてやれなかった。

極度の貧血と悪阻で苦しむ妻の身体の不調に気づいてやれず流産させてしまった、

あの苦い記憶がよみがえる。十五週の胎児はすでに人間の形を成している。

画像診断の写真を握りしめ悲しみに打ちひしがれる亜希の姿を耕平は一生、

忘れることができない。あの時受けた彼女の精神的ショック肉体的ダメージは

想像をはるかに超えるものだった。

もし、あの時、あの子が無事に生まれていたなら・・・

耕平は今もなお自らを責め続けている。



「耕平、ちょっと広辞苑、借りるわよ」

杏子がノックもしないでいきなり書斎に入ってきた。

「へえ~ オルゴールなんて、らしくないもの持ってるわね」

冷やかすようにオルゴールを取り上げた。

「勝手に触るなよ!」

「そんなに怖い顔しなくてもいいじゃない。わかった、さては、これも

あのピンクのクマ同様、『亜希ママ』との大切な想い出の品なんだ…

どうも失礼しました」

辞書を抱えるとそそくさと部屋を出て行った。


このオルゴールは亜希と入籍したイブの夜、彼女に贈ったものだった。

照れ屋の耕平はロマンティックなプロポーズの言葉の代わりに、この小さな

箱の中に彼の想いのすべてを込めた。

入籍する前、二人は軽井沢のホテル内にオープンしたレストランに行った。

そこで、結婚三十周年を記念して日本を旅する初老の英国人夫婦とテーブルが

隣り合わせになった。その日、夫は妻のために想い出の曲の演奏をリクエスト

しておいたが、ホテル側の不手際でピアノ演奏者が時間に間に合わなかった。

がっかりする夫と陳謝する支配人の会話を耳にした耕平は亜希を促した。

そして、夫妻の想い出の曲エルガーの『朝の挨拶』の生演奏が実現し、二人は

夫妻とホテル関係者からとても感謝された。

『エルガーはね、大変な愛妻家で知られていたの。この曲は、彼が生涯愛し

続けた最愛の妻に捧げた曲なのよ。あなたの素敵な奥さまと生れてくる

赤ちゃんに神の祝福と御加護ありますように!』

夫の粋な計らいに感激し亜希のピアノ演奏に聴き入る夫人が、耕平の耳元で

囁いた言葉だった。


あの時、亜希と結婚し生まれてくる子供の父親になる決意を新たにした。

そして、何があっても二人を幸せにすると心に誓った。

そのわずか三年後、書斎の机の隅にこのオルゴールを残し亜希は長野の

マンションを出て行った。

小さな溜息を吐くと耕平はオルゴールの蓋を静かに閉めた。



* * * * * * * * 



再発から一か月が経過した。

ATGの再投与が終わり、副作用の苦しみから解放されためぐみは徐々に元気を

取り戻し体力も順調に回復している。後は、ATGの効果が現れるのを待つしか

ない。健介は何もかも吹っ切れたようにADLの訓練をこなし、完了まで三週間

余りを残すのみとなった。

明日からめぐみはケープ・コッドの『リズの家』へ行き、静養しながら健介の

退院、社会復帰を待つことにしている。


「うわぁ、綺麗!」

「ここ、もしかしたら最高のスポットかもな?」

「そうね…」

二人はボスジェネラルの屋上からチャールズリバーに上がる独立記念日の花火を

眺めていた。

「去年は、ナイトシフトで見損ねちゃったものね」

「そうだったな。その前は… ライアンの実家で酔いつぶれて花火どころじゃ

なかったな」

「そう、そう…」

親戚一同が集結するカペーリ家恒例の独立記念日バーベキューのことを思い

出した。健介についてボストンに来ることを決めた日でもあった。

「ライアンたちも、花火見てるかな? ケンが『眠れる森の美男子』だった時、

ワシントンから二度もお見舞いに来てくれたのよ」

「聞いたよ。『眠れる森の美男子』だなんて、まったくアイツらしいよ。

あ、そうだ、この間メールが来てさ、来年早々には、二人目が…」

と言いかけて、健介は口を噤んだ。

「そう、アンジェラもいよいよお姉ちゃんになるんだ…」

「メグ… ゴメン、君の気持ちも考えないで、子供がいないから…なんて、つい

口走ってしまって」

「ううん、私も過剰反応しちゃって… でも正直言うと、やっぱちょっと、

堪えたかな…」

めぐみは淋しそうに笑った。


「私ね、まだ具体的にはわからないんだけど、元気になったら、いつも子供たちと関わっているような仕事がしてみたいと思ってるの」

夜空に舞い上がる花火のように瞳を輝かせた。

生来子供好きのめぐみは、どこへ行っても子供たちから慕われる。

小児科病棟の子供たち、コンサートに招待された障害児たち、彼らはみな彼女の

周りに集まってくる。世の中には自分の子供を平気で虐待したり、手にかける

母親がいるというのに、彼女のように子供を愛する女が我が子を抱く事が出来

ないなんて不公平過ぎる。


「きっと、メグにピッタリの仕事が見つかるよ。けど、それにはまず健康だぞ。

『リズの家』では絶対に無理をしないこと、いいね!」

「イエス、サー!」

お道化て敬礼する真似をした。

「よーし、俺もがんばって、ケープまで自分で運転して君を迎えに行くぞ!」

「うん、待ってるね。でも、がんばり過ぎて無茶しないでよ…」

健介の両膝をそっと撫でるとめぐみは甘えるように顔を埋めた。

「…約束して、ケン。これからは、ずうっと私のそばにいるって」

「ああ、ずうっと、ずうっと一緒だよ」

両腕でしっかりとめぐみの躰を抱きしめた。


一つの試練を乗り越えこれからの人生を伴に生きていく決意を固めた二人は、

ぴったりと寄り添いボストンの夏の夜空を彩る光の祭典を眺めていた。







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