01.光る海(1)
愛の輪廻ーー 命に限りがあるように永遠に続く愛は存在しないかもしれないけれど、死と再生を繰り返す不滅の愛は在ると信じたい……。
~めぐみ、その愛 Ⅱ~
純一は、さっきからずっと一人の女に見惚れていた。
ギャラリーの片隅に展示された絵の前に佇み、なにか物悲しそうな微笑みを
浮かべている。竹下夢二の美人画にでも出てくるような、どこか儚げで憂いの
ある横顔がとても印象的である。
均整の取れた華奢な姿態、少女のような透明感のある瑞々しい肌、栗色の髪を
無造作にシニョンにまとめ上げている。うなじにかかる後れ毛を細長い綺麗な
指でいじる仕草に、ほのかな色香が漂う・・・
生娘の可憐さと大人の女の魅力をあわせ持つような不思議な美しさに、純一は
思わずふーと小さな溜息を洩らした。
「ヘイ、ジュン! ちょっと奥を手伝ってくれないか?」
同じアルバイトのケビンの声ではっと我に返った。
「ああ、すぐ行くよ」
純一は急いで裏へ回りトラックの荷台から商品を降ろしはじめた。
この画廊で働きだして半年になる。
四年暮らしたニューヨークに見切りをつけ、ケープ・コッドの突端にある港町、
プロビンス・タウンにまで流れて来た。ここでのバイト、深夜のレストランでの
バスボーイ、そして週末、大道芸人たちに混じって観光客相手の似顔絵書きが
主な収入源である。芸術家とゲイが集まるこの小さな町が、今ではけっこう気に
入っている。
仁科純一は京都の美大をわずか半年で中退しニューヨークに渡った。
幼い頃から何にでも興味を示す感受性豊かな少年だった。絵を描くことが好きで、
その自由奔放な描写が評価され、小学校の時にはコンクールで賞を取ったことも
ある。本人はもとより親も息子の才能を信じ、家族の期待を一身に受けて美大に
入ったものの、純一くらいの才能の持ち主は周りにごろごろといた。
それまで絵画教室に通ったこともなく、全くの独学で基礎的なデッサンさえも
まともにできない彼にとって、大学生活は挫折と屈辱の毎日でしかなかった。
それでも絵を諦めきれず、自分の才能とアメリカン・ドリームを信じ意気揚々と
ニューヨークに渡った。だが、四年経っても才能を開花させるどころか、日本に
いた時よりも遥かに厳しい現実に直面せざるを得ない状況に追い込まれていた。
純一は、京都と大阪のちょうど中間に位置する大阪府下のT市で生まれ育った。
仁科家はどこにでもあるようなごく普通の平凡な家庭だった。
父親は二流私大卒のサラリーマン、母親は近所のスーパーでパートをしながら
家計を助け二人の子供を育て上げた。五歳年上の姉は地元の短大を出るとすぐ、
高校時代から付き合っていた相手と、いわゆる “デキ婚” をし実家の近くで
幸せに暮らしている。
純一は自分の両親のことをこよなく愛している。二人とも明るい関西人である。
父の修二は地元では知られた酒屋の次男坊として生まれた。性格はいたって
温厚、誰からも好かれ子供や妻に手をあげたことなど一度もなかった。父親に
叱られた記憶はまるでない。『もう、ええやないか』が父の口癖で、姉と二人
このやんわりした関西弁の言い回しで、何度口うるさい母から救われたことか。
母の幸子は、父曰く、口から先に生まれてきたような、典型的な “大阪の
オバちゃん” である。が、本人は決してそれを認めようとはしない。
母の実家は京都府下にある。と言っても父の生家とたった二駅しか離れていない。
同じ関西人と言っても、大阪と京都では微妙にニュアンスが違ってくる。
母は何かにつけ『がさつな浪花女とおしとやかな京女を一緒にしたらアカンえー』
と、ことさら京都生まれの “京女”であることを強調する。が、父方の伯母に
言わせれば『京都の女は大人しそうな顔をして、お腹ん中は真っ黒やさかい、
気ぃつけなアカンでー』と、なる。
両親はぎりぎりの家計の中から毎月の送金を絶やすことなく、息子の成功を信じ
純一を支え続けてくれた。だが二年を過ぎたころから、先の見えないアメリカ
生活に焦りと苛立ちが募り、そんな親の気持ちさえ疎ましく感じるようになった。
自分の不甲斐なさに嫌気がさし、純一の方から仕送りを断り連絡を絶った。
今では年に一度、正月に入れる短い電話だけで親は辛うじて息子の生存を確認して
いる。『なあ、純、そんなに頑張らんでも、もう帰ってきたらええやないか…』
今年の元日、受話器を通して聞こえてきた柔らかな言葉の響きが純一の耳に纏わり
ついている。
「来月はマイクだとよ」
頑丈な梱包を乱暴に紐解きながらケビンが吐き捨てるように言った。
「そっか…」
純一はぽつりと応えた。
この画廊のオーナーは、ケープ・コッド在住の画家の卵たちが持ち込んで来る
絵の中から自らが選んだ一点を毎月ギャラリーに展示してくれる。なかなか
作品の発表の機会が与えられない無名の絵描きにとって、絶好のチャンスである。
実際、それを足がかりに世に出たアーティストも少なくない。純一もこの半年の
間に何枚かの自信作を持ち込んでいる。
「くそっ! やってらんねぇーよな… 昼飯にでもすっか」
自分の絵が一向に選ばれないことへの苛立ちを露わにしたケビンは、やりかけの
仕事を放り出したまま、そそくさと出て行った。彼も純一と同様、見果てぬ夢を
追い続ける‘卵’の一人である。
純一は淡い期待を抱きつつ急いで店の中に戻った。が、やはり例の女の姿は
消えていた。彼女がじっと見つめていた絵は今月選ばれた‘卵’の作品だった。
『光る海』のタイトルがついたその絵は、水平線に沈む直前の太陽が大海原を
黄金色に染めている6号の油絵である。ありふれた構図だが、なぜが純一も
その絵が好きだった。子供の頃、毎年夏休みに家族と行った琵琶湖に落ちる
夕日を思い起こさせる。純一にとって海と言えば琵琶湖だった。
小学校の臨海学校で初めて行った日本海の水のしょっぱさが信じられなかった。
大人になった今でも潮水は苦手で、海よりも淡水の湖や川の方が好きだ。
(彼女は、いったいどこの海を見ていたのだろう…)
純一は『光る海』を見ながら、もう一度どうしても彼女に逢いたいと思った。