剣士との別れ。少年の錬金術。
僕とアグニスが買い物にライアの町に向かった日から、二週間が過ぎた。
三日程前から、吟遊詩人のアーガスは、僕らがそうだった様に、唄を楽しみに待つ人々が居る次の町に向かう為、荷物を纏めていた。
それはアーガスの護衛依頼をしているアグニスがこの村を離れるという意味も含んでいた。
僕達は今、二人に別れを告げる為、教会の前でアグニスさん達が来るのを待っている。
年少組の子供達の中には、別れが寂しく泣いている子もいる。
僕も込み上げてくる感情を抑えるのに必死だった。
アグニスと僕達が過ごした時間は、一月にすら届かない、半月超程という短い間だったけど、アグニスはすっかり孤児院に馴染んでいた。
僕もアグニスさんがずっとこのまま孤児院に居てくれるのかと思ってしまう程に、居るのが当たり前になっていた。
アーガスの荷造りを見て、僕はその勘違いに気付かされたのだ。
途端に、別れが寂しくなり、僕はアグニスさんともっと過ごしたいという気持ちからこの三日間は金魚の糞の如くべったりと張り付くように行動していた。
エリィさんに邪魔になるからと注意されたが、アグニスさんは孤児院に居るとき、特にやる事が無いようであったから、僕はエリィの言う事を余り気にしていなかった。
本人も、偶に森に動物を狩りに行くとき以外は積極的に僕に話しかけてくれていたし、何よりも僕達二人には共通の話題が出来たのだから、それは自然とも言えた。
僕が錬金術を発動出来ないという相談をアグニスさんに持ちかけたのが発端だった。出来る範囲で発動してみろと言われ、僕は言われた通りに意識を集中したのだが、やはり成功はしなかった。
錬金術は型にはまった想像力では発動出来ない。と、アグニスさんは言う。
僕の持つ本を片手に、その言葉に含まれた意味をざっくりと説明してくれた。
錬金術は、レシピに沿って行う物ではない。
僕が持つ『大辞典』は、過去の錬金術師が己の作った物を忘れないように記したメモに過ぎない、と。
レシピ道理でしか発動出来ない錬金術師は半人前でもある、とアグニスは補足を入れた。
そして、一人前の錬金術師は己自身で考えて、アイデアを捻りだし、一から作る者だ、と。
そして、極めた物は既存のレシピをアレンジして、既存のレシピの性能を維持しながらも、それに別の効果を加える事も出来る、と。
それは素材が同じでも、術者によって、頭の中でイメージする物が違うから出来る事であり、既存の本等から知識を得ただけの、型通りの錬金術師では出来ないともアグニスは言った。
僕はその話を聞いて、自分もそうなってしまうのではないかと、怖くなった。
アグニスは僕の肩に手を置いて、大丈夫だ。と励ましてくれたのだけど、何を根拠に大丈夫という言葉が出て来たのだろう。
そして、そんな事を考えている内に、アーガスとアグニスが孤児院から出て来た。
遂に、お別れの時間がやってきたのだ。
外に姿を現したアグニスはエリィに歩み寄り、何やら話している。
僕とエリィは少し離れていた場所に居たので初めの方の会話を聞き取る事が出来なかった。
「――ええ、大丈夫です。子供達も喜びます」
「あぁ、そう言ってもらえて良かったよ。俺もこの場所は気に入ってる。自分の故郷に似た雰囲気だしな」
アグニスは子供達が集まっている方を見て笑みを作った。
普段は鋭いそれが、優しく細くなる。
「世話になったな」
「ええ、お気をつけて」
エリィがアグニスにそう言って、餞別です、と焼いたばかりでまだ暖かい黒小麦のパンと、羊肉の薫製をアグニスに渡す。
アグニスはそれを受け取り、エリィに一言礼を言ってから、アーガスが待つ場所へと歩いて行った。
「ほら、アグニスさん、そろそろ行きますよ」
「あぁ、そうしよう」
二人は孤児院の皆に一度手を振って、村を離れんと歩んで行く。
燃える様な赤髪をした大きな背中がみるみる小さくなっていく。
僕はそれを、黙って見ている事しか出来なかった。
次に会うときは立派な錬金術師になると、僕はアグニスと約束していた。
だからお別れの言葉は言わないでおく。
また再び会える事を信じて、僕は二人が見えなくなるまでその姿を追い続ける。
角を曲がれば、見えなくなるという時に、アグニスが僕達の方を振り向いた。
『またな』
遠くて良く見えないのに、アグニスがそう言ったのだと、不思議と確信を持てた。
アグニスの言葉に気付いた途端、今まで我慢してた感情が溢れ出す。
年少組の子供達と同じように、僕も泣いていた。
必死に我慢してた分が一気に押し寄せた。
また会えるよね、アグニスさん。
またお話聞かせてよ、アグニスさん。
僕に沢山の事を教えてくれてありがとう、アグニスさん。
あぁ、僕も貴方に着いて行けたなら――。
そこで僕の視界が突然暗くなる。
柔らかくて暖かいものが僕を包んだ。
「……エリィ」
「きっとまたすぐに会えますよ」
「……うん」
僕だけが寂しいんじゃないんだ。
きっとエリィも寂しいんだろうな。
僕が泣き止むまで、エリィは抱きしめ続けてくれた。
優しい暖かさと、太陽の香りがした。
――
アグニスとの別れから早一月が過ぎた。
季節は冬のままであったが、アグニス達が居た頃よりも少し暖かくなってきている。 エリィの誕生日は丁度、今日の日付から一月後まで迫っていた。
そのエリィは春生まれであるから、一月後には今は未だ残る残寒も無くなり、エリィの誕生日が来る日には春が訪れて、暖かくなっている事だろう。
季節の変わり目である今は、体調を崩し易い。
最近、僕は耳鳴りが酷くなる時が偶にある。
頭痛は無いのだけど、雨の日や風が強い日、そして雪が降ると必ず耳鳴りが起こる。
正確には耳鳴りとは言えないのかもしれない。
耳鳴りというよりは、『何か』が僕に囁いているような、そんな錯覚が近頃頻繁に起きるようになっていたのだ。
小さい頃からそういった事は確かに有ったのだけど、此処最近、頻度が非常に高くなっている。
症状をエリィに話した所、すぐに治療院に連れて行かれ、診察を受けたのだが、身体は健康体その物であるとの結果だった。
原因不明の耳鳴りは、未だ治る兆しが見えないのだった。
特に生活に支障は及ばない程度であるから、僕もいずれは治るだろうと軽く考えている。
治療院に視てもらった事を知った、年少組の子供達が心配そうにしていて、女の子なんかは、大事な筈である、貴重なお菓子の飴玉をくれたりと、僕は皆に心配を掛けてしまっているのだった。
心配させてしまったせめてものお詫びに、僕は今日、年少組の子供達と遊ぶ事にしていた。
外は雪が降り、遊ぶ事が出来ないので室内で子供達と遊ぶ。
おままごと、人形遊び、そして今は勇者ごっこだ。
「アルお兄ちゃん、こ、こわれちゃったー」
ごっこ遊びで使っていた棒が折れてしまった。
この子は最近大きくなってきて、力が強くなっていた。
それに耐えきれなくなってしまったんだろう。
「泣かない泣かない。見してごらん」
幾度と無い修復の跡が既に有る折れた棒を僕は男の子から受け取る。
あぁ、これはもうダメだ。
この棒の寿命は、この子の一振りで尽きてしまったようだった。
「うーん。困ったなぁ」
「アル兄ちゃんでも直せない……?」
今にも泣きそうなのを堪えて僕に言う男の子。
うぅ、そんな目で見ないでくれ……。
僕はその棒を何とか直そうと試みたが、見事に真っ二つになってしまった棒は孤児院にある道具では直せそうに無い。
むしろ、直す為の道具を買うのならば、新しい物を調達した方が早いし、安く済む。
「んー、これはもう無理かな。明日、新しい棒を探しに行こうか」
僕がそう言うと、男の子は遂に泣き出してしまった。
わんわん、とみるみる大泣きへと変化していくそれに、僕はおろおろと慌ててしまう。
「やぁだー、この棒じゃないとイヤだぁぁぁ」
「どうしてそこまで、その棒にこだわるの?」
僕は不思議に思い、男の子に聞く。
尚も泣いたまま嗚咽混じりに男の子が言った。
「だッ、だって、これぇッ。初めてアルお兄ちゃんがッ、ぼくに作ってくれた、たいせつなものだからぁッ」
思い出した。これはこの男の子の誕生日に僕が教会の裏にある林から拾った太い木の枝を削って作ったものだ。
確か三年も前の事だった筈だけど、壊れても壊れても直して使ってくれていたのか。
改めて棒を見ると、幾度となくこの子が直した跡が確認出来る。
至る所にひびが入っているのを、樹液で無理矢理固められている。
「これは、君にとって大事なものなんだね?」
それを見れば一目で分かる事だ。
僕があげた物をこの子は大切に使ってくれた。
壊れそうになっても、何度でも直してくれた。
「ぼ、ぼくの、たからものなんだ」
「――そっか。わかったよ」
この棒を直す事が出来る方法を僕は知っている。
「ちょっと、待っててね」
僕は折れた棒を持って、雪が降る外へ出た。
必要な素材は一つ。
それはすぐに見つかった。何の変哲もない木の枝だ。
折れた棒と、木の枝。
そして、男の子が修復に使った樹液。
これだけ揃っていれば、素材は十分だ。
後は僕が錬金術を発動出来るかに掛かっている。
でも、何故だか失敗するとは思えなかった。
「って、なんだこれ!」
木の枝と、折れた棒が僅かに光り出した。
しかし、それはすぐに収まる。
代わりに例の耳鳴りが僕を襲う。
今までで一番のそれは、遂に頭痛を引き起こす。
次第に増していくそれに、遂に僕は立っていられなくなる。
――くすくす。
笑い声が聴こえた気がした。
痛みで瞑っていた目を恐る恐る開けてみる。
いつの間にか痛みは微塵も感じなくなっている。
――くすくす。
また笑い声だ。
僕は、気味が悪くなり、倒れた際に落としてしまった折れた棒と木の枝を拾おうとして、信じられないものを目にする。
それは小さい子供だった。
言葉の通り『小さい』子供なのだ。
人間の拳程の大きさの小人が、折れた棒と、木の枝にそれぞれ一人ずつ。
――くすくす。
「えっと、君達は一体?」
僕はパニックになりながらも、その一言を絞り出すことができた。
しかし、小人達は笑っているばかりで僕の問いには答えてくれない。
そして、降り続ける雪にも小人達の姿が見える。
気付けば小人の大所帯が出来上がっていた。
小人達はは僕に気が付くとわらわらと近寄ってくる。
「も、もしかして、せ、精霊?」
今度は頷いてくれた。
どうやら喋れないようだけど、言葉は通じるらしい。
遂に僕は頭がどうにかしてしまったようだ。
――
孤児院へと戻った僕だけど、外に居た精霊達が何人か着いてきてしまった。
白いワンピースの様な服を着ていることからこの子は雪の精霊なのかもしれない。
棒と枝の精霊は茶色の服と緑の帽子を被っている。
こっちは男の子の精霊のようだ。
精霊達は僕の身体に引っ付いて離れてくれない。
その様子はまるで懐かれているようにしか思えなかった。
木の精霊と雪の精霊が何やら話している。
僕にはどうもその言葉が理解出来ない。
どういう理由かは分からないが、笑い声は聴こえるのだけど、精霊の言葉は僕には聴こえないのだ。
くすくす、という声が部屋に響く。
僕は精霊達が害の無いものだと判断して、放っとく事にした。
僕には触れるようだけど、他の物には触れないようだし、子供達も精霊が居る事に気付いていない。
僕は折れた棒を直す為に錬金術の準備に掛かる。
紙に書くのは錬成陣だ。
【大辞典】を参考にしながら僕は紙に円を書いて、その中に魔法文字を記入していく。
錬成陣を書き終えた時、木の精霊達が僕の身体から離れて、錬成陣の書かれた紙の上に入った。
二人はお互いを見つめ合い、これから相撲を取るぞ! と言わんばかりな形になる。
僕は錬成陣の上に枝と折れた棒を置いた。
すると、木の精霊は僕の方を向いて、頷いた。
(手伝ってくれるってことかな)
僕は錬成を発動する為に意識を集中する。
折れた棒の欠損した部分を木の枝が補い、繋がるようイメージする。
次第にイメージは確固としたものへと変わって行き、光が瞬いた。
小さな紫雷が迸って、次の瞬間には真新しい木の棒が出来上がっていた。
(せ、成功した……!)
二人居たはずの木の精霊が、一人になっている。
ただ、子供だったその精霊は幾つか年を重ねた様にも感じる。
僕の事を見上げて、にっこりと笑った。
初めて成功した錬金術。
僕は思わず感動してしまって、木の精霊を抱きしめてしまった。
雪の精霊達がその様子を不満そうに見上げている。
僕は雪の精霊達の小さな頭を指で優しく撫でた。
ひんやりとした感覚が指に伝わって来た。
僕は精霊達を肩に乗せ、棒の持ち主である男の子の元へと向かう。
「ほら、直ったよ」
「わぁ、本当だ! でも何か前のと違う様な……」
真新しい棒を手に取って男の子が言った。
「うん、折れちゃった棒をお兄ちゃんが錬金術で直したからね。でも、素材は君が大切にしてた棒だよ。ほら、ここの部分とか見覚えあるだろう?」
この子が大事にしていた棒の特徴を僕は覚えていた。
出来る限り、そのままの形で直してあげたかったんだけど。
「あ、ほんとだ! 握り手があの棒と同じだぁ」
男の子は僕にお礼を言うと、他の子達がいる方へと戻って行った。
でも、喜んでもらえて本当に良かった。
「君のおかげだよ。ありがとう」
僕の肩に乗る木の精霊に僕はお礼を言った。
精霊は照れくさそうに鼻を掻いている。
ところで、君は棒に宿った精霊さんでは無かったのかね。
此処にいて大丈夫なのかな?
僕は錬成陣の紙を持つ手に視線を降ろして、改めて錬金術の成功を実感する。
遂に、錬金術を使えるようになったんだ。
雪の降る、冬にも関わらず、僕の胸に熱い何かが芽吹いた気がした。
優しい子には精霊さんが見えるのです。
ちなみにDBの金雲に乗れる程の清い心がなければ無理です。