寝癖剣士と、寝坊助少年。
鳥の囀りが外から聴こえてくる。
朝靄の香りが部屋を包んで、僕の意識が覚醒へと向かっていくのが分かった。
夕べ、遅くまで読書してしまったせいで、どうやら僕は何時もの起床時間よりも大幅に寝坊したみたいだ。
もう少し寝ていたのが本音なのだけど、このままだと、そう時間が経たない内に、起きてこない僕をエリィが起こしに来てしまうだろう。
僕は大きな欠伸をして、ベッドから降りた。
背伸びをして、凝り固まった身体を解していると、部屋の扉が開く音がする。
しまった、エリィが来てしまったか。と、思ったのだが、そこに現れたのはエリィではなかった。
「おい、寝坊助。さっさと起きろ。って起きてたのか。朝食がもう出来てるぞ。お前が来ないと皆食べられないじゃないか」
「おはようございます。アグニスさん」
「お、おう。おはよう」
燃える様な赤髪に寝癖が出来ているアグニスが立っていた。
どうやら彼も起きたばかりらしい。
僕よりもずっと大きな欠伸をして、僕の居たベッドの方を見つめている。
「三段ベッドか」
「うん、一人に一つだと、部屋が狭くなっちゃうからね」
アグニスが三段ベッドを見て、物珍しそうに言ったのに対し、僕はその理由を話した。説明などしなくても、部屋を見れば何故なのかは一目瞭然ではあるのだけど。
「まぁ、そうだろうな。お前のベッドはどれだ?」
「え? 僕のはこのベッドの真ん中だけど……」
ふーん。と呟きながら、確かに起こしたからな。とだけ言って、アグニスは部屋を出て行った。僕もそれに続くようにして部屋を出る。
せっかく起こしに来てくれたんだから一緒に行こうと声を掛ければ良かったかもしれない。
アグニスは嫌がるかもしれないけど。
と、思っていたらアグニスが階段で僕を待ってくれていた。
早くしろ、という顔で僕を見ている。
僕はそのアグニスの様子を見て薄く笑みを浮かべながら駆け寄った。
「早くしてくれ、俺は腹が減ってんだ」
アグニスがいつにもなく弱音を吐いている。
かの赤髪の騎士も空腹には弱いんだという事を知った僕だった。
――
「おはよう。エリィ、皆、ごめんね。寝坊しちゃったよ」
僕は皆が集まる食堂へと着くと、初めに謝った。
寝坊したのが僕じゃなくても、皆同じように謝る。
「おはよう、アルフォンス。顔を洗っていないようですが、まずは朝食にしましょう」
エリィは気にした様子もなく、僕にそう言った。
遅くまで読書をしていて寝坊したと知れたらきっと小言を言われるに違いない。
「さぁ、一日平穏に過ごせるよう、お祈りしましょう」
お祈りの時間だ。
あぁ、神様。僕は今日寝坊してしまいました。
どうかエリィに読書の事がバレないようにお願いします。
「いただきましょう」
エリィが何時ものように号令をして僕達は食事を始めた。
「いただきます」
原則、夕食ではお喋りは良くないとされている。
しかし、朝食はその限りでは無い。
今日一日の予定をエリィに報告したり、何か欲しい物があったらエリィに言ったりと、必要事項を報告する時間となっている。
報告といっても堅苦しいものではない。
畑仕事で必要な物は勿論、個人が欲しい物をエリィに言っても良い。
ただ言ったからといって、買い与えられるとは限らないのだが。
「なぁ、アルフォンス」
「何ですか? アグニスさん」
「お前のベッドにあった本って錬金術の本か?」
あぁ、ダメだよアグニスさん。
それをこの場で言ったら僕のお祈りも意味を成さなくなってしまうじゃないか。
「アルフォンス。寝坊したのは夜更かしが原因ですか?」
案の定エリィがそれを聞き逃す事は無かった。
「うぅ、エリィ。ごめんなさい」
こうなってしまっては、僕はひたすら謝り続けるしか手が無い。
「まったく。またですか。……罰則です。一度や二度なら見逃しますが。これで夜更かしは何回目ですか? 全然反省しているようには私は思えません。今日の買い出しはアルフォンス、貴方が行きなさい」
罰則として、買い出しの任を任されてしまった。
「一人では心配なので、アグニスさん、アルフォンスに付いていってやっては頂けませんか?」
「あぁ、構わないぞ」
あぁ、恥ずかしい。
憧れの人の目の前で怒られるなんて。
「なんか悪いな。俺のせいで怒られたみたいになっちまった」
「いえ、いいんです。悪いのは僕ですから」
「でもまぁ、勉強熱心で良いんじゃねえか?」
その上、気遣いまでさせてしまっているし、僕の罰則にアグニスさんを巻き込む形になってしまった。
アーガスさんもエリィさんの横でそんな僕をみて笑っている。
はぁ、今日は朝から最悪の出だしだ……。
――
レーミス村から出ている馬車に揺られて一時間程過ぎた頃、漸く街道の行く末に、隣町ライアを視界に捉える事が出来た。
買い出しをするのは毎日では無いにしろ、街道である程度整地されているとはいえ、揺れる馬車の中に一時間も身動きを取れないのは堪えるというものだ。
僕の隣に座るアグニスは、馬車に乗る事に慣れているのか、全く何ともない様子で、僕は素直に凄いな、と思った。
整地された街道の脇には森や湖があり、その上空を飛ぶ鳥達の姿を眺め、それらの風景を楽しむという行為だけが唯一の退屈凌ぎとなっていた。
本を読む、というのも考えたのだけど、揺られる馬車内では乗り物酔いになってしまうから無理だ、と旅に慣れているアグニスに言われたので諦めざる終えなかった。
「はぁ、何だかもう疲れちゃったよ」
馬車から降りると、僕は溜め息混じりに呟いた。
長時間同じ体勢で居たせいで、腰が痛いし、馬車の固い椅子のお陰でお尻も痺れてしまっている。
「軟弱な奴だな。なぁ、アルフォンス、普段はエリィが買い出しに来ているんだろう?」
アグニスに言われ、僕もそれに気付いた。
エリィは孤児院の子供達の為に、同じように買い出しに来ているのだ。
腰は痛いだろうし、お尻も痺れる。
馬車を引く御者の人は無口だし、毎回同じ風景なのだから、それを楽しむ事すら出来なくなるだろう。
そう考えると、エリィは良く平気で居られるもんだ。と、僕は思った。
「うん、僕、弱音を吐くの辞めるよ」
「おう。そうしろ」
とは言ったものの、歩けるまでになるには時間が掛かりそうだ。
お尻が痺れてて身動きが取れない。
アグニスは僕の様子を見て黙って待ってくれている。
気遣いも出来る良い大人だ。
僕、この人になら一生着いて行けるかもしれない。
と、そんな現金な事を考えていると、痺れも和らいで来た。
「やっと、収まったよ。待たせちゃってごめんなさい。行きましょう」
僕はアグニスにそう言って歩き出した。
「お前、道分かるのか? 初めて来るんだろう?」
「……そうでした」
「ったく。考えているようで考えてねぇな、アルフォンスは」
うぅ、不甲斐ない。
アグニスに呆れられてしまった。
「こっちだ、着いて来い」
アグニスは僕の頭を乱暴に撫で回して、歩き出した。
どうやらその口ぶりからするに、ライアの町に来た事が有るようだった。
しかし、それは違った。
「アルフォンス、俺もこの町に来るのは初めてだ。お前と同じだよ。でもな、初めての町へ訪れるなんて事はこれから先何度でも起こり得ることなんだ。その対処法は簡単だ。分からない事は人に聞く事、だ。また一つ勉強になったな」
「……まぁ、そうするしかないよね」
僕もそれくらいは分かっているさ。
「初対面の人と話すのは緊張するか?」
「……うん」
「馬車と同じだ。何事も慣れが重要なんだ。勇気を出して話しかけてみろ」
慣れ、か。
「わかった、頑張ってみる」
「素直でよろしい」
アグニスは僕の答えににっこりと笑って僕の頭を優しく撫でる。
撫でられるのは二回目だ。
アグニスに撫でられるのは不思議と嫌な気がしない。
むしろ嬉しいとさえ思う。
僕は大きな手で撫でられながらそんな事を思っていた。
――
ライアの町は大陸の中央山脈を源流に持つ、ナーレ川が町の横に流れる美しい町だった。
レーミス村でも香っていた、エーノから風に乗ってやってきた潮の匂いが港町エーノの近くにライアが位置している事を僕に告げていた。
それが無かったら、村から馬車で一時間という距離にも関わらず、僕はライアの村が遠い大陸の町に来たように錯覚していた事だろう。
建物が多く、狭かった灰色の石畳の道が次第に広くなり、暫くすると、大通りと呼ぶのが相応しい通りに出た。
大通りには出店が建ち並び、通りに面している建物は古風ある焼煉瓦で出来ている建物が並んでいた。
どうやらこの通りがメインストリートらしい。
焼煉瓦の建物の外には、店の宣伝を兼ねて出されている様々な売り物の姿を見て、僕は思った。
大通り歩く人々の数だけで僕の住む村の人口を遥かに凌いでしまうだろう。
これだけを見せられた段階で、此処が王都だ。と言われれば思わず信じ込んでしまうという程に、僕は衝撃を受けたのだった。
「どうやら店は、この辺りを探せば見つかりそうだな。先に腹ごしらえにしとくか」
僕とアグニスは、買い物の前に、少し早い時間だけど、昼食を済ませる事にした。
立ち寄ったのはライアの町の宿屋の食堂だ。
他にも大通りにレストランや出店等も有ったのだけど、高いという理由で僕が無理なので却下となった。
一食の料金で、孤児院の子供達半分の食費が掛かるのだから、一体どんな料理が出て来るのだろうかと僕は思った。
「なに、そこまで大した物は出てこないさ。食材が少し珍しい物だったり、作り手であるシェフが名が通ったという理由で高くなったりするんだよ」
「うーん。それでも一度は食べてみたいと思っちゃうな」
僕は宿屋に入る寸前まで、レストランの有る方を眺めていた。
――
宿屋の食堂は、ライアの町で有りながら、レーミスの村と少し雰囲気が似ていた。
それは冒険者の人々が多かったからだ。
腹ごしらえを済ませ、狩りに出掛ける戦士の人や、帽子を深くまで被り素性が掴めない魔導師らしき男性。熟練の冒険者の風格を漂わせる風貌の若老から、駆け出し感丸出しの若者まで。男女の比率は8:2といったところか。
「なんだか、宿屋だからって人が居過ぎやしない?」
冒険者に合わせた宿泊代や料理の値段。
それだけではこの人の多さの理由としてはいまいちだと僕は思った。
「あぁ、それはこの宿屋がギルドの仲介所も兼ねてるからだろうな」
「ギルド? 仲介? 何を仲介するところなの?」
聞き慣れない言葉だった。
冒険者が集まるのだから、何かの仕事を仲介するのだろうか。
「あぁ。ギルドというのは冒険者が登録する機関の事だ。仕事の斡旋や、報酬のやり取り等をする所だな。魔物の討伐依頼や、素材の採取以来。難易度は討伐が一番難しく、危険だ。仕事の種類も、討伐から、はたまた犬の散歩まで多種類ある。大陸の王都にギルド本部があって、町や村にはその支部があるんだ。このライアの町のようにそこそこ大きい町だと、ギルド支部一つじゃあ間に合わなくなる。そこで仲介所だ。冒険者が多く利用する宿屋等が主にそれだな」
「へぇ、やっぱりライアの町って大きい方なんだね」
「まぁ、そうだろうな。港町エーノが近くにあって、街道が東西南北に通じている。貿易の要の町として、自然と大きくなったんだろうな」
「良く分かったよ、アグニスさん、ありがとう」
「あぁ。お、飯が来たみたいだな」
僕達が話している内に料理が運ばれてきた。
アグニスさんは、店員からそれを貰うと僕の前に置いた。
冒険者向けの食堂だとは確かに言ってたけど、この量は凄いな……。
シーフードカレーが大盛り、いや、山盛りで姿を現し、僕は思わず絶句した。
恐る恐る一口食べてみると、量が多いから味はいまいちなのを覚悟していたら、予想外に美味だった。
僕はそれをがつがつと食べながら、ふと村の皆を思い出した。
「エリィや皆にも、美味しいご飯をお腹いっぱい食べさせてやりたいな」
「あぁ、確かにお前もそうだが孤児院の子供は皆痩せているように感じた。俺が来る前はエリィはお前達にどんな物を食べさせていたんだ?」
その口ぶりに僕は思わず、むかっと来てしまった。
「エリィは僕達の為に一生懸命料理を作ってくれているよ! ただ、孤児院にはお金が無いんだ。貴方も食べた『ケパス』や他の野菜を自分達で育てて賄っているんだから。エリィは僕達の為に自分の分まで子供達に分けてるんだ! エリィを悪くいうのなら、アグニスさんでも許さないよ」
「あぁ、済まん。そういうつもりで言ったんじゃなかったんだ。気分を悪くしたなら謝る。ただ、純粋に普段何を食べているのか聞きたかっただけだ」
「……黒小麦のパン、と野菜。……あと偶に肉や卵も食べるよ」
「……そうか。なら鹿肉を持って行って正解だったようだな」
「うん、肉を持って来てくれたアグニスさんを見て、思わず僕は神様だと思ったくらいだからね」
僕は自傷気味に笑いながら言った。
「それは言い過ぎだ。……金か」
アグニスはそう呟くと、話すのを辞めた。
黙々と食べ続けるアグニスを見て、僕も急いで食べる事にした。
「あぁ、ゆっくり食べろ。せっかくの飯なんだ。身体の大きさが違う俺とお前じゃあ食べる早さが違うのは仕様がないことだ」
一片に口に入れたせいで喉に詰まったそれを水で押し流す僕に言うアグニス。
「けほっ、けほっ。そ、そうするよ……」
涙目に成りながら僕はアグニスの忠告を素直に聞く。
次からはゆっくりと、スプーンを口に運んだ。
――
昼食を済ませた後は、大通りに戻って買い出しだ。
エリィに渡されたメモを片手に、僕は色々な店を見て廻る。
初めに僕達の主食である黒小麦の大袋だ。
5kgで銀貨1枚とそれなりの値段がするが、黒小麦ではなく、普通の小麦だと同じ5kgでも銀貨2枚以上するのだから、黒小麦は安いのだろうと思った。
そして、次に石鹸だ。
石鹸は貴族も使う高級な嗜好品とされているが、僕達孤児院では、誰かが病気に成って全員に蔓延して掛かる治療費よりも、予防の段階で病原菌を排除する方がエリィは正しいと考えていた。
病気になって苦しむのなら、病気を予防してそれを回避する方が良いからだ。
しかし、石鹸をそのまま一つ使うのではすぐに消費して無くなってしまう。
一つで黒小麦5kgと同じ値段がする石鹸を多くは買えない。
そこで、石鹸を作っているというお店まで出向き、村で取れた野菜をそこに卸し、商品にならない型くずれの石鹸を安く売ってもらうのがエリィの知恵だった。
僕はメモを見ながらその石鹸のお店へ向かう。
しかし、その道中で僕の知らない冒険者の人達が話しかけて来た。
僕から見ても雰囲気は良くない。
まるで喧嘩を売られている様な口ぶりだった。
「おや? アグニスさんじゃないですか」
「こんな所で奇遇ですねぇ、元騎士様」
皮肉を言うような口調で話しかけて来た二人。
二人とも、何日水浴びをしていないのかという程に、油がべったりとしたぼさぼさの髪をしている。
二人の身に付けている装備も手入れがされていないようで、鎧の節々が錆び付いていた。
「誰だ、お前ら」
アグニスはその二人の事を知らないらしい。
ということは一方的に向こうが突っかかってきたという事で間違いないようだ。
「騎士を辞めて冒険者に成ったとは聞いていたが、まさか子守りの依頼をしているとは。ほんと、落ちぶれた物だなぁ、赤髪の騎士様よぉ」
「あ?」
アグニスがその言葉に怒りを現す。
しかし、二人は尚も続けた。
「お? やんのかよ。良いんだぜ? ほら、抜けよ」
「は! 抜けねえよなあ、町のど真ん中! しかも人通りの多い大通り。しかも子守りの途中ときたもんだ! ほんと笑える話だぜ」
二人は人目の多い場所だからと調子に乗っているようだ。
アグニスはそんな二人に既に興味が無くなったようで、
「ほら、アルフォンス。石鹸の店に向かうぞ」
「あー、うん。でも、良いの?」
「あぁ、お前もあいつらの身なりを見ればわかるだろう? 相手をする価値すら俺には分からない」
「……いや、まぁ、うん。確かに」
僕はアグニスの言葉に思わず笑ってしまった。
余りにも小物扱いされて相手にもされない二人の目の前で。
「あぁ? くそガキが。笑ってんじゃねぇぞ」
「石鹸だぁ? 貴族のボンボンが喧嘩売ってんのか?」
凄んで来る二人に僕は思わず一歩下がってしまった。
しかし、下がった僕と、二人の男の間にアグニスがすっと割って入った。
「おい、俺の事は何とでも言っていい。実際冒険者になったのは事実だし、子守りと言われても、まぁ間違っていないからな。……でもなぁ」
喧嘩を売って来た二人の男に、アグニスは穏やかな口調でそう言った。
その直後だった。アグニスの今まで聞いた事も無い程の低い声が発せられた。
「ガキに喧嘩売るっつーなら話は別だ。……分かるよな?」
二人に向けられたそれが僕には分からなかった。
ただ、その言葉を聞いた二人が、口をぱくぱくさせて動けなくなっている状況に、ただただ唖然とするばかりだ。
アグニスは、もう用が済んだと言わんばかりに男達を無視して歩き出す。
僕のメモはアグニスがいつの間にか持っていた。
アグニスの後ろを着いて行きながら振り返り、硬直した二人の男を僕は改めて見る。
二人は先程のままの体勢のまま未だに動けなくなっていた。
目線だけが僕達を捉えているようで、その目は怯えているようにも見えた。
やっぱりアグニスは凄い人だ。
手を下さなくとも、相手を圧倒し得る迫力。
僕は男達に抱いていた怒りなど忘れ、目の前で見たアグニスの事を思い出し、先を歩く赤髪の騎士の大きな背中見て、沸き上がる感情に思わず震えてしまった。
――
その後の買い物は円滑に行う事が出来た。
ちなみに、重たい荷物はアグニスが持ってくれている。
最初は僕が持っていたのだけど、すぐにアグニスが奪い取るようにして僕から取り上げてしまったのだ。
「荷物を持ってくれてありがとう、アグニスさん」
「ふらふらした足取りで見ていられなかったからな」
「……そんなに?」
僕とアグニスは今、メインストリートの途中を歩いている。
思いのほか円滑に買い物が終わったのは良い物の、最後の買い物が大通りの一番奥にあるお店でしか取り扱っていなかったからだ。
レーミス村までの馬車の出発時間まではまだ少し時間があった。
僕は大通りを改めてぐるりと見渡した。
冒険者が多くみられる武器屋、防具屋、食事処。そしてギルド支部。
町の婦人方が多いのは花屋のようだ。
そして、遂に僕の探していた店が見つかった。
「素材屋か……。行きたいのか?」
僕の様子に気付いていたアグニスは、僕の視線が止まった先を見て言った。
「いや、でも。僕お金持ってないし、大丈夫だよ」
「それでも行きたいんだろ? 見るだけならタダだ。ほら、行くぞ」
「あ、アグニスさん、待ってよ!」
僕の返事を聞くよりも先にアグニスさんは歩く足を速めて、素材屋に入ってしまった。
僕はそんなアグニスさんに溜め息を吐いたが、内心では素材屋に行けるという事が嬉しくも有った。
素材屋の中に入った僕は、視界いっぱいに広がる初めて目にする未知の物に、目移りをせずにはいられないでいた。
観察しているうちに、僕が読んでいる【特殊錬金精霊防具大辞典】にも載っている素材がある事に気が付いた。
そして、目当ての物も全て置いてある。
「精霊石って大きい物だとこんなに高いんだ」
値札を見て僕は一人呟いた。
精霊石は二つのブースに別けられていた。
大きな精霊石は奇麗に陳列された棚。
小さな精霊石が乱暴に籠の中に入れられている。
棚に並べられている精霊石は透き通る程に奇麗に澄んでいる。
一方、籠の方に入った精霊石は傷がついた物や、中に不純物が混じっている物と言った、所謂石鹸と同じく、型落ちの物なのだろうと思った。
値段も棚の物よりも遥かに安い。
「お前が欲しいのは精霊石か」
「うん。僕が今作りたいと思っている物の材料なんだ」
「精霊石を使うのか?」
「うーん、精霊石そのものというより、それの粉末かな。全属性分の粉が必要だから、買うならこの籠の中の物にするよ」
僕はそう言って、籠の中から比較的きれいな水色の石。――水の精霊石を手に、アグニスに言った。
「いや、それはダメだ」
「え? 何で?」
「錬金に使うのなら、不純物が混じっている粗悪品だと、仕上がりに悪影響が出てしまうからだ」
「アグニスさんって、錬金術の事も知っているの?」
「あぁ、少し齧った程度だけどな」
僕が作りたいのは、エリィのローブだ。
どうせなら最高の物を作りたい。
でも、不純物の無い精霊石は余りにも高すぎる。僕には手の届かない代物だ。
「……。二ヶ月後、エリィの誕生日なんだ。僕はその誕生日までに錬金術を会得して、エリィに錬金術で作ったローブを送りたいんだ。でも、それにはお金が圧倒的に足りない。……僕はまだ、自分でお金を稼ぐ事も出来ない。それに、もしお金があったとして精霊石を買えても、最後の一つが絶対に手に入らないから無理なんだけどね」
アグニスにこれを言ってどうなる事でもない。
お金を貸してくださいと言っても稼ぐ手段が無ければ返す事も出来ない。
「最後の一つ?」
「うん。光魅の草は知っているよね? それの朝露だよ。しかも大量に必要なんだ」
「それはまた、随分と金の掛かる装備だな」
「うん、だから僕は大きくなったら光魅の草を探す旅に出ようと思ってる。今まで育ててくれたエリィにお礼をしたいから」
エリィの着る聖なるローブはもうボロボロだ。
新しい物を貰う為には、聖職者といえどもお金が掛かる。
「……。まぁ、まずは錬金術の会得が先だな」
「うん。分かってるよ。今日も寝坊したしね」
僕は朝の寝坊の事を苦笑いしながら話す。
アグニスは、棚にある精霊石を眺めながら、言った。
「それじゃあ、帰るぞ」
お金が無いなら買い物は出来ない。
奥から出て来た店主が僕達が店を出る事に気付くと、また御願いします。とだけ言って再び奥へと戻って行った。
「うん、帰ろうか。皆が待ってる」
僕はアグニスが返事をする前に店の外に飛び出した。
欲しい物が目の前にあるのに、手に入らない悔しさを忘れるようにして。