異世界トリップのエンディングにおける考察
異世界トリップというジャンルが小説を読もうにおいて人気ジャンルなんですが、なぜそれが人気があるかというと、やはり、現実の世界とファンタジー的世界が繋がり、それが読者の感情移入を強くさせ、そこにおける冒険や活躍が、まさに読者の身近な体験として刻まれるからだと思います。
そこら辺は、劇場版ドラえもんと同じ仕組みだと思うのです。
今回、異世界トリップのエンディングについて大きく二つに分けて考えてみました。
・一つ目は、主人公が異世界にとどまり続ける
・二つ目は、主人公が現実に戻る
この二つを現実に対しての寓意性から見ると、当然、まったく意味が違っていて
・一つ目は、移住であり、これまでの環境から離れて、あたらしい環境でどう生きるかというテーマ
・二つ目は、旅もしくはモラトリアムであり、なにかしらの生きるヒントを、旅やモラトリアムにおいて経験するというテーマ
などになると思います。
この違いを、例えば、震災で福島から避難した人々に、対して考えた時、
・一つ目ならば、避難先における、苦労の先にある希望を、
・二つ目ならば、いつか福島へ帰るんだ!と思い続ける勇気を、
そういう解釈が、現れる可能性があります。
一見、ファンタジーは、現実逃避的なモノという見方もされやすいですし、そういう部分もありますが、その寓意的なメタ(裏側)における意味が、現実にいる読者を勇気付けたり、何かを気づかせてくれたりする事は普通にある訳で、それはつまり、、ファンタジーであっても、現実を変える事が可能という事を示しているのだと思う。
むしろファンタジーであるからこそ、説教くさくなく、冒険の物語として提示ができるという部分もあると思います。
こういったファンタジーの力を理解した上で、異世界トリップを考える事は、結構、重要だと思うんですね。
ここにおいてラストにおける物語の景色が、現実における寓意において何を意味するのかという事を考えると、物語全体の流れにおける美しさ(読みやすさ・わかりやすさ)、その流れにおけるニュアンス(意味・価値観)の浮上、そして、感動、に大きな影響を与えると思うのです。