第二王子フェリクス、その後
もう王家には従いません ~家族全員で転生した伯爵家と、うちの猫の物語~に登場する、第二王子フェリクスのその後です。
グランベル領の独立が正式に決まったあと、王城ではフェリクスの処遇について話し合うため、貴族会議が開かれていた。
議場には、王族をはじめ、宰相や主要な貴族たちが集められている。
議題はただ一つ、第二王子フェリクスの処遇について。
「今回の件は、単なる婚約問題ではありません」
宰相が重々しく口を開いた。
「フェリクス殿下は、王国最大の食料生産地であるグランベル領の令嬢との婚約を、一方的に破棄されました。さらに、すでに婚約者のいるリリア嬢に対し、その婚約を無視して自らの婚約者になるよう求めております」
貴族たちの間から、重いざわめきが起こる。
「その結果、グランベル伯爵家は王家との婚姻関係を断つことを決断。その後、聖獣のグランベル家と契約。さらに、聖獣の守護を得たグランベル領は独立を宣言した」
一つ一つの事実が読み上げられるたび、議場の空気が重くなる。
グランベル領は、王国最大の食料供給地だった。独立そのものが王国に与える影響は大きい。しかも、グランベルとの関係悪化によって、王国は今後、食料をこれまでのように王家の権限で確保することができない。独立後は、正式な交易契約を結び、対価を支払って購入する必要がある。
「フェリクス殿下の行動によって、王国は重要な領地との関係を失う結果となりました」
一人の公爵が発言する。
「王位継承第二位という立場を考えれば、その責任は決して軽くありません」
フェリクスは王太子ではない。王位継承順位は第二位。現時点で、第一王子が王太子として確定している。しかし、グランベル家の影響を考えると、フェリクスが王太子になる可能性も充分あった。しかし、その可能性を自ら捨てたのも、フェリクスだった。
長い議論の末。
貴族たちは、フェリクスの王位継承権を剥奪し、王族としての身分も失わせるべきだという結論に至った。
国王は最後まで黙っていた。
そして。
「……分かった」
静かに告げた。
「フェリクスの処遇を決定する」
◇
翌日の王城謁見の間に、フェリクスは一人、玉座の前に立っていた。いつもとは違う重苦しい沈黙の中、国王は玉座から息子を見つめていた。
「フェリクス、お前は自分が何をしたのか理解しているか」
フェリクスは唇を噛んだ。
「私は……アリシアとの婚約を破棄しただけです」
その答えに、国王は深く息を吐いた。
「『だけ』…だと?」
低い声が広間に響く。国王はしばらく黙っていた。やがて低い声で名前を呼ぶ。
「フェリクス。昨日、貴族会議を開いた」
「……貴族会議?」
「お前の処遇についてだ」
フェリクスの顔から血の気が引いた。
国王は静かに続けた。
「お前は王位継承第二位の王子だ。その立場にある者が、王国最大の食料生産地を治めるグランベル伯爵令嬢との婚約を、王宮の大広間で一方的に破棄した」
国王の声がさらに厳しくなる。
「それだけではない。婚約者のいるリリア嬢に対し、その婚約を無視して自分の婚約者になれと迫った」
「私は……彼女を愛して――」
国王が遮った。
「愛している?相手の意思を無視することが愛なのか?」
フェリクスは言葉を失った。
「リリア嬢には、すでに愛する婚約者がいた」
フェリクスは俯いた。
「それでもお前は、自分の立場を理由に彼女を求めた。その結果、グランベル家は王家との関係を断ち、領地の独立を決断した」
国王の声に、わずかな苦しさが滲む。
「そして王家の聖獣は、グランベル家と契約した」
フェリクスの脳裏に、あの日の光景が蘇った。巨大な白銀の聖獣、自分たち王族には目もくれず、グランベル家の者へ、鳴いて駆け寄って行った姿。フェリクスは拳を握った。
国王は淡々と続ける。
「聖獣がグランベル家を選んだことそのものを、お前の責任だとは言わない」
国王は言った。
「だが、その直前に何が起きていた?お前が婚約を破棄しなければ、グランベル家が王家との関係を見直すこともなかった。お前がリリア嬢を自分の婚約者にしようとしなければ、ヴァレンティス公爵家との関係まで悪化することもなかった。そして今、グランベル領は独立した」
国王はフェリクスを真っ直ぐ見つめた。
「お前の行動は、王国そのものに大きな影響を与えた」
フェリクスの顔から血の気が引いていく。
グランベル領…王国の食料庫とも呼ばれる場所。そこを失ったことで、王国はこれからグランベルと正式な交易協定を結ばなければならない。これまでのように、王家の命令だけで食料を融通してもらうことはできない。国庫への負担も増える。政治的にも大きな痛手だった。
「……ですが」
フェリクスが震える声で何か言おうとした。しかし、その声を遮って発した国王の言葉は冷たかった。
「お前が平民であれば、ここまでの問題にはならなかった。王位継承第二位の王子だったからこそ、お前の言葉には重みがあった。お前の行動には、王国全体を動かすだけの影響力があった」
長い沈黙……そして。
「よって」
国王は決断を告げた。
「フェリクス・ルートヴィヒの王位継承権を剥奪する」
フェリクスの目が見開かれる。
「さらに――」
国王の声が謁見の間に響いた。
「王族としての身分を失わせ、廃嫡とする」
「父上!」
フェリクスが玉座へ駆け寄ろうとする。しかし、近衛兵がその前に立ちはだかった。
「嫌です!」
フェリクスの顔に、初めて明確な恐怖が浮かんだ。
「父上、嫌です!」
近衛兵に止められながら、必死に国王へ手を伸ばす。
「いつも……いつも庇ってくれていたではないですか!」
国王の表情がわずかに揺れた。
「私が何か失敗しても、父上はいつも許してくれた!」
フェリクスの声が震える。
「父上なら、今回だって私を庇ってくれるでしょう!?」
国王は答えない。
「私は……父上の息子です!いつも私を守ってくれたではないですか!」
声が、謁見の間に響き渡る。
「お願いです、父上!」
フェリクスは、もはや王子としての威厳を失っていた。
ただ父親に縋る、一人の息子だった。
「私を……捨てないでください……!」
その言葉に国王は目を閉じた。
幼い頃から王太子となることを期待され、国王から厳しい教育を受けていた、兄で第一王子の アレクシスは、正室から生まれた第一位王位継承者だった。
礼儀作法、政治、軍事、外交、一つでも失敗すれば厳しく叱責された。
一方フェリクスは違った。愛する側室との間に生まれた子。国王はらフェリクスに甘かった。少しくらいの失敗なら笑って許した。何が問題があれば、フェリクスの側に立った。
「まだ幼いのだから」
「悪気はなかったのだろう」
そう言って、何度もフェリクスを庇った。
だからフェリクスは信じていた。何があっても、父だけは自分を見捨てない。
国王は苦しそうに眉を寄せる。やがてゆっくりと目を開いた。
「……フェリクス」
「父上……」
「私は、お前を息子として愛している」
フェリクスの目に、わずかな希望が戻る。
しかし、次の言葉は残酷だった。
「だが、私は国王でもある」
「父親として、お前を庇い続けることはできない」
「嫌だ……」
「王位継承第二位の王子として、お前の行動には責任が伴う」
「父上……!」
「今回お前を庇えば、王国そのものを守ることができなくなる」
国王は苦しそうに拳を握った。
フェリクスは呆然とした。
「……そんな」
国王は続けた。
「 アレクシスには厳しくしてきた。それは、あの子が王になる立場だからだ」
「確かにお前には甘かった」
フェリクスが顔を上げる。
「だからこそ、お前は自分の行動がどれほど大きな意味を持つのか、理解できなかったのかもしれない。私にも責任がある…すまなかった…」
国王の声が震えた。
「だが、だからといって今回の責任を消すことはできない」
フェリクスは、力なくその場に膝をついた。
「……私が」
震える声。
「私が……悪かったのですか」
「お前は、人の心まで自分の権力で手に入ると思っていた。アリシア嬢を失った。リリア嬢にも拒絶された。グランベル家にも去られた。そして、王家の聖獣まで失った」
フェリクスの身体が震えた。
国王は最後に、静かに告げる。
「お前は欲しいと思ったものを、すべて自分の手で遠ざけたのだ」
◇
その後、廃嫡されたフェリクスは、王都から離れた離宮で暮らすことになった。
以前なら、扉を開ければ侍従が頭を下げ、着替えれば何人もの使用人が手を貸した。廊下を歩けば、誰もが恭しく頭を垂れて道を譲った。
けれど今は違う。
「フェリクス様」
そう呼ばれることすら、日に日に減っていった。王族ではなくなった彼には、かつてのような権威はない。
食事も質素になった。衣服も簡素なものになった。外へ出ても、以前のように話しかけてくる者は居ない。最初のうちは、それが耐えられなかった。
「なぜ私が……」
何度もそう呟いた。
「私は第二王子だったのだぞ」
けれど誰も答えてはくれない。
そんな生活が数か月続いた頃、フェリクスの元に新聞が届いた。そこには、独立したグランベル領の近況が書かれていた。農作物の収穫量、新しい灌漑設備、備蓄倉庫の整備、領民への支援。王国との新しい交易契約、そして聖獣との契約によって、魔物の被害も減り、領民たちの間にも活気が戻っているという。
「……順調なのか」
フェリクスは呟いた。自分がいなくなれば、困ると思っていた。だが、グランベルは何も失っていなかった。むしろ以前より生き生きとしている。
「……私がいなくても」
そこで言葉が止まる。
「……いや」
フェリクスは小さく笑った。
「私がいないほうが、良かったのか」
胸の奥が痛んだ。
それからというもの、フェリクスは時折、グランベル領の様子が書いてある記事を読むようになった。ある日、小さな記事が目に入った。『グランベル領にて、聖獣が領主一家とともに収穫祭へ参加』添えられた絵には、大きな白銀の聖獣と、その周囲で笑うグランベル一家が描かれていた。
アリシア。
リリア。
伯爵夫妻。
そして、聖獣。
フェリクスは長い間、その絵を見つめていた。
「……アリシア」
ふと、あの夜のことを思い出す。自分が婚約破棄を告げた時、アリシアは怒鳴らなかった。泣きもしなかった。ただ「承知いたしました」そう言った。
あの時は、それが当然だと思った。
自分が王子だから、自分が選ぶ側だから、けれど今なら分かる。あの瞬間、アリシアは自分から離れていったのだ。
「……馬鹿だった」
フェリクスは額を押さえた。
「私は……何をしていたんだ」
もしあの時、婚約破棄などしなければ、アリシアと共に笑い合えていたのかもしれない。そして、グランベル家が独立することなく、今も関係も続いていたのだろう。そして何より、あの家族は自分にも優しく接してくれていた。それに気づいたのは、すべてを失った後だった。
◇
ある冬の夜、フェリクスは暖炉の前で、一人で食事をしていた。
以前なら大勢の人間に囲まれていた食卓、しかし、今は狭い部屋で一人。
ふと、昔のグランベル家に招待された時の晩餐会を思い出した。
アリシアが楽しげに話しかけていた。伯爵夫人が笑っていた。リリアがセドリックの話をしていた。伯爵が領地の話をしていた。自分は、その輪の中にいた。
「……家族、か」
フェリクスは呟いた。
アリシアたちはそれぞれを尊重し、大事に思っていた。そんなことを、自分は知らなかったし、知ろうともしなかった。そして、自分は彼らの人生を、自分の都合で変えようとした。
「リリアも……」
リリアがセドリックを愛していると、はっきり言った時、自分はそれでも彼女を手に入れようとした。
「……最低だったな」
初めてフェリクスは、自分自身に向かってそう言った。王子だから、王族だから、欲しいものは手に入る、そう思っていた。けれど人の心だけは、どれだけ王族の力があっても、命令では手に入らない。フェリクスの目から、一粒の涙が落ちた。
「……アリシア」
届くはずのない名前を呟く。
「すまなかった」
返事はない。
「リリアも……すまなかった」
暖炉の火が、静かに揺れている。
そしてフェリクスは悟った。
もう謝ることすらできない。
自分には、その資格さえない。
彼女たちはもう、自分のいない場所で幸せに生きている。
だからこそフェリクスは、二度とグランベル領へ行こうとはしなかった。
ただ遠くから、グランベル領が発展していく記事を読むだけだった。
そして時々、あの白銀の聖獣が、幸せそうな家族の真ん中で昼寝をしているという記事を見つけると。
「……確かミケと呼んでいたか…」
小さく笑う。
「お前も……あの家族のところが良かったんだな」
もう見下す気にも、嫉妬する気にはなれなかった。
ただ自分が手放したものの大きさを、静かに思い知るだけだった。
◇
一方、グランベル領では。
「お姉ちゃん、今年も豊作だね」
「ええ」
広大な麦畑を眺めながら、アリシアは微笑んだ。隣にはリリア。少し離れたところにはセドリック。そして、その足元には巨大な白銀の聖獣――ミケ。
「にゃあ」
「ミケ、またお腹空いたの?」
「にゃあ」
「……本当に変わらないわね」
アリシアは笑った。かつてフェリクスが「王太子への道」だと思っていたグランベル家との婚姻。けれどアリシアたちにとって、グランベルは権力のための後ろ盾ではない。大切な家族と、領民たちが暮らす場所。そして誰にも人生を決められず、自分たちで未来を選ぶための場所だった。
「お姉ちゃん」
「なに?」
「今度は、ずっと一緒だね」
「ええ」
アリシアは妹の手を握る。
「今度こそね」
ミケが大きな声で鳴いた。
「にゃあ!」
「ふふっ。ミケもそう言ってるみたい」
家族の笑い声が、豊かな大地に響いていた。




