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【毎日更新】没落姫と厄災の番犬―すべてを失った夜、檻の底で恐ろしい手をとった―  作者: kamoojun
第1章 すべてを失った夜と、檻の底の神狼

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第6話 職人の街と、手放した宝石

 数日間の過酷な野宿を乗り越え、私たちはついに目的の中継地点——職人の街へとたどり着いた。


「わぁ……!」


 活気に満ちた大通りには、色鮮やかなガラス細工や美しい装飾品を並べた屋台がズラリと軒を連ねている。王宮の庭しか知らなかった私にとって、むせ返るような人々の熱気と喧騒は、目にするものすべてが新鮮だった。

 道中で野盗から剥ぎ取ったボロボロのマントのフードを深く被り直しながら歩いていると、ふと、ある屋台の片隅で足が止まった。


「……綺麗」


 それは、透き通るような青いガラスで作られた、小さな髪飾りだった。さすがは職人の街だ。太陽の光を反射してキラキラと輝くそれに思わず見入っていると、横からリルがひょっこりと顔を覗き込んできた。


「なんだ、お前それ欲しいのか?」

「えっ? ううん、そうじゃなくて。ただ、綺麗だなって思っただけよ。私たちには、当面の宿代や食費の方が大事だもの。さ、行きましょう」


 私は名残惜しさを振り切って、足早にその屋台を後にした。この時、背後を歩くリルが、どんな顔をしてその青いガラスの髪飾りを、ジッと睨みつけていたか……私はまったく気づいていなかった。


 しかし、どういうわけか、すれ違う街の男たちや屋台の商人たちが、チラチラとこちらを振り返ってはヒソヒソと話し合っている。


(おかしいな。ちゃんと目立たない格好をしているのに……)


「……グルルルゥ……ッ」

「ひっ!?」


 不意に、私のすぐ隣で地を這うような低い唸り声が響いた。見れば、リルが私に近づこうとした通行人の男に向けてギリッと鋭い犬歯を剥き出しにしている。人間の姿になったのに番犬のようだ。


「り、リル!? ダメよ、街の中で威嚇しちゃ!」

「あ? だってコイツら、さっきからお前のことジロジロ見て、気安く近づいてきやがる。全員まとめて頭から丸かじりにしていいか?」

「よくないわよ! おすわり!!」


 私が慌ててマントの袖を引くと、リルは「チッ」と舌打ちをして、これ見よがしに私とすれ違う人々の間に大きな体を割り込ませた。完全に、主の周囲を警戒する気性の荒い大型犬だ。


「大体、お前がいつまでもそんな血と泥の臭いが染み付いたボロ布を被ってるから、俺の鼻が曲がりそうなんだよ。さっさと捨てろ。フードの隙間からお前のその、はちみつ色の髪と真っ白な肌がチラチラ見えて、余計に悪目立ちしてんだよ」

「えっ、そ、そうなの……?」


 隠しているつもりが、逆に不審なマントと肌の白さのギャップで目を惹いてしまっていたらしい。


「でも、これを捨てたらもっと顔が丸出しになっちゃうわ。それに私たち、新しい服を買うお金なんて……」


 言いかけて、私はハッとした。


(そうよ……お金なら、あるじゃない)


 私はマントの襟元に隠していた大粒のサファイアのネックレスにそっと触れた。王宮から逃げ出す時、着の身着のままで飛び出した私に唯一残された、高価な装飾品だ。もう、私は飾られた鳥籠の中の姫ではない。この先を生き抜くためには、これをお金に換えるしかない。


「リル。私、これを売る。これならきっと、ちゃんとした宿代と……あなたや私の、温かいマントが買えるはずよ」


 私が迷いのない声で告げると、リルは怪訝そうに目を細めた。


「……お前、いつもそれ身に着けてたじゃねぇか。手放していいのかよ」

「いいの。今の私には、もう必要ないものだから。……ねえ、あそこの質屋さんに買い取ってもらいましょう」



 大通りを抜け、私たちは立派な構えの質屋へと足を踏み入れた。


「こ、こいつは……とんでもなく純度の高い最高級品だ……!」


 カウンター越しにサファイアを見た主人は目を丸くし、ずっしりと重い金貨の袋を私に渡してくれた。


(これで当面は、みじめな思いをせずに旅が続けられる)


 過去の栄華を捨てることに未練はない。私はホッと胸を撫で下ろした。

 けれど、質屋を出て新しい服とマントを買いに向かう私の背中を。リルは、ひどく苛立ったような、面白くない瞳でジッと見つめていた。


(……俺が森で獲ってきたウサギじゃ、あんなキラキラした石ころ一つ分の価値もねぇってのか)


 彼は人間のお金の価値などよく分かっていない。それでも、自分の主が「大切にしていた光る石」を手放してまでその日の寝床を確保したという事実が、獣としての雄の甲斐性プライドを酷く刺激していたことなど、少し前を歩く私は知る由もなかった。



 質屋で得た資金で、私たちは身の丈に合った清潔な宿を取り、新しく温かい平民の服を買うことができた。温かいお湯で数日分の泥を落とし、久しぶりにふかふかのベッドに腰を下ろした私は、思わず深く息を吐き出した。タオルで拭いた私のはちみつ色の髪が、窓からの光を受けて柔らかく光っている。


「……はぁ。やっぱり、屋根と壁があるって最高。リルも、道中ずっと私を守ってくれてありがとうね」

「……」


 窓辺によりかかっていたリルは、私の言葉に何も答えず、ただつまらなそうに街の景色を見下ろしている。なぜか少し、機嫌が悪いようだ。


 その時、下の階の酒場から、宿の主人と客のヒソヒソ話が聞こえてきた。


『……また出たらしいな、例のバケモノ』

『あぁ。昨日の夜も、大通りで腕のいい細工師が襲われたらしい。ドロドロの黒い影に包まれた魔獣だったって話だ』

『恐ろしいねぇ。最近、この街の優秀な職人ばかりが狙われてるじゃないか……』


「……黒い影の魔獣?」


 私は思わず顔を上げた。ただの野生の魔獣なら、人間を無差別に襲うはずだ。特定の優秀な職人ばかりを狙うなんて、明らかにおかしい。


「……リル」

「あぁ。ただの獣の匂いじゃねぇな。……血生臭ぇ、ドブみたいな『呪い』の匂いがプンプンしやがる」


 リルが窓枠から身を乗り出し、ギリッと犬歯を剥き出しにして夜の街を睨みつけた。

 私たちの過酷な逃避行は、まだ始まったばかりだった。


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