第5話 初めてのサバイバルと、番犬のぬくもり
「旅のお嬢さん」
背後から声をかけられ、私はハッと振り返った。そこには、先ほど助けた村の長老が、古びた羊皮紙の巻物と小さな麻袋を抱えて立っていた。
「たいしたお礼はできませんが……これはこの辺りの地図と、少しばかりの保存食です。王都へ向かうのであれば、まずは東にある『職人の街』を目指すといいでしょう。あそこなら、情報も物資も手に入ります」
「ありがとうございます……! 本当に、助かります」
長老から地図と麻袋を受け取り、私は深く頭を下げた。
傍らでは、人間の姿になったリルが腕を組み、退屈そうに鼻を鳴らしている。
こうして私たちは、長老に見送られながら、王都奪還への第一歩となる職人の街へと足を踏み出したのだった。
——しかし。
温室育ちの王女にとって、道なき道を進む過酷な野宿旅が、そう簡単にいくはずもなかった。
「……ぐきゅるるるっ」
村を出て二日目の昼下がり。
静かな森の中に、私の情けない腹の虫の音が響き渡った。村でもらった硬いパンと干し肉は、すでに昨日の夜で底を突いている。
「……腹、減ってんのか」
「ち、違うの! 今のは……その、森のカエルの鳴き声よ!」
「カエルはそんな音出さねぇよ。……そこで大人しく座ってろ」
顔を真っ赤にして誤魔化す私にため息をつくと、リルは身軽な動作で深い森の奥へと姿を消した。
そして数分後。
「ほらよ。新鮮なうちに食え」
「ひぃぃぃっ!?」
戻ってきたリルの手から私の足元へドサリと放り投げられたのは、首の骨を折られて絶命した、丸々と太った野ウサギだった。しかも、ご丁寧に血抜きと毛皮の処理まで終わっている、生々しいお肉の塊だ。
「な、ななな、生じゃない……っ!?」
「あ? 当たり前だろ。生血が一番美味ぇんだからな」
「む、無理よ! 焼かなきゃお腹壊しちゃうわ!」
私は半泣きになりながら慌てて周囲の枯れ枝を集め、指輪の微かな魔力で火を起こした。
そして、震える手でウサギの肉を枝に突き刺し、焚き火にかざす。
「うぅ……ごめんなさい、ウサギさん……今までお城のシェフが綺麗なお皿に盛り付けてくれてたお肉って、こういうことだったのね……っ」
「おいおい、なんで泣きながら焼いてんだよ。……つーか、なんでわざわざ真っ黒に焦がして不味くしてんだ?」
隣で自分の分の生肉を野生の獣のようにムシャムシャと平らげながら、リルが不思議そうに首を傾げている。
(人間ってのは、美味い肉をわざわざ黒焦げにして食う変な趣味があるんだな……)とでも言いたげな顔だ。
私は鼻をすすりながら、黒焦げになったウサギ肉になんとかかじりついた。命をいただくって、こういうことだったんだ。私、何も分かってなかったな。硬くて苦かったけれど、リルが私のために獲ってきてくれた命の味がした。
その日の夜。
太陽が沈むと、森の気温は一気に氷点下近くまで冷え込んだ。
「さむっ……」
薄い平民の服と小さなマントだけでは、到底この寒さは凌げない。私は焚き火に身を寄せ、膝を抱えてガチガチと震えていた。
「おい」
不意に、背後から低い声が降ってきた。
振り返る間もなく、大きな影が私の背中をすっぽりと覆い隠す。リルが私の隣にドカッと腰を下ろし、彼が羽織っていた分厚い布地ごと、私を自分の大きな体の中に閉じ込めたのだ。
「……リル?」
「こんなとこで風邪ひかれて倒れられたら、足手まといだからな。……おとなしくくっついてろ」
ぶっきらぼうな声とは裏腹に、背中から伝わってくる彼自身の体温は、驚くほど高くて温かかった。
大きな腕で肩を抱き寄せられ、私は彼の中にすっぽりと収まるような形になる。耳のすぐ近くで、リルの低く規則的な心音が聞こえた。
「……ごめんなさい。私、本当に何もできなくて、体力もなくて……あなたに迷惑ばかりかけてる」
「ハッ。今さらだろ。俺からすれば人間なんかみんな軟弱なんだよ」
「ふふっ。さすが、神狼様」
私が小さく笑ってリルの胸に体重を預けると、彼は何も言わずに、私を包み込む腕の力を少しだけ強めた。言葉はなくとも、彼の高すぎる体温が「俺がお前を護る」と雄弁に語っていた。
冷たい森の夜風も、彼のボロボロのマントの中までは全く届かなかった。
最強で、不器用で、誰よりも温かい私の番犬の腕の中で、私は久しぶりに泥のように深い眠りについた。




