第9話・大司教クレイと秘密の部屋
ようやくみなに言葉を伝えられたと思った矢先、私は見覚えのない薄暗い部屋の中に転移させられていた。女神によって呼び出されたかと思ったが、違う。ここは神殿の礼拝堂ではない。
『……どこだ?』
小さなランプの明かりに照らされただけの室内で、天井まで届く高さの造り付け本棚が目を引いた。出入り口の扉以外は全て本棚で覆われており、窓も全て塞がれている。広さの割に圧迫感と狭苦しさを感じた理由はそのせいだろう。部屋の中央には大きな台があり、敷かれた布に怪しげな紋様がびっしりと描き込まれていた。その上に置かれた小さな皿には僅かな灰がこびりついている。
『気味の悪い場所だな』
扉や壁を擦り抜けて室外に出ようとするが、まるで肉体がある時のように阻まれてしまう。だが、もちろん生き返ったわけではない。今も変わらず実体のない幽霊だというのに、何故か部屋から出ることができないのだ。
『クッ、どうしたことだ!』
いきなり見知らぬ場所に飛ばされ、閉じ込められて困惑した。落ち着いて状況を判断せねばならないのに冷静になれない。
どこか擦り抜けられる場所はないかと室内を探るうちに、私はあることに気が付いた。
壁一面の本棚には様々な書物が収められている。背表紙を見れば、建国以降の歴史が記されたものや護国神である神々の経典などがほとんどであった。取りわけ、愛と平和の女神アスティレイアにまつわる書物が多い。
『もしや、ここは女神の神殿の中か』
私が立ち入ったことのある場所は祭壇のある礼拝堂くらいだが、神殿内部には当然他にも部屋がある。この部屋は書庫か資料室なのだろう。
「さすがはジークヴァルト陛下。御名答!」
私の呟きに対し、朗らかな声が返ってくる。驚いて振り返ると、いつの間にか室内に何者かが立っていた。白を基調とした法衣を身に纏い、栗色の長い髪を後ろで束ねた三十路半ばの男である。
『クレイ。私が見えるのか?』
「もちろん、しっかりとお姿が見えておりますよ」
彼の名はクレイ・ヴェリエーダ。女神アスティレイアを信奉する神殿の大司教位に就いている男である。平時でも細い目を更に細め、私に向かって迷いなく歩み寄ってきた。確かに見えているし、声も聞こえているようだ。幽霊となってから意思の疎通が出来た相手はティルナとクレイの二人だけ。嬉しくて、つい安堵の息がもれた。
『おまえと話せるとは運が良い。死んでからというもの、誰かに何かを伝えるにも一苦労でな』
「大変でしたね。わたくしでよろしければ喜んで陛下の話し相手を務めさせていただきますよ」
クレイは宙に浮く私の前に跪き、恭しく頭を垂れた。仰々しい言動は彼の癖のようなものだ。私とあまり変わらぬ年齢で聖職者の頂点に立っているからか周囲に侮られぬよう振る舞っているのだろう。
『早速だが頼みたいことがある』
「なんなりとお申し付けください」
床に膝をついたまま、クレイは顔を上げた。細い目と薄い唇が笑みの形を描き、私の言葉を待っている。
『みなの元に行きたい。外に出してくれ』
「なりません」
私の願いは即座に拒否された。表情は笑顔だが、強い口調で断られた。なんなりと、と言った舌の根も乾かぬうちに。
『クレイ、何故言うことを聞かぬ』
「ジークヴァルト陛下の御命令ならば叶えて差し上げたいところですが、解放だけは承服いたしかねます」
『なんだと?』
クレイの表情は変わらない。いつもの穏やかな笑みを浮かべ、私に対して敬意を払ってくれている。
『ク、クレイ……?』
だが、あまりにも変わらぬその態度が逆に恐ろしくなった。体があれば冷や汗をかいていただろうし、腕や背筋に鳥肌が立っていたに違いない。思わず後ろに下がるが、背中が本棚に当たってこれ以上距離を置くことが出来なかった。
そうだ。話せる相手が増えて嬉しくなり、すっかり忘れていた。実体を持たぬ幽霊の私が部屋から出られない原因はなんなのか。そもそも、この部屋に私を転移させた張本人は誰なのか。
「くふふ、陛下の困ったお顔は最高にそそりますね」
『ひっ』
ゆらりと立ち上がり、再び近付いてくるクレイの姿に恐怖を覚えた。
「貴方様の崩御の報せを受けてすぐさま準備に取り掛かったのですよ。神殿に伝わる古の儀式に“魂の牢獄”と呼ばれる禁呪がありましてね。それを用いれば陛下の魂をわたくしだけのものに出来るのではないか、と」
この部屋に呼び寄せられ、出られなくなった理由は禁呪の効果だったのか。
女神アスティレイアから聞いた話を思い出す。訃報を聞いてから大司教は神殿の奥にある執務室に籠っている、と。悲しくて閉じこもっていたのではない。国葬の手順を調べていたわけでもない。禁呪を実行していただけなのだ。
「お慕い申し上げております、ジークヴァルト陛下」
クレイは異常だ。狂っている。死者の魂を天へと導くことこそが聖職者である彼の役割のはずだ。禁呪に縛られた私はこの部屋の中で未来永劫囚われ続けなければならないのか。
絶望に打ちひしがれていると、部屋の外から何か聞こえてきた。コツ、コツ、と響く硬質な足音がこちらへと近付いてくる。しばらくして、部屋の扉が開かれた。
天の助けか!
期待に満ちた眼差しを来訪者に向ければ、そこには見慣れた人物が立っていた。灰緑色の髪、丸眼鏡を掛けた白衣姿の青年。王宮医師セオルドだ。彼はおどおどとしながら、扉の隙間から室内を覗いている。そして、クレイの姿を見つけて素早く中へと滑り込んだ。
「クレイ殿、うまくいきましたか」
「ええ。貴方の協力のおかげですよセオルド先生」
セオルドも関わっていたのか。二人のやり取りに、私はただただ戸惑うばかりだった。




