看病
翌日、翌々日も、ルカの熱は下がらなかった。
水で冷やした布巾を額にひたと載せると、うなされて寄っていた眉の険しさが少しだけ和らいだ。
あれから、覆い被さるようにしたまま気を失ったルカをそのままソファで看病する流れになった。
ハンモックに戻そうか悩んだが、流石に看病しにくいので、ソファに寝かせた。
指先を動かして、ルカをふわりと浮かせて、優しくソファに着地させる。
手をじっとみる。やっぱり魔力も本調子ではない。
幸い備蓄はまだあるし、しばらくはこの小屋から出ずに過ごすことにした。
少なくとも満月が終わるまでは。
鬼螻蛄に壊されかけた結界を丁寧に修復を繰り返し、平穏な殻のなかに二人と一匹で篭り続けるのは、ひどく閉鎖的で、なぜか背徳感があった。
働いてないと落ち着かない体質になってしまったのかもしれない。
病人食なんて作ったことなかったけれど、あのチキンスープを見様見真似で作ってみた。
そっとルカの口元へ運ぶと食べてくれてホッとした。
私もまだ月の影響を受けているので体が怠い。
ときどき、床に毛布を敷いて、隣に寝た。
看病が始まって五日目。
ようやく熱が下がってきたようだ。
冷えた布を額に当てたばかりのときのようにふわっと眉間の皺が緩んだ状態が続いていて、表情に軽さが出てきた気がする。安堵のため息がこぼれた。
いつものように目を閉じたままのルカの口元に食事を運び、皿が空になるとうーんと伸びをして庭に出た。魔力の調子も戻ってきたので、結界ももう一度張りなおす。
午後は久しぶりに庭の野菜たちの世話でもしようかな、とうきうきしていると、同じく庭に出てきていたネロがさっと部屋の中に入っていった。
何気なくぼんやり目で追っていたが、あっと声を上げた。
なんとそのまま地下へと続く階段を駆け下りていくじゃないの。
「あっ、ちょっと!」
慌てて私も部屋に戻り、ネロを追いかける。
どうやらここずっと、地下室の扉は空いたままになっていたらしい。
看病に気を取られていて全然気が付かなかった。
あの子ったら、これまで興味を示したこともなかったのに、実は今までの機会を狙っていたのかしら。
ルカが倒れたのに乗じて探り入れてやろうって魂胆か??
「こらあー、そこはルカのアトリエだよ。入っちゃダメだってーー!」
とんとんと階段を下りて扉の前に立つと、中から絵具だろうか、画材の独特なにおいがふぅっと漂ってくる。
ときどきルカの衣服からも感じるにおい。
わりと刺激が強いはずのこのにおいが、私はなぜか苦手ではなかった。
部屋の主が寝込んでいるときに勝手にはいるのは気が引けたが、ネロを放っておいて惨事が起きたら益々申し訳ない。
「ちょっとだけ、失礼しまーす…」
なぜか小さな声で呟いて、戸を開ける。中に足を踏みいれた。
「…ネロー??」
地下室は、どちらかというと半地下くらいの感じで、天井が低く、思っていたよりも広々としていた。
中は意外と明るい。
地面ギリギリのところに横長につけられた採光窓が、ちょうど朝の陽光を東から採りこんでいる。
画材は細かく仕切られた文具棚にすべて丁寧に収められ、おもいのほか片付いている。
制作済みらしいキャンバスがあちこちに立てかけられていて、アトリエというよりもギャラリーのようだった。
失礼ながら、もっと雑然としていると思っていたわ。
なんか、画家のアトリエってそういうもんじゃない?イメージ。
ネロを探しながらきょろきょろしていると、あちこちにかけてある絵が視界に飛び込んでくる。
そこに描かれた赤い髪と瞳の女の子とはたと目が合って、私は立ち止まった。
「え…、これ、私?」
それは、今の私よりもいくらか幼いような気がした。
画家に描いてもらうときのお決まりの角度で、澄ました顔をした、お見合い用の絵姿のようだった。
「なにこれ。なんで、これが…」
その隣には、更に小さい姿だったが、間違いなく『ニコリナ』だった。
短い手足をあらんかぎり振り回して庭で駆け回っているような自然な背景とともに、遊びまわる子どもの私の様子が描かれていた。
それだけじゃない、あちらにも、こちらにも、いろんな年齢の、いろんな姿をした『私』がここにいた。
一番奥に、今とほとんど変わらない『私』が、キャンバスから微笑み返していた。
真っ白なドレスを着て、淡く頬を染めた、驚くほどの美人に描かれていた。
きらきらとした赤い瞳が柔らかく綻んでいて、視線の先のもののすべてを信じている瞳で笑って、今にも近づいてきてしゃべりだしそうなほどに生き生きとした女性の絵だった。
…がたん!
物音ではっとして我に返る。
狼狽えて周囲を見回すとネロが入口のあたりの柱ですりすりしていた。
「ネロ!こんなところにいた。もう、いたずらしちゃだめよ。」
何かを誤魔化すかのように、早口で黒猫を追い立てて私もまた急いで部屋を出た。
ばたん、と扉を閉める。
ずりずりずり、とそのままそこでしゃがみこんでしまった。
ばく、ばく、ばく
心臓があり得ないほど大きく鳴っている。肋骨が苦しい。
だって、あんなの。
あんな顔、描けるなんて。そんなの間違いないじゃないか。
うずくまって、うーっと唸ると、部屋から先に追い出されていたネロが不思議そうにこちらを振り向いた。
私は振り向いてアトリエの絵をもう一度確かめることは、できなかった。




