おそろい
さらさらさら。さらさらさら。
若葉にあたる水滴の音が耳に心地よい。
私は、いつもの菜園にいた。
畑の脇にある丸太のベンチに腰掛けて、人差し指をぴっと一本伸ばして、うろうろとさせる。
私の指の動きに合わせて、水がたっぷり入った如雨露はあっちにうろうろ、こっちにゆらゆらとして万遍なく草花に水を与える。
さらさらさら。さらさらさら。
水を与えても与えても、如雨露は勝手に満ちる。
魔法というのは便利なものだ。
十分になると、如雨露はひとりでに止まって私の足下に降りてきた。
露に濡れた葉がきらきらと陽の光を反射して美しい。
それを眺めながら、はあ、と重めの溜め息をひとつ付いてしまう。
爽やかな菜園の情景とはうらはらに、私の気持ちはここのところ沈んでいる。
*
街に出たあの日、あれから買い物を済ませて一度ギルドに戻ると、掲示板の前に人集りができていた。
ひとまず鑑定後の報酬を受け取りにいってから、溜まり場に顔を出すと、カルラの森の討伐対象が新たに追加掲示されたところだったらしい。また、なかなかの数が並べられている。冒険者たちは不安げなものから武者震いをするものまで、皆一様に興奮状態だ。
私を待っていたルカも、その中に混じって一つの掲示に見入っていた。
「鬼螻蛄…?そんなのまで来るの?あの森に?」
カルラの森は主に獣種の魔物が住まう森だ。昆虫型の魔物は洞窟や地下道や暗いところを棲家にしていることが多いので、そこまで鬱蒼としていないカルラにいるのは珍しい。
やはり何か、ここのところのカルラはおかしい。自然の摂理とは異なるものに生き物たちが操作されているみたいだ。
ルカは曰くありげに鬼螻蛄の図解を見つめていたが、私の視線に気が付くとハッと顔をあげて一歩掲示物から遠のいた。
「行こう、ニコリナ」
それきり、家に帰るまで彼は一言も喋らなかった。
おかげでまた、気不味い荷馬車の旅を送ることになったのだ。
*
そのまま菜園のベンチで物思いに耽る私の膝に、ぽふっと乗ってくる者があった。
「お!朝のお散歩はおしまいかな?」
やってきたのは、おそらく猫科の魔獣の子ども。
まっ黒な体で模様も判然としないため、成獣にならないと何の魔獣になるか定かではない。
今は一見すると少し足の太い黒猫って感じだ。
しぐさも猫のそれと変わりない。
今は片足をあげてショリショリとお腹を舐めている。かわいい。
実際、猫科の魔獣は成体になるまで人間の庇護を受けることで危険を守る者が多いらしい。
その為、生存戦略として愛らしい猫の姿を模倣しているともいわれている。
この子は例のピザパーティーのときに集まってきた小動物のうちのひとりだった。
他の子たちはベルグリズリーの出没直後に自分の棲家に帰っていったが、この子はそのままニコリナに懐いてくれた。
耳の後ろをカリカリっと掻いてやると、気持ちよさそうに目を瞑って後頭部を手に擦り付けてきた。きゃわゆい。ちなみに名前はネロにした。黒いから。
*
「森を離れたら」
ルカにそう言われたのは、街から帰った日の夕食の時だった。
買い出し直後の食事はいつにも増して豪勢で、森では手間がかかって作れないようなものも今日は食卓に並んでいる。
私は大喜びでミートパイのひと切れにかぶり付いた、まさにその瞬間のこと。
水を差すとは完全にこのことだ。
「………なんで?」
無理矢理いそいで咀嚼して、パイを飲み込んだ私は問い返す。
けれど、ルカは何も言わなかった。
「私の身を案じているなら余計なお世話よ。特に今は魔力が有り余っているから」
「鬼螻蛄とはもともと相性が悪いだろう」
……なんでそんなことルカが知っているの。
鬼螻蛄は外殻が非常に魔法耐性が強く、素早い。
しかも好戦的なA級魔物。
物理攻撃派で、それも大鎚とか、大剣とかが柄物の怪力タイプか、一瞬で急所を狙う超俊足タイプの冒険者たちが得意とするターゲットだ。
つまり腕力がなく、魔法ありきの戦い方である私は出会いたくない。それは本当。
「そんな、まだ私と出会すと決まった訳じゃ…ない、し」
楽観的なことをヘラヘラしながら言うと、ルカにぎろりと睨まれた。
ううう、眼力つよい。こわい。
その日のせっかくのご馳走は、なんだか味がしなかった気がする。
全部ちゃんと食べたけど。
膝の上の黒猫もどきを撫でくり回しながら回想していたら、なんだか段々と腹が立ってきた。
ルカが私の心配をしてくれたのは、なんとなく分かる。
ツンとした顔してるけど、それくらいの情はある男だと、同居していれば判ってくるものだ。
けれど、他にも言いようがあるということを、いい加減学んだほうがいいと思う。
少なくとも、私はにべもなく「出てけ」と告げられて頷く人間ではない。
それに…
そりゃ、ルカは私が来る前からここに一人で住んでたわけだし?自己完結していた生活習慣ルーティンが乱されたかもしれないけどさ。
小屋の安全はより一層保たれていたわけだし、ルカだって私が獲ってくる『ご馳走』喜んでたじゃん。
モデルだって渋々引き受けてやってたじゃん。
そんな、すぐに「離れたら」なんて言うことなくない?
…私は結構、気に入ってたんだけどな。この同居生活。
「絵に描かれるのにも慣れてきてやったのに…」
ぷっと頬を膨らませて呟いていると、ネロがぺろりと彼女の頭上で止まっていた手を舐め上げた。
「ああ、ごめんね」
久しぶりに立ち上がったからか、少し眩暈がして壁に手をついた。ネロのことを落とさないように、もう片方の手でぎゅっと抱えた。
「お日様浴びすぎたかしら」
ふらふらと部屋に入っていくと、そこにルカが仁王立ちしていた。
*
「だからあ、ちょっとよろけただけだって!」
「いいから昼食まで寝てて」
「だって、…うぷっ」
眩暈を起こしたところをルカに見咎められた私は、そのあと有無を言わさずソファに連れて行かれ、寝かしつけられた。
陽を浴びすぎただけだと思うと言ったら、氷嚢を額に乗せられて。
起き上がろうとしたら、ぼふんと頭を大きめのクッションに預けられ、さらに毛布をかけられた。
過保護が過ぎるよ。
「ネロ、見張っといて」
「にゃお〜う」
マーケットで仕入れたばかりの干し肉のスライスを投げられると、ネロはすかさずキャッチして大変良いお返事をした。
私の胸のうえに陣取って、うれしそうにカミカミしだした。う、動けない。
「ううう、裏切り者めえ」
ネロはご機嫌である。
仕方なく、ソファからルカの背中をぼんやり眺める。
カタカタトンと小気味良い音をたてながらキッチンに立っている淡いグレーの髪は、こちらを振り向かない。後ろ姿だけ見ていると、なんだか不安になってくる。怒ってるのかな。呆れてるのかな。私が一緒に住むことに、もううんざりしている?
実をいうと、まだ視界がくらくらしている。
原因は分かっている。
満月が近い所為だ。
けれど、ここでそんな体調を明かすと追い出すモードに拍車がかかりそうで、私はなんだか素直に弱音をこぼせなくなっていた。
あれ。なんか涙腺ゆるむ。
いかん、これは本格的に体調不良だ。
心に影響を及ぼし始めておる。体が弱ると心も弱気になる。
毛布の端でそっと目尻を拭ったところで、ふわりといい香りがしてきた。
これは、チキンスープだ。
私が初めてこの家で食べたものと、同じ匂い。
ぐゆゆゆ、と空気を読まない私のお腹が鳴る。
ルカの背中がぴたりと止まってから、肩を揺らして、震え出した。
絶対笑ってるでしょ。こら。
大きめのボウルにチキンスープをたっぷりよそってから、ルカはちぎったパンを中に入れた。
ローテーブルに二人分の食事を置くと、今度は、飲み物とカトラリーをもってこちらにやってくる。
陶器のマグカップを、ふたつ。
それを見たら、またじわじわと込み上げてきて、潤んだ目を誤魔化すように毛布を顔まで持ち上げた。
ずるずると引っ張られて、ネロが苦情の声をあげて胸から降りた。
「なに。今日はちゃんと始めから鶏も入ってるよ」
だから拗ねるな、というようにガシガシと頭を掻き回された。
なによそれ。
子ども扱いしてるわけ?
違うもん。
そんなことで、拗ねてんじゃないもん。
なによ。いつの間に、そんなの買ったのよ。
全然気が付かなかったよ。
追い出されたくないとか、私は不要なのかなとか、ひとりでいじけてた私が馬鹿みたいじゃない。
ほろほろと頑なになった何かが解けて、言葉もこぼれ出た。
「わたし…」
「うん」
「まだ、ここにいたい」
「そっか。」
「うん……」
「うん」
「あれ(オニゲラ)が居なくなるまで、誰かが討伐するまでは、外に行くのは我慢するから。…家の中にいるから」
「うん、…分かった」
最後に頭をぽんぽんっとされて、「食べよ?」と軽く言われた。
なんだか気恥ずかしくって、のろのろと毛布から這い出す。
いまだ鳴り続けるお腹のために「いただきます」とスープに手を伸ばした。
そんな優しい目で急に見ないでほしい。
居た堪れなくてチキンが飲み込めない。
すべてを美味しく平らげてから、私は自分の現在の不調についてありのままを説明した。
月は生物の体内魔力に影響を与えるらしいこと。
月が満ちると魔物は魔力が増える傾向にあること。
私の場合は、魔力が有り余っている体質なので体が熱っぽくなったり、頭が重くなったりすることがあるということ。
ルカは私の説明を静かに聞いていた。
「それは、魔法使うと少しは楽になる?」
「うん。でも相当な量を消費しないと変わんないかも…」
「じゃあさ、この小屋の結界を強化してくれない?それならニコリナが休んでいる間も安全性が高まるし一石二鳥だ」
「……わかった!」
私の力がちゃんと頼られているようで、嬉しかった。
張り切った私はその日の午後にさっそくやってみることにした。
すでにある壁を分厚くするイメージで結界に手を当てる。
ひととおりかけ終えてから、「こんなもんか」とお茶を二人分のマグカップに淹れたそのとき。
ふーーーーーっっっっ
ネロの低く唸る声が聞こえてきた。
菜園の方からだ。
「なあにネロ、鼠でもい、た?」
バキバキバキ、と森の奥で何かが音を立てている。
明らかに異様な物音にざわざわと総毛立つ。
「ネロ、こっちおいで」
魔獣の子を腕に抱えると、私は小屋の裏口へと急いだ。
扉を閉め、一度身を隠してからそっと窓から外を覗き見る。
「う、そ…」
そこには、何故か掲示板で見たのと同じ、巨大な昆虫型の魔獣の姿が。
森の奥からこちらへまっすぐに突進してくる光景があった。
「なんで」
「ニコリナ!」
背後から声がして、首筋が震えた。
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