研究者が読む文章 —一般読者にも開かれた視点—
今回はちょっと書いてみようかなという気分で書きましたので、多少のミスは許してください。もし難しく感じた場合、読まないことを推奨します。
加筆:これはあくまで抽象論です。
さて物理学や数学、歴史学など面白いといえることの本質は何でしょうか?
計算すること?もしくはそれらに関しての知識を得ること?またそれらの複合型でしょうか?
自分が思うに、『考えを重ねること』と確信してる。
ここでとある公理ともいえる考えについて以下において思考を深める。
まず最初に、【物体、事象がある】という考えです。これに関しては、これ以上証明しなくていい公理ともいえる節がある。また、「ある」ということはあらゆる理論を”成り立たせている”と考察できるかもしれない。先述において一部反論の余地があるかもしれないが、それは量子論において決定論が否定されたのであって「ある」が否定された訳ではないことに気づける。(強いて言えば、「ある」がないならば、量子状態がないともいえる。)
そして次に【物体、事象において必ず性質が発生しうる】という考えである。これは人であれば、”その人なり”ともいえる個性である。すなわち、『すべての人にその人なりがある』という普遍の法則に落とし込める。思考も性質だとすると、『どのような人でもその人なりに考察している』という法則が導ける。『どのような人でもその人なりに考察している』ことは一般的であり、誰も逃れらない法則であり、具体的に言うならば「その人なりに考えていたと思うし、その時あなたなりに考えていてその人その人で考えの方向性や考察した量は違う」、これは何らかの研究してるもしくは携わった人においてはある程度の頻度でよくあることだと推測はしている。それの積み重ねにより、科学は発展してきたともいえる。
さらに3番目に【肯定/否定ありきの発展】は言うまでもない。(自分で考えること。)
そして最後に【探求の累積が知恵となり、その累積が知識となり、知識が現代社会を形ずくった】という考えである。これもまた言うまでもない。(自分で考えること)
以上より『物事、物事の性質、肯定/否定、探求の4点を満たしているほど発展する』という法則が導かれる。
具体的にいうならば、そこから『個性の否定、個性の肯定、探求の否定、探求の肯定、物事の否定、物事の肯定、物事の探求のそれぞれだけだと発展は生まないことは確実である』ことも導ける。
さらにここで自分は『それぞれの立てた(考えた)仮説』による発展は一種の研究者の信念として考えられうるので、これを”研究者魂”とも言うことにし、読者方には「この”研究者魂”を身に着けてもらいたいな」と思う節がある。自分は研究者の端くれともいえない立場で初学者でもあり一部において素人だが、最終的に言いたいこととして、物理学や数学、歴史学など面白さのすばらしさ、すなわち、それに限らず学問においての考えることの新の楽しさをわかってもらいたいのが主である。
(現代では理系YouTuberやインフルエンサーが活躍していますし、本好きの方には Newton 別冊や書物、論文などさまざまな資料があります。そうした広がりの中で読むこれも、きっと一味違って感じられることでしょう)
加筆:法則において、その人にとっての昔に、その中で欠けていたものがあったという考え方も成り立ちます。またその中以外があったとしても少なくとも”発展”がないという考え方も成立します。
※これは自分の考えであり、あなたの考えではありませんので間違っている可能性が高いです。
計算することも結構楽しいよね~。単純作業となるとつらいけど............関係ないけど辞書って面白い
昔はわからなかったけど今ならアルキメデスの亡くなる瀬戸際の気持ちわかる気がする.........
追記:まあ研究者魂の上での話なら、どのような方でも文を書いて文を少し削って文と文の間に『(自分で考えること)』などのような表現をはじめとした『自明であるため省略する(確認は各自に任せる)』のような過激な表現まで使われていくんだろうなと思いました。




