第六話 稽古(けいこ)
大理石造りの古びた祠・風の祠堂。遺跡のような祠堂に比べると、そばに建てられた木造の山荘は築年数が新しい。
ヤストキがこの地に現れてからというもの、その山荘は孤児院のようなものになっていた。
春の柔らかな陽ざしが居間に差し込む。
その日も朝食後から、ヤストキによる授業が行われていた。
「8+4はいくつかな?」ヤストキは黒板に”8+4=”と書いた。
今日は算術の授業である。
「わかった人は石盤見せて」
「はーい」ミルティアの石盤には「12」と数字が書いてあった。
「うん、ミルティア正解」
次いでヴィオレータの石盤を見ると、○が十二個と12と書いてある。
「ヴィオレータも正解」
「うーん……」カーシアは指で数えて詰まっていた。
ミルティアとヴィオレータは、様子を見守っている。
「両手の指の数じゃ足りない時は……ちょっと借りるね」ヤストキは食料庫からウズラ豆をひとつかみ持ってくると、テーブルに並べた。
「10のまとまりにして、数えてごらん」ウズラ豆を8粒と4粒並べる。
カーシアは10粒と2粒に並べた。
「えーと、12!」
「はい、よくできました」
カーシアは満面の笑みを浮かべた。
「では次、9と6を足すと……」
その後、ヤストキはいくつかの計算問題を出し、めあての達成を確認した。
一律で小学一年生レベルから教えるのは、当初は内容が簡単過ぎるかなと思ったが、段階を踏む必要があった。
足し算は指を使えばわかるものから、繰り上がりは具体物を使ってイメージさせるしかない。
授業の振り返りの後、おまけとして童話の読み聞かせをしていたが、話が尽きてしまった。
「えーっ、今日はお話無しなの?」女児たちは口をそろえていった。
「はい……」
「お屋敷にも本がいっぱいあったわ」ミルティアがいう。
「じゃあ、後でちょっと借りてくるよ」
授業後、ヤストキは領主の屋敷に来ていた。
「ようこそ、ヤストキ殿」執事のエールリッヒは快く出迎えた。
「本を貸していただけませんか?子供たちに読み聞かせたいので、物語とか」
「ふーむ、物語。屋敷の書庫に坊ちゃまが昔読んでいた本があるかもしれません」
「坊ちゃま……?」
「今は王都に出仕している、長男のテオドール様です。さあ、ここです」
書庫は二階にあり、四段造りの本棚が五棹据えられている。
しばらく探すと童話を見つけ、三冊借りた。
「では、お借りします」
「どうぞ。私は事務仕事があるので、あとはよしなに」
執事は執務室に消えた。
帰ろうとした時、廊下で一人の中年兵士に声をかけられた。
「これはヤストキ殿、ご苦労様であります」茶色い顎髭の中年兵士が敬礼する。
「ご苦労様です」
「あっしを覚えてますか」顎髭の中年兵士が唐突にいった。
ヤストキは本を抱えたまま困惑した。
「すまない……どなた?」先日、エンレストの街に行ったときに同行した兵士とは違うようだ。一般兵よりは皮鎧など身なりが良い。剣の模様が描かれたケープを羽織っている。
「ヤストキ殿が祠に現れた時に居合わせた、バモスと申しやす。いやはや、あの時はビックリしたんでさぁ」
「驚かせてしまって申し訳ない」ヤストキもあの時はビックリした。プールで死んだと思ったら中世もどき世界にいたのだから。
ちょうどそこに、領主フラットヒルも通りかかった。
「百人隊長、午前の巡回ご苦労」
「お館様、今日も領内は異常無しであります」
バモスと名乗る中年兵士が領主に敬礼し、ヤストキも一礼する。
「このバモスは我が部下で、百人隊長を勤めている」
「へへ、よろしくお願いしやす」
「まぁ百人隊長といっても役職名で、部下の兵士は半分にも満たないのだが、剣も弓も腕のたつ男だ」
「僕も剣と弓の使い方を知りたくなりました」
ヤストキは先日、ゴブリンに遭遇した。倒せたのはまぐれに等しい。
自分の身だけでなく、一応は保護者として物理的に孤児たちを守ることも必要になってくるかもしれない。
「先日、ヤストキ殿の腕は間近で見たが、剣の心得ある者と思ったが」領主フラットヒルは意外そうな顔をした。
「いえ、たぶん偶然です」
「それは良き志。百人隊長、軽く稽古をつけてやるがよい」
「承りました、お館様。ちょうどヒマ——もとい、腕がなまってたところです」
早速、中庭で弓の稽古が始まった。
射場は約20メートル先に砂の土手と丸い的がある。
「弦をアゴに付けるくらい引いて、そうそう。引き手の人差し指をアゴの下に。手で引くのではなく、背中の筋肉で引く」
バモス隊長に言われた通り、ヤストキは弓を構える。
「的を利き目でよく見なされ。そして、放つ」
矢は的からわすがにそれて土手に刺さった。
二射目。今度は的にギリギリ当たる。
「なかなか筋がいいですぞ。いずこかで習っておいでか?」
「昔、弓道をいささかたしなんでいました」とは言っても、市民講座の講習会レベルなのだけど、と心の中で付け加えた。
次は剣術。
「長剣、短剣、長柄のハルバード。何がお好きか?」
「では短剣で」山荘に置いてあったのが短剣だったから、という単純な理由でヤストキは短剣を選んだ。
切っ先の丸い木剣で型を習う。
上段斬り、横薙ぎ、突き。そして盾の構え。
それら反復練習で、ヤストキは肩で息をしていた。
バモス隊長はヤストキの疲れを察したのか、続きはバモスが村の巡回ついでに行うとして、即席の稽古は終わった。
その翌日。
山荘では朝食後の授業後、女児三人が庭でハーブ摘みをしていた。
この前、新しいワンピースを買ってもらえたのでミルティアは機嫌が良かった。
鼻歌を歌いつつ、てきぱきとハーブを摘んで籠に入れている。
「ヤストキ先生、今日も出かけて何してるのかな」カーシアがいった。
「お屋敷の方に行ったね」ミルティアはハーブを摘みつづける。
「本は昨日借りてきたのに——もしかしたら、きれいな女の人とお見合いしてるのかも」と、ヴィオレータ。
「えっ!?」ミルティアは籠を落としそうになった。
「てきとーに言っただけなのに、どうしてあせってんですの?」
「あせってなんか……」
「後をつけてみましょう」ヴィオレータは籠を置いて早足でいなくなった。
「こそこそするの良くないよー」と言いつつ、ミルティアは籠を持ったまま後を追う。
「あたしもいくー」カーシアはおもしろそうなので後に続いた。
カン、カンカン!
屋敷に続く道沿いの空き地で、木剣を打ち合う音が響く。
バモス隊長による、剣の稽古の最中だった。
木剣と皮の盾を持ち、対人で型の反復を行う、いわゆる約束組み手である。
「足が棒立ちですぞ。手だけでいなそうとせず、片足を交互に動かして半身をずらして躱しなされ」
「なるほど、フットワークか」ヤストキは汗だくになりながら言った。
その様子を、木々と茂みの陰から覗く三人の小さな姿があった。
「へー、百人たいちょーと剣のおけいこしてたのね」カーシアがいった。
「剣も忘れて出かけようとする方だから心配でしたけど、男のおつとめちゃんとしてますわね」ヴィオレータが感心する。
「良かったー、剣のおけいこで」ミルティアは胸をなでおろした。
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