第五話 初戦闘と積み木と
朝、二台の馬車がヤストキたちの住む山荘の前に停まった。
領主一行が玄関まで迎えに来たのである。
領主フラットヒルは鎖帷子のベストの上にマントを羽織り、腰には長剣を帯びている。
ヤストキは水色のチュニックを着て、紺色のケープを羽織っていた。
ミルティアはヤストキの出で立ちに気づいて、物置から短剣と皮のベルトを
持ってきた。
「ヤストキ先生、わすれものです」
「男が門を出るときは大事なものですのよ」ヴィオレータは短剣と皮のベルトをヤストキに身につけさせた。
「あ、ありがとう」
「まるで夫婦だな」領主が微笑んだ。
「ヤストキ先生、今日はじゅぎょーないの?」カーシアがたずねる。
「今日はお勤めだからね。夕方には帰るから、ちゃんと留守番するんだぞ」
「いってらっしゃいませー」女児三人は手をふった。
先頭の馬車にはヤストキと領主フラットヒルが、もう一台には皮鎧に身を包んだ護衛の兵士が五名同乗している。
見通しのいい、草原のなだらかな道にさしかかる。
「なぜ僕にこれほど気を遣ってくださるのですか?」ヤストキがたずねた。
「父の代、風の祠堂から賢者が現れた。その賢者は農業の指導を行い、貧しい領地は豊かになった。その恩返しなのだ。父の遺言でもある」
「ご期待に添えるようがんばります」その賢者と自分のつながりはよくわからないが、そう答えるしかなかった。
出発から約二時間。
森の林間地で休憩をとなった。馬車の周囲で皆がくつろいでいると、
藪から異形の者たちが現れた。
緑がかった茶色の肌に襤褸服をまとい、尖った耳と剥き出しの歯と充血した
黄色い目、その者たちの手には錆びた剣や棍棒を持っている。
異形の者たち は十匹ほどいた。
「ゴブリンだ!」見張りについていた兵士の一人が大声でいう。
馬肉が目当てなのだろう、馬に飛びつこうとしたゴブリンは兵士の一人によって斬られ、倒れる。
他の兵士も剣を抜く。
領主フラットヒルも長剣を引き抜いた。
四十代後半の壮年ながらも、ゴブリンの首や胴を次々となぎ払った。
ゴブリンはヤストキにも向かってきた。
「仕方ない」突然の状況に動きが止まっていたヤストキも短剣を抜いた。
棍棒を振り回して迫るゴブリンを、後ずさりしながら躱す。
ボカッ!
「うぐっ」棍棒が左腕に直撃した。
ヤストキは薪割りを思い出し、短剣の柄両手で持ち替え、思い切り短剣を振り下ろした。
ザシャッッ!
ゴブリンは斜めに斬られ、そのまま倒れた。
「お見事です、ヤストキ殿」兵士の一人が言う。
どうやらヤストキが最後の一匹を仕留めたようだ。
馬車に乗り込み、一行はすぐその場を出立した。
「ヤストキ殿、初めてにしては見事な太刀筋であった」領主フラットヒルが褒める。
「ありがとうございます……でも、生き物の命を奪うのは気分がよくありません」
「なるほど、それも道理だ。しかし魔物にはそんな慈愛の心や理屈は通用せん。弱ければこちらが殺され、時には食われる」
「わかりました。死ぬのは一回で十分ですからね……痛たたっ」
初戦闘の興奮が冷めると、左腕の痛みが急に来たのだった。
麦畑や民家が見え、しばらくすると街が見えた。
エンレストの街は城壁こそ無いが、街の外も見張れるよう、石造りの物見矢倉も建っている。
街道沿いに面しているからか、物資を載せた荷馬車の往来がにぎやかである。
フォルテン子爵の邸宅は、街の中心部にあるレンガ壁の二階建ての建物だった。
邸宅に着いてすぐ、ヤストキは修道士の治療を受けた。
「軽い打撲です」屋敷付きの若い修道士は慣れた手つきで患部に軟膏を塗った
修道士が手をかざすと暖かな光がぼうっと射し、左腕の疼きが治まった。
手かざしで治療できることにヤストキは驚いた。
ヤストキと領主フラットヒルは広間に案内された。
フォルテン子爵は20代前半、代替わりして間もない若い領主だった。凝った刺繍のあるブリオーをまとい、絹のケープを羽織っている。領主フラットヒルと雑談する様子から温和そうに見えた。
部屋の隅に絨毯が敷いてある。二歳か三歳くらいの幼い男児もいて、その横の椅子に若い子爵婦人が座っていた。
「この者は最近当家に迎えた客人で、教育学者のヤストキと申す」
「ご機嫌うるわしゅう、フォルテン子爵」教育学者とはいきなり偉い紹介だ。博士号をとった訳ではないのだけど。ヤストキはお辞儀しながら思った。
「異なる世から来た御仁と聞くが」
「何か見せてさしあげたまえ」領主フラットヒルが促す。
「えーと、このような教育器具を用いまして、子供たちに教えています」ヤストキはリュックから木片をいくつも取り出して見せた。
四角・三角・柱——ヤストキは薪割りの合間、ブナ材で積み木セットを作っていた。
当初、ヤストキは立方体など図形教育の一例として積み木を見せる予定だったが、退屈そうな幼児を見てふと閃き、
「ご婦人、失礼します」と幼児のそばに積み木を置いた。
「これは幼児向け玩具で”積み木”と申しまして、このように家などを見立ててて作ります」
ヤストキは積み木を積んで家を作った。
幼児が手を伸ばす。積み木に興味があるようだ。
やがてニコニコしながらヤストキに倣って四角の上に三角をのせ、家を作った。
「まぁ、坊やが遊んでいるわ」子爵婦人が喜ぶ。
「ほほっ、楽しそうに遊んでおる」フォルテン子爵も感心する。
「よろしければ進呈いたします」
「では、ありがたく頂戴するとしよう」
その後、早めの昼食をフォルテン子爵と共にとり、
「ヤストキ殿はお茶でもいかが?我々は政の話があるのでしばし待たれたい」と領主フラットヒルから目配せで提案された。
「あのー、街を見に行っていいですか」
「それは良い。では午後一番の鐘が鳴ったら、この屋敷前に来てくだされ」
ようやくお勤めから解放されたのであった。
ヤストキは市場に向かった。
この街もフラットヒル領と同様、日時計を見て鐘を鳴らすらしく、鐘が鳴るのはだいたい三時くらいと目算した。
何かの女神らしき像がある広場に市場があった。
石段の下に、串焼き肉・香辛料・菓子など様々な露店が並んでいて、老若男女で賑わいを見せていた。
「兄さん、盾買いなよ。安くしとくぜ」武器屋の露店で声をかけられるも、
「すまない、また後で」
ヤストキは服屋を探していた——ミルティアたち三人がお屋敷に預けられていた時は、服はメイド長のお古などを借りていたらしい。
菓子屋の露店で菓子を買い、中年の女性店主にたずねる。
「女の子向けの服ってどこに売ってますかね」
「服屋ならあっちに何軒かあるよ。お貴族様用?」ヤストキの身なりを見ていう。
「庶民向けので」
やがて服屋のある通りを見つけた。
「子供用の服が欲しいんですが。背丈はこのくらいで、体の幅はこのくらいで……」身振り手振りで女性店員に伝え、
春夏向きの簡素なデザインのワンピースやスカート、ついでにリボンも三人分買って馬車の待ち合わせに戻ったのだった。
帰路、領主フラットヒルはフォルテン子爵との会談を要約してヤストキに話した。その中身は、領地内で魔物の被害が最近増えていて、近い内になんとかしたいとのことだった。
夕方、日没前にヤストキは山荘に帰宅した。
「ただいまー、おみやげ買ってきたよ」ヤストキは布袋から服を取り出す。
「おかえりなさー……あ、お洋服」ミルティアの目がかがやく。
「わーい、新しいリボンだー」とカーシア。
「き、着ていいんですの?」ヴィオレータがたずねる。
「もちろんさ」
女児たちは屋根裏部屋に上り、さっそく着替えて居間に下りる。
「わー、きれい」ミルティアは桃色のワンピースを、ヴィオレータは萌黄色のワンピース、カーシアは紺色の吊りフレアスカートを着ていた。
皆、くるっと回ったり、布地をさわって感触を確かめている。
「うん、似合う似合う」
「ヤストキ先生、ありがとー」ミルティアたち三人はヤストキに抱きつくほど喜んでいたので、どぎまぎしつつも安堵したのだった。
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