第三話 今の自分にできること
三人の女児が温泉に来た時、女子風呂に大人の客はいなかった。
ミルティアが髪を洗おうとしていると、脱衣所から最後に入ってきたカーシアが背後を駆けていったのを見た。
カーシアは客が誰もいないのを確認すると、
ザブンッ!と湯船に飛び込んだ。
「カーシア、 飛び込んじゃダメでしょー」ミルティアが声をあげる。「大人の人がいないからって……もー」
「ちゃんと体を洗ってから入りなさいってば。メイド長に言うから」石鹸を握りしめ、ヴィオレータが怒りながら言った。
「もうお屋敷じゃないから大丈夫だもーん」カーシアは泳ぎ始めようとする。
「じゃあヤストキ先生に言って叱ってもらうし」と、ヴィオレータ。
「ヤストキ先生は優しそうだから大丈夫だもん」
「ヤストキ先生は精霊使いだそうだから、魔法でどんなお仕置きするか知らないわよ」ヴィオレータは更にたたみかける。
「ふええ、ごめんなさーい。ちゃんと洗うよー」カーシアは浴槽から出て洗い場に座ったのだった。
山荘から温泉までは数百メートルと近かった。
温泉の外観は木造の簡素な建物だが、脱衣所からはきちんと男女別になっている。財布など貴重品は受付で預けられる。まるで日本の銭湯だった。
風呂場は天然温泉が引いてあり浴槽はレンガで作られ、洗い場と湯船が分けられている。男女の風呂場は壁でさえぎられているが、天井の欄間からは、女児たちのにぎやかな声も聞こえてきた。
ヤストキが湯船に浸かっていると、近くにいた数人の村人の会話が聞こえてきた。
仕事を終えたとおぼしき体格のいい樵と老人のようだ。
「今日はさんざんな目にあったらしいのぉ」老人が言う。
「樵仕事でナートカの森に行ったんだが、ゴブリン共がいたんだ。東の男爵領の境越えてやってきて」
「ほうほう」
「ゴブリン共なら斧持って脅せば逃げるが、オーガには通じねぇ。すぐ棍棒振り回すかかみついてくる」
「兄ちゃんも気ぃつけたほうがいいぞい」
不意に同意を求められヤストキは驚いた。
「それは大変でしたね……僕も気をつけます」色々気苦労が多いんだなぁ、この国も。ヤストキは思った。
ヤストキは風呂から上がって着替えると、広間の椅子に座り湯上りの余韻に浸っていた。客である他の村人も同じようだ。
ぼんやりしていると、先に上がっていたカーシアが袖を引っ張って、どこかを指さしていた。
その先を見ると、カウンターで飲料を売っていた。売り子が素焼きの壺から琥珀色のシロップをコップに注ぎ、水で割っている。
ミルティアとヴィオレータとカーシアの目が、何かを訴えかけるかのようにヤストキを見つめている??ヤストキは無言の訴えを理解し、カウンターへ向かった。
「これは何ですか?お酒?」
「お酒じゃないですよ、プラムサワーという甘酸っぱい飲み物です。いかがですか」
「じゃあ4つください」
注文に気づいた女児たちがカウンターに集まった。四つのマグカップが置かれる。
「いただきまーす」
「何それ」ヴィオレータがたずねる。
「”いただきまーす”は、お食事前のお祈りなんだよってヤストキ先生が言ってたよ」ミルティアはおいしそうにプラムサワーを飲んだ。
「いただきまーす」とヴィオレータとカーシアも続けていう。
ヤストキも飲んでみた。梅と砂糖を酢で漬けこんだ飲料だ。
「うん、おいしい」
木々と草原の続く山脈に夕日が沈む。
湯上がりのほてった顔に風が心地よかった。風でなびいた銀髪に、石鹸の残り香がする。
皆笑顔で、手をつないで帰ったのだった。
その夜、ヤストキは一階の寝室で歴史書を読んでいた。剣と魔法の世、何度かあった王朝の交代、この大陸中西部を治める現王家の統治下では、魔族の起こす戦や貴族の反乱がたびたびあったらしい。そしてフラットヒル家は一地方領主らしく、地味にそれなりの軍功をあげていたようだった。
温泉で樵から聞いた魔物の事も気になる。自衛のため、鍛錬は必要かもしれない。
物置に短剣や弓矢があったっけ……
翌朝、ヤストキは山荘の物置を物色していた。
短剣や弓矢はすぐ取り出せるよう壁に掛けてあった。
「あとで練習のまねごとでもしてみるか」武器類を見ながら独り言を言う。
工具・農機具・村民のお知らせ用掲示板が何枚か…いろいろある。
緑色に塗られた古い掲示板を見て、ふと閃いた。
「これはそのまま黒板に使えるかも」
ノコギリもあったので、古い掲示板を加工してみた。
A4くらいの大きさの板も作る。これは石盤代わりだ。
”石盤”とは黒板のミニチュア版のことで、何度も書いて消せるものである。明治時代の近代教育黎明期、庶民にとってノートが貴重だった頃、石盤に文字や数式を書いては消して覚えたのだった。これは木の板で実物は粘板岩の板だけど、ご愛敬だ。
そして”落書き石”をハンマーで粉々に砕き、水でこねて指の太さにする。
外で作業していると、外で追いかけっこして遊んでいた子供達三人が見に来た。
「ヤストキ先生、何作ってるんですか」ミルティアがしゃがんでたずねる。
「黒板さ」
「こくばん……?」
「そしてこの白いのがチョーク」
「やっぱり、ヤストキ先生は違う世界から来た人なのね……これは錬金術の道具なのかしら」ヴィオレータが感心する。
「錬金術?なかなかいい表現だね。できてからのお楽しみさ」
掲示板を居間に運び、壁に釘で固定する。
見栄えはイマイチだが黒板の完成だ。十二畳の居間にはむしろちょうど良い。ヤストキが振り返ると、女児たちも居間についてきていた。
「ミルティア、数字はどこまで言える?」
「お屋敷でジャガイモ数えたことあるし。えーと、100!」
「じゃあ、豆は数えるかな」
「豆は数えないでーす。多いか少ないか、お椀ではかってたし」
「なるほど」さすが、お屋敷で料理の手伝いしてただけのことはある。
ヤストキはヴィオレータやカーシアにも、同じような質問をした。
ミルティアは数字は得意そうだ。ヴィオレータは数字は苦手かもしれないが国語能力は高そうだ。カーシアに至っては、年相応だろうか。
——ここは年齢の低いカーシアに合わせて教えていこう。年齢的には小学二年生と四年生を同時に教えることになるけど、まあ、一緒でもさしつかえないかな……
ヤストキは今の自分にできることをしよう、と心に決めたのであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
作品へのブックマークと★★★★★評価が創作の励みになりますので、よろしくお願いいたします。