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バレンタインの記憶 (独身寮編)

作者: 沢木 翔

私が社会人になったのは1979年だが、当時のバレンタインデーは義理チョコが乱舞していた時代であった。

職場の女子一同から男性社員には1枚ずつ配布されたし、営業社員であれば取引先の女性社員から「営業チョコ」を貰えた。

一方で3/14には女子一同に対してではなく、ひとりひとりにコストベースで3倍返しをするのが当時の掟だったので、給料の少ない若手の男は「3月危機」と呼んで恐れていた。



私は入社してから28歳まで東京大田区にあった会社の独身寮に住んでいた。

最寄りの駅は東急池上線の洗足駅。


独身寮においてもバレンタインデーはクリスマスパーティと並ぶ2大イベントであり、毎年新人から入社3年目までの若手を対象とした寮長主催のチョコレート獲得競争があった。


これは単純にいくつチョコレート(「義理」もok)を獲得したかを競うもので、アユ釣り大会の「検量」のように寮長たち立合い人の前で獲得したチョコレートを目視してもらい、順位が食堂の掲示板に張り出される。



<チョコレートキング M君>


トップを3年間とり続けると「殿堂入り」となって神格化されるのだが、4年下のM君は見事「殿堂入り」を果たした。


しかし、殿堂入りがかかった3年目の年は2/14が金曜日で、M君は職場の同僚と深酒して深夜に寮に戻って来た。


翌朝、寮長に「大漁」の報告をしようとしたところ、チョコレートを入れたカバンが見当たらない。

どうも、酔っぱらってどこかに置き忘れたらしい。


前夜立寄った飲み屋に電話しても見つからず、途方に暮れていたところ、近くの警察署から連絡が入った。

カバンは洗足池の駅付近の植え込みの中に落ちていたのを、朝方、通行人が見つけて警察に届けてくれていたとのこと。

(カバンには名刺と手帳が入っていたいて、手帳に住所が書いてあった。)


M君は大喜びで警察署に向かい、担当課で名前と用件を話したところ、異常な視線を察知した。

そして「カバンにいっぱいチョコが入っていたので、『きっとすごいハンサムが来るのでは』と女性警官が噂していましてね。」と中年の係官に苦笑されたとやや憤慨していた。


M君は背も低めで、2枚目というより3枚目タイプ。

彼は大学時代は応援団の団長でありながら、入社してからはディスコにハマった。

独身寮の自室を真っ暗にして、ヘッドホンから流れる大音量の音楽に合わせて、懐中電灯を振り回しながら無言でひとり踊り狂う様は異様だったけれど、応援団テイストを加えたオリジナルのダンスはどこへ行っても大受けしていたらしい。


そう、彼は度胸と愛嬌でモテるタイプなのだ。


「婦警さんたちも私を見て小声で『ウッソー』とか言って笑うんですよ。」と嘆いていたが、婦警さんの一人から「余り物ですが」と更にもう一枚チョコを獲得してその年もぶっちぎりのトップを獲った。



<長老たちのバレンタイン>


当時は男の結婚年齢も今より若くて、30歳までには結婚しないと「どうした?」と親や周囲がうるさくなる風潮があった。


そのため私たちの中では、30歳を越えて独身寮に住み続ける人たちを「長老」と呼んでいた。

長老の中でも、35歳以上を「権現様」、40歳以上を「即身仏」と言って恋愛・結婚という煩悩を超越した存在として別格視していた。


長老たちは休日でも独身寮の外には一歩も出ずに、終日寝間着姿で娯楽室のTVの前に陣取るか、たまたま近くにいた若手を拉致して麻雀をしていることが多く、女性との交流は余り無いように見えた。


そんなわけで権現様達がバレンタインでもらうチョコレートはもはや「義理」でもなく「ご仏前」と噂される始末。


だが、「権現様」のKさんはとても気さくな人で皆から慕われていた。


「女の子とドライブに行こうと思って赤いスポーツカー(2シーター&オープンカーのホンダS800)を買ったけど、寮の管理人のおばさんを駅まで送ったのが唯一の女性とのドライブ」

「買って4年だけど、まだ3000kmしか走っていない」

「35歳を過ぎたら、見合いの話が激減するから君たちも油断するなよ」等と軽やかに自嘲されていた。


また、Kさんは大学のグリークラブでテノールを担当していて、独身寮の風呂場でよくシューベルトの「冬の旅」を朗々と歌っておられたので、「洗足池のペーター・シュライヤー」と畏怖されていた。

「女性はウソをつくけど、音楽はウソをつかない」が口癖の一つであった。


さきほど、バレンタインチョコの獲得競争の話を記したが、

獲得されたチョコのうち、義理チョコは任意で寮生全員の為に拠出される「原始共産制」が採用されていた。(別名「恵まれない子に愛の手を」)


男の意地から手を出さない者も多いけれど、Kさんは「血糖値が上がりすぎる!」とか言いながら毎年ニコニコして食べておられた。


そんなKさんは、私が入寮して4年目に転勤で博多に赴任された。そしてその2年後にはなんと即身仏から生身の人間に戻って結婚された。

結婚式には寮生一同から盛大な長文の祝電が送られたとの事である。

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