3 リート、魔物にご馳走してもらう
黙ってしまったリートの手をそっと取る者がいる。背の低い少年だ。
「よく来たね、リート。ここまで来たら、もう怖がることなんてないよ」
その声は大人のように優しく、落ち着いていた。その時、リートは自分ががたがた震えていることに気がついた。
「オグマから、君のことを頼まれてる。彼らが戻るまで預かってくれと」
リートの目から、涙が一粒転がり落ちた。
「ほ、本当に師匠は帰ってくる? 殺されたりしない? 本当に……?」
「きっとね」
リートが泣きだしたのを見て、少女がうろたえている。だが、少年は動じない。
「悪い人間にいじめられたのかな。だけど、大丈夫だよ。だいじょうぶ」
リートの頭を撫でる魔物は、ハルアと名乗った。少女の方は、スニ。二人は、リートを真ん中に挟んで明るく話し続けた。
「大地の子の家に招かれることなんて、滅多にないだろう。ゆっくり見物していくといい」
「はいっ」
リートが魔物の血を引いているらしいことは、二人にはまだ話していないはずだ。だが、彼らはリートを仲間の中の一人のように扱っていた。
「お腹は空いてない?」
その途端、リートのお腹が大きく鳴った。ハルアは声を上げて笑った。
「何か食べ物を持ってくるよ。待ってな」
ハルアがどこかに行ってしまった後、スニはリートを穴部屋の一つに案内した。そこには先客は誰もいなかったけれど、果物や酒の残り香が漂っていた。スニが地べたに腰を下ろしたので、リートも倣う。
「ここで、いつも食事をするんだよ」
と、スニが教えてくれた。「皆で集まるのは日に二回、朝と夜。おやつは作業をしながら好きに摂るよ」
スニは、壁の岩棚から鉄の鍋を下ろし、部屋の真ん中のたき火の跡にかけた。鍋に注いだ水は、湧き出る清水の泉から汲んできたものだ。火を熾す役目はリートに任された。オグマの手癖を真似して、リートは魔法で火を灯す。石炭のかけらに火の赤ん坊を落とすと、魔法の火は大きく膨らんだ。
鍋の中に、スニがハーブと動物の骨を落とした。リートはのぞき込んであっと言った。
「何するの?」
「スープを作るんだよ」
スニは優しく答えた。
「一本の骨から、濃くておいしいスープができるのさ」
しばらく待っていると、良いにおいが部屋いっぱいに満ちた。その間、スニは芋の刻んだのやら、玉ねぎやらを次々と鍋に入れていく。リートの口の中につばがわいた。
「ああ、スープはいいね。体が温まる」
音もなく戻ってきたハルアが嬉しそうに言った。彼は抱えてきた魚の干物や肉の串をたき火の周りに刺し、スニの隣に座った。
「いっぱい食べな。怖い目にあったばっかりなんだから」
「はいっ」
「オグマたちもね、出発する前にここで飯を食っていったから」
「師匠も?」
リートは瞬きした。
「それで……今はどこにいるんですか?」
「えーっと……」
スニが少し躊躇う。その間にさっと答えたのはハルアだった。
「オルバにいるよ」
オルバ?
ノール姉さんの家があるところだっけ。
「そこで何してるの?」
「今頃、悪い奴らと戦っているさ」
「ちょっと、ハルア」
リートの不安に曇った顔を見て、二人が慌てて慰める。
「大丈夫、オグマが負けるなんてことはないよ」
「うちからも助っ人を派遣してるからね」
「それよりも僕は、あの子の方が心配だな」
ハルアが、あごをさすりながら呟く。
「ノールのこと?」
「そう」
リートは背筋を正した。
「ノール姉さんが、どうしたんですか?」
「なんていうのかな、上手く言えないけど、変だよねあの子。ずっと心が違うところにある感じ」
「ああ分かる。温度がないんだよね」
リートには、よく分からない。
「ノール姉さんが……?」
だがその時、スニがスープの味を見て、「できたよ」と話を切った。
スープも串焼きもおいしかった。とろとろにとけた玉ねぎや煮崩れした芋に、しっかりと肉の味がしみこんでいた。魚の串焼きも香ばしく、旨みが凝縮されていた。お腹を満たすと、リートは少し安らいだ心地になった。
「お茶も飲みな」
スニがしきりに世話を焼いてくれる。
「おいしい?」
「はい」
「食べ終わったら、朝まで眠る? それとも、作業場を見て回るかい?」
リートの目はすっかり冴えていた。
「作業って何するんですか?」
「魔法を作っているんだよ。気になる?」
「はい!」
だけどその時、別の魔物が顔を覗かせた。彼女はリートに笑いかけ、それからつっと顔を引き締めた。
「ハルア、スニ。ニーが呼んでるわ」
「はいよ」
ハルアはぱっと立ち上がった。スニがリートに教えてくれる。
「ニーは、アマンドラの地図を見張ってくれてるんだよ」
「あ、さっきの……」
壁一面の線を真剣に見ていた魔物だ。
三人がニーの所に来て空井戸の周りにも、彼は振り向かない。ハルアが彼の隣に腰掛け、同じ壁を見上げた。
「どうした? ニー」
「誰か知らんが、人間が集まっている」
ニーがぶすっとした声で言って、壁を指差した。
「空井戸……この、僕らの家への出入り口だな」
確かに、指差した一点の周りに白いもやがかかっていた。
「アマンドラの人間にとっては、この井戸は死んだ、水の出ない井戸だ。こんなに注目されるはずがないんだ。__我々に用事がある連中でなければ」
リートの傍らのスニが、険しく顔をしかめた。
「誰だろう?」
「見に行った方が良いね」