番外編 85話 雷神のいない魔術師の話 4
「あ、昌、さん……!」
「あんまり喋らないほうがいいよ。舌噛むから」
昌は灯里を横抱きにしながら、猛烈な速度で家の屋根の上や電柱を足場にして移動している。
それを追いかけるように、名前も知らないクランの連中は魔力や呪力で体を強化して追いかけて来るが、基礎的な体の使い方がそもそも段違いなのか、強化状態での移動速度は昌の方が断然早い。
こんな状態でも、昌からは魔力の一つも感じられない。
こうなると呪力の方なのかとも思うが、あれは取り込んだ大魔を取り込んで変換し、貯蔵する場所が違うだけで、根っこの部分は全く同じだ。
集中すれば呪力の方も探知できるのだが、それも感じられない。なのに、明らかに魔力・呪力で強化している追手よりも、高い身体能力を発揮している。
これは一体どういうことなのだろうかと、強く抱き着いて考えていると、急激な方向転換によるGを感じて、少し顔を歪める。
「それにしても厄介ね。張られた結界そのものが大分面白い構造しているわね」
「お、面白い、ですかっ?」
「結界自体は非常に不安定で、ちょっと内側から小突くだけで簡単に砕けるように設定されている。けど、その不安定さを利用して、更に敢えてそれを私達にも見えるようにすることで、強度は墨汁まみれの半用紙並みだけど、強度を代償にバカみたいに広い範囲を獲得してる。多分、世田谷全体を覆っているんじゃないかしら」
「そ、そんなに……」
言われてよく見れば、昌の言った通り非常に脆い結界が張られている。
それこそ、内側から灯里の魔力強化なしのパンチ一発で、簡単に壊れてしまいそうなほどの。
昌はこの結界の起点となったガラス玉を魔封じの硝玉と言っていたが、それが魔術を封じる以外にどのような効果があるのか、灯里には分からない。
あとから結界の設定をいじれるようになっているのか、元々このような脆い結界を張ることしかできないのか、聞いたこともないものなので予想のしようがない。
ただ分かることは、現状二人には攻撃手段が一つもないことだ。これは非常にまずい。
「おっと」
「きゃっ!?」
進む方向からして、恐らく探索者ギルドに向かっているのだろう。
あそこに逃げ込んでしまえれば、この襲撃者達は何もできない。
それよりも、こうして自分が狙われるせいで他人に迷惑がかかっていることがたまらなく嫌になり、どうしてこんなことにと自己嫌悪を感じていると、進んでいる方向からいきなり大柄な人が現れて、昌が急制動をかける。
その大柄な人は大きく拳を振り上げると、昌の頭目がけて振り下ろして、足場にしている一軒家の屋根を殴り壊す。
「ちょっと、一般人の家を傷付けないでよ」
「お前がそのガキを渡せば、被害など出ないぞ」
「渡すわけないでしょ、常識でものを考えてくださる?」
大きく跳躍して電柱の上に着地して、下に集まってきた襲撃者達を冷めた目で見降ろしながら、昌がため息交じりに言う。
それに対しての返事を聞き、昌はアホらしいと言わんばかりに舌打ちをする。
「……また何か特殊な魔術道具を使ったようね。それ、一瞬だったから人に見えたけど、土塊の人形じゃない。隠しておけるような場所はどこにもなかったし、指定した空間と空間を圧縮して瞬間移動させる古代魔術遺産でも使った? あ、別に答えなくてもいいわよ。どうにも、あんたらは魔術が使えるっぽいから」
土塊の人形は、魔術師の間では結構メジャーな使い魔だ。
複雑な魔術式を刻む必要はあるが、一度刻めばそこに書かれている命令式を基準に、破壊されるか魔力が切れるまで製作者の命令に従う、従順な使い魔となる。
いきなり現れた土塊の人形は三メートルほどとかなり大柄で、隠しておけるような場所はない。ましてや、先ほど何もない場所から出てきたような隠蔽の魔術も、どこに逃げるのか予想できないのだから使えない。
となると、本来であれば魔法の領分である空間の支配か、それに準ずる能力のある古代魔術遺産を使ったことになる。
「ちっ、勘のいい小娘だ」
「青春を謳歌する華の女子高生だけど、こんなでも経験豊富な……戦士だからね。というか、下からスカートの中覗くな変態。私は美琴みたいに、サービスするつもりはないわよ」
「お前のような小娘の布切れに興味などないわ」
「そう言う割には、下からがっつり見てますが?」
「お前が上にいるからだろうが! いいから降りて来い!」
「え、普通に逃げますけど」
そう言うと、一定間隔に建てられている電柱のてっぺんを足場に、すさまじい跳躍で移動していく。
このままギルドにと期待するが、先ほどと同じように土塊の人形が正面にいきなり現れて、拳を振り下ろしてくる。
「電柱壊れたら停電するでしょうが!」
直撃するよりも先に、昌がI字バランスをするように右足を振り上げて、振り下ろされてくる拳を蹴って弾き、後ろ側に回ってから襲撃者達の方に向かって思い切り蹴り飛ばす。
今の蹴りだけで破壊できただろうが、少しでも襲撃者の移動速度を落とすためにやったようだ。
「す、すごいですね」
「……できれば私がやったことは、美琴には黙っててほしいかな」
「どうしてですか?」
「私が戦えること、あの子知らないから。教えるつもりもないし」
訳アリなのだろう。
本人が言ってほしくないなら灯里は言わない。自分がやられて嫌なことは、他人には絶対にやるなと口酸っぱく雅火に言われて育った。
昌が戦えることを知られるのが嫌だと言うなら、誰にも言わない。結界の外に出たら、昌と誓約の魔術を使って誓ってもいい。
「あの、さっき相手が魔術が使えるだろうから、説明しなくていいって言っていましたけど、どういう意味ですか?」
少し余裕ができたので、気になったことを聞く。
「呪術における制誓呪縛は、相手に弱点を見せることでそれを補うように他が強化される。これに似た魔術が、誓約。魔術は手の内を知られると大分不利になるけど、制誓呪縛と同じように自分の手の内を意図的に晒すことで、術の威力や精度を底上げすることができるのよ。ま、呪術と違ってこれは魔術で魔力を消費するから、自分が不利になるようなことをせずに、呪文にひっそりと含ませた方が早いからやる奴は滅多にいないけど」
誓約の魔術は制誓呪縛と似ているとは聞かされていたが、ここまで類似しているとは思わなかった。
もっときっちり勉強しなければと思うと、昌が突然足を止める。
「……最悪。ここまで逃げて来たってのに」
どうしたのだろうと、昌が見ている方を向き視力を魔力で強化して見ると、進んでいる先に追いかけてきている連中と同じ格好をした人が複数待ち構えている。
「だから言っただろう。お前のような小娘が一人いたところで、何の障害にもならんと」
「はいはい、その通りでございますね。……あー、いつの間に印を付けられてたのか。道理で、ピンポイントで私の前に土塊の人形が出てきたわけだ」
見えないが、何か目印を付けられているらしい。
先ほどの土塊の人形の瞬間移動は、その目印を目がけて移動するものなのかもしれない。
「ど、どうするんですか……?」
体を震わせながら、昌に問う。
「仕方ない。倒すしかないわね。……できればあいつのあれに頼りたくはなかったんだけど、これが一番確実にぶちのめせるか」
「あいつ……?」
「こっちの話。……幸い、数はそこまで多くないっぽいし、これくらいなら私一人でもどうにかなりそうね。無駄に体力を消耗しなければよかった」
突然、若干棒読みにも聞こえるような言い方をする昌。
まるで、あらかじめ決められているセリフを、読み上げているような感じだ。
「バカか。万が一のことも考えているんだ。この程度の数で来るはずがないだろう」
男がそう言うと、昌と灯里の周囲にいきなり人が十人近く現れて、そのまま掴みかかろうとしてくる。
それを昌が見事な体術で弾き飛ばし、片腕で横抱きにしなおして地面に降りる。
「しっかり掴まっててね。怖いなら目も瞑ってて」
「は、はい……!」
ぎゅう、と強く抱き着いて振り落とされないようにする。
怖いが、怖いからと目を閉じて逃げるのは違うと思い、目は開けたままにする。
ぐん、と急加速する。揺れはほとんどなくて、それだけでも武人としてかなり優れているのが伺える。
シッ! という短い呼気と共に、強烈な横蹴りが繰り出されて一人が一撃で地面に倒れる。大分鈍い音というか、砕けるような音がしたので、少なくとも顎の骨が粉々になっているかもしれない。
昌が先ほど予想した通り、灯里は魔術法則界にアクセスできないのに、相手側は何かを利用しているのか普通に魔術を使ってくる。
氷の塊や炎の球が放たれるが、炎はひらりと避けて氷の塊は蹴り返せるものは蹴り返していく。
流石に自分の魔術ではやられてはくれないようで、蹴り返されてくる氷は全て当たる直前に溶かされて消える。
「うわっと。雷か。本物じゃないからまだいいけど、どのみち魔術の中じゃ光を除けば最速なんだよね」
「ちっ、これを避けるのか。お前も小娘の皮を被った怪物の類か何かか?」
「酷い。こっちは十七歳の今が旬で繊細で傷付きやすい女の子なのに、化け物呼ばわりするなんて」
「術も何もなしで、術師とまともに渡り合っている時点で何を言う」
魔術で遠距離から攻撃を仕掛けられ、その合間を縫うように間合いを詰めてくる近接戦闘型の襲撃者達。
それらをさばいていると、死角になるところから雷魔術が放たれるが、事前に察知した昌はほぼ振り向かずに回避する。
雷魔術は、本物の光を操ることができる光魔術の次に速度のある属性魔術で、基本的に先読みして結界などで防がなければ対処できない。
それを、先に回避行動を取っていたとはいえど、防ぐではなく回避する時点でただの女子高生とは言えない。
魔力も呪力もなし。それでいて自分の血を媒体に何かしらの術のようなものを使い、身体能力を底上げして常人ならざる速度で移動し、複数の魔術師と戦士とほぼ蹴りだけで渡り合っている。
もしかしたら、実は美琴と同じタイプの人かと思うが、特等退魔師の例があるので何とも言えない。
まるで踊るように魔術を避け、舞踊のように滑らかな動きで強烈な一撃を叩き込み、一撃で確実に一人を無力化していく昌。
もし彼女が両手も使えていたら、恐らくとっくに決着はついていたかもしれない。
やや防戦気味に立ち回っているのは、やはり自分という足手まといを庇っているから。
「ったく、倒しても倒してもキリがないわね。大人しく逃げていた方がよかったかも」
また、やや棒読みのような感じで言う昌。
息は上がっていないし、むしろ動けば動くだけ攻撃のキレが上昇していっている。
このまま一人一撃で倒し続けていれば、応援が来なければ十分もかからないのではないだろうか。
そう思っていると、突然昌の体勢ががくんと崩れる。
どうしたのかと、曲がった左足を見ると、アスファルトの地面から土塊の手が伸びて左足首をしっかりと掴んで、動きを止めていた。
灯里が焦ったような顔を浮かべ、反射的に解術の魔術を使おうとするが、一瞬遅れて魔術が使えない状態にあることを思い出す。
「……本当、あいつに頼らなきゃいけない瞬間が来るなんて、屈辱的だわ」
抱きかかえられている灯里でも、ほとんど聞き取れないような小さな声で呟いた昌は、演技をするようにぎこちなく焦ったような表情を浮かべる。
足元にガラス玉が一つころりと転がってきて、昌の履いているスニーカーに触れるとひびが入り、そこから二つに割れる。
割れたガラス玉の中に込められていたのであろう魔術が事象化し、至近距離にいる昌と灯里に直撃する。
それが何の効果なのだと考えるよりも先に、体がその答えを教えてくれた。
「睡眠……魔、術……」
灯里の意思とは関係なく、抗えない強烈な睡魔に襲われて、あっという間に意識を手放してしまう。
昌は灯里より少しだけ抗っていたようだが、完全に意識が落とされる前に殴りつけるような鈍い音がして、硬い地面に落ちる感覚と共に倒れる音がした。
灯里の記憶は、そこで途絶えていた。




