42話 雷神の弓矢
中層に挑むにしても、いきなり中域まで行くわけにもいかないので、まずは上域で灯里の強さを試す。
その結果、
「灯里ちゃん、あなた普通に下層行けるくらいの魔術の腕してない?」
「そ、そう、でしょうか?」
灯里の魔術師としての腕は想像以上に優秀だった。
無論経験の浅さもあるので、彩音や美琴とパーティーを組めばという前提にはなるが、十分下層のモンスターを倒せそうなだけの強さをしている。
持っている古代魔術遺産も、その効果が炎に限定しての大幅強化なので、それもあるかもしれないが。
「うーん、灯里ちゃんはその杖がないと魔術が使えないとかない?」
「え? いえ、それはないですけど……」
「……よし。じゃあ次からはその杖を使わないでいこっか。それの性能が高すぎて、あなたの正確な強さが把握できないし」
「わ、分かりました」
灯里の強さの大部分はその杖から来ているようなので、彩音はそれを使わないようにと言い、灯里もそれを了承する。
魔術師は杖を持った方が指向性や、魔術をかける対象を選択しやすくなるそうだが、杖の効果は威力の増加だけっぽいので、素の精密度が恐ろしく高いことになる。
そのことを踏まえて、灯里本人の杖なしの実力を図るために、使用を制限させた。
「ところで、美琴ちゃんの方はどう?」
大人しく杖をローブの懐にしまった灯里の頭を優しくなでた後、彩音が美琴の方を向きながら聞いてくる。
後方でずっと集中して、何かを試そうとしていることに気付いていたようだ。
「あまり上手く行かないですね。一ついいアイデアは浮かんだんですけど、上手く形にできなくて」
「ちなみにそれはどんなアイデアなの?」
「アモン戦の時と同じように、私の力を物質にしようかなって。ただそれだと、その武器がすごい性能になっちゃうので、それをどうしようかなって」
「確かに、あんなの出されたらヤバいわね……」
アモン戦の時に使った、神刀真打。あれはただの振り下ろしだけでも、空間を割るだけの威力を誇る。あの刀の名前『夢想浄雷』を開放したらそれ以上だ。
あんなものをダンジョンの中で使おうものなら、間違いなく崩落する危険性があるし、崩落せずとも威力が高すぎて人を巻き込んでしまう。
なので、かつての諸願七雷のように、自分の力を分割して体の中で物質化させて保管すれば、あの時の同じ状態になれるのではないかと思ったのだ。
あの時の感覚は何となく覚えているのだが、具体的な細かい制御あたりはよく覚えていない。
もし雷神の力を武器の形にしている途中で暴発でもしたら、彩音達にどんな被害が出るのか分かったものじゃない。
それもあって、中々進展がない。
「どう物質にするのかは決めてるんだよね?」
「はい。前の諸願七雷のように、七つに分割して、それぞれを武器とか鎧とかの武装ににしようかなって。必要に応じてくっつけたり分けたりできたら、火力の調整もできるでしょうし」
「結構具体的に決まってるね。それで、最初に物質化させようとしているのって薙刀?」
「いえ、弓矢にしようかなって思っています。遠距離攻撃の手段が雷しかないので、それが使えない状況の場合の遠距離手段が欲しいの」
「なるほど」
武芸を教えられるにあたって一通り叩き込まれているので、使えないことはない。
普段使う薙刀術や時点で使う剣術や体術などに比べると、その腕前は一段劣るが、そこは今後実戦で磨いていけばいい。
とにかく今は、弓を生成することに集中する。
『お嬢様。私自身から言っておいてあれですが、陰打ちのようにすればよろしいのでは? あれも威力は高いですが、真打ほどではありませんし』
「それも思ったけど、結局今の強さが七鳴神と同じくらいなんだし、当然陰打ちの威力もあの時とは比べ物にならないわよ。まあでも、あれも雷の物質化だしね。そのアプローチで行けば行けるかな」
歩きながら左腕を前に伸ばして、雷をそこに集中させる。
目を閉じて具体的なイメージを浮かべ、陰打の刀『御雷浄雷』を作る時と同じ要領で押し固める。
しかし何かが足りていないのか、あと一歩のところで霧散してしまう。
まさか物質化すること自体出来なくなっているのではと思ったが、御雷浄雷は普通に作れたので、どうしてだと首を傾げる。
こうも上手く行かないと、父親はどうやって力を七分割した上であんなに強固な封印をかけられたのか、気になってくる。
「……止まって。声を出さないで、音も立てないで」
作った刀はそのまま腰に差し、うーんと原因を探りながら歩いていると、彩音が真剣な声音で全員を止める。
考え事をしていたため若干それに遅れてしまいそうになるが、慎司が腕を横に伸ばして止めてくれた。
一体何がと、音を立てないように彩音が見ているほうに目を向けると、そこにはナイトメア・ポーキパインが三体、地面に伏せてくつろいでいた。
八体同時に相手した経験がある美琴からすれば、三体程度大した脅威ではないが、あの神経毒は下層まで楽に進める超一流探索者にも有効なため、経験不足の灯里がいる今は戦闘を避けたほうがいいだろう。
そっと音を立てないように下がり、通路を曲がってほっと一息つく。
「っぶねー。三体もいるとかマジかよ」
「サンキュー、彩音。助かったわ」
「焦ったよー。でも、まだ気付かれていないのはラッキーね。美琴ちゃん」
「え、はい?」
厄介ならこのまま飛び出して、まとめてぶった切ってこようかなと刀の柄に手を当てていると、彩音が美琴を呼ぶ。
「ちょうどいいし、ここでものにしちゃおうか」
「え、でも全くできていないですけど……」
「ちょっとスパルタっぽくなっちゃうけど、安全な時よりも戦いにいる時の方が成長しやすいから。だから今から五分以内にできるようにしてね」
「ちなみに五分以内にできなかったら?」
「普通に戦いに行くよ? できなかったらできなかったで、パーティーでのあれの倒し方を教えるまで」
「それ、あまりスパルタって言いませんけど」
てっきり大声を出して呼び寄せるのだと思ったが、灯里がいるのでそんなことはしないのだろう。
しかし、彼女の言うことにも一理あるし、時間制限をかけておけばそこから生まれる焦りで、もしかしたら上手く行くかもしれない。
目を閉じて集中する。アモンとの命の削り合いの最中で感じた、神の力を物質にする感覚。それを明確に想起する。
あの時、確かに髪の毛一本、指先まである毛細血管にまで広がっている力を、確かに感じていた。
それを再び感じ取れるよう、深く呼吸を繰り返しながら集中する。
感覚が鋭利になる。ほんの僅かなきっかけすら逃さぬように。
音が遠ざかる。余計な雑音は集中の妨げになる。聞こえるのは己の呼吸音と心音だけだ。
左腕を胸に触れさせる。かつて習った弓術の形を思い出し、その時握った弓の感触からその大きさまで、体がそれを本当に持っていると誤認するほど、明確にイメージする。
真打は、ここまで深いイメージをする必要がなかったのは、美琴の中で最も殺傷能力が高くあの場で最も適している武器が、刀だったからだろう。
ならここでは、離れた場所から静かに相手を射殺す弓こそが、最も適している武器だ。
深く集中し、知覚する。自分自身の胸の中央から、天候すら支配することができる強烈な神の力を感じ取ることができる。
それは美琴の細い体の中に収められ、無駄にならぬように体中にいきわたっている。その大本は、やはり胸の中央にある。
場所は掴んだ。ならあとは、それを七つに分割するだけだ。
しかしいきなりそんなことはできないだろう。だから美琴は、まずは半分に分けて残りは体に残し、もう半分を弓の形にすることにする。
「……っ」
だが思ったほど上手く行かない。あの時は命を懸けていたため、初めて全ての封印が外れたと同時に、あんなことができたのだろう。
じっとりと額に汗が浮かぶ。呼吸が少し荒くなり、鼓動も早まる。
『ことを急いてはいけませんよ、美琴さん。心は常に穏やかに。焦りは必ず、あなたの技を遅らせてしまいます。技の遅れは動きの遅れ、動きが遅れれば攻撃も回避も遅れ、回避が遅れれば死に繋がる。あなたは戦いに身を置くことになるでしょうから、決してこれを忘れてはなりません』
まだ京都にいた頃に崩拳を教えてくれた、安倍晴明以降から現代まで日本最強の呪術師の座に君臨する祓魔局最高司令官である、精炎仙人、本名を朱鳥霊華から教えてもらった言葉を思い出す。
行動は常に早く、しかし焦って行動しては次の動きに遅れが生じ、命の危険に直結する。それは彼女の口癖のようなものだった。
早く行動するということは、ただ相手よりも素早く動くことだけではない。常に冷静に物事を分析し、相手の行動を予測し先読みする。そこから次の行動を決め、先手を打つ。
その時に教えてもらったことは今でも活かすことができることであり、一時も忘れたことはない。
その言葉を思い出してから、美琴の中にあった焦りは解けるように消えてなくなり、冷静になって一つ一つの手順を踏む。
己の中にある神の力を二分にする。少し苦労したが、どうにか分けることができた。ようやく、父親がどれだけ異常なことをやってのけたのか、ほんの少しだけ理解できた。
次に、分けた力の片方を武器の形に整える。
もうやり方なんてどうでもいい。とにかく、体の中から取り出すことが優先だ。
アモン戦の時のように、力を胸の中心に一気に収束させて、雷の力から物質に変質させる。
あの時ほど滑らかに行かないが、数秒かけてそれがやっと形になるのを感触で分かった。
ならば、あとはそれを引っ張り出すだけだ。
「……っ、できた!」
手の平に感じた固い感触。それを感じた瞬間に掴んで、胸から引っ張り出す。
それは三つ巴紋の付いた、美琴の紫電と同じ紫色の大弓だった。
時間はかかったが、感覚はもうこれで掴んだ。あとはこれを数度繰り返して、残りの力を分割していけばいいだろう。
「お見事! だけど、取り出し方もうちょっとどうにかできなかった……?」
彩音ができたことに賞賛の言葉を贈るが、頬がほんのりと赤い。灯里も同じように、頬を赤くして気まずそうに目を逸らしている。
慎司と和弘もものすごく気まずそうな表情をしながら、揃って明後日の方向を見ている。
「……ぁ」
今更どんな形で取り出したのかを自覚し、確かにこれはまずいなと思い、顔が熱くなっていくのを感じた。
なんとも言えない空気が流れ、それに耐えられなくなったので立ち上がり、音を立てずに曲がり角から姿を見せる。
毒持ちヤマアラシ達はまだ美琴の方に気付いていないようなので、ここはさっさと三体とも倒して次に行った方がいいだろうと、弓を構える。
右手に雷で作った矢を持ち、ギリギリと引き絞って構える。
何年も弓術をやっていないので少しぶれているが、そこは別に気にしなくてもいいだろう。
「ギャッギャ!」
「ピィイイイイイイイ!」
「ギャギャギャ!」
ここでポーキパイン達が美琴に気付くが、それと同時に矢を放つ。
鋭く空を切る音と共に放たれた雷矢は真っすぐ飛んで行き、そのまま一体を貫通して地面に刺さる。
残った二体が体中の棘を逆立たせて射出して来ようとするが、地面に刺さった矢が炸裂して強烈な雷の一撃を叩き込み、十億ボルトの電圧と二百万アンペアの電流で焼き焦がす。
悲鳴すら上げることなく雷で焼かれたナイトメア・ポーキパインは、核石だけを落として消滅した。
「……うん、どっちにしろ威力高いね?」
「これでも力を半分に削いでいるんです」
「元が強すぎるタイプだね、分かってたけど。でも、これで一歩前進じゃない?」
「そう、ですね。今日はもうこのままでいきますけど、帰ってから残りを済ませちゃいます」
感覚は完全に掴んだので、あとはもう自宅でもできる。
彩音の言う通り一歩前進したので、これでやっとまともに連携の練習ができるようになる。
そのことに安堵しかけるが、結局矢の威力そのものが高いので、こっちの方をどうにかしないといけない。
一進一退なのか、と小さく息を吐き、更なる練習相手を求めて中層を彷徨い歩くことになった。




