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181話 ありえてほしくない仮説

 沈んでいた意識が浮上する。

 閉じていた瞼を開けるよりも先に感じたのは、意識を失ったダンジョンの地面の硬さではなく、優しく包み込むような柔らかさと温かさだ。

 閉じていた眼をゆっくりと開くと、知らない白い天井が映り込む。


「ぅっ……」


 起き上がろうとして、頭がずきりと痛んで小さくうめき声を上げる。

 今の状態になって初めて感じる痛みに困惑するが、意識を失った理由というのがすさまじい衝撃が発生して吹っ飛ばされたことで体を強く打ったことだ。

 その際頭もぶつけており、完全な物理的なダメージなので頭から感じる鈍い痛みは仕方がないものだと苦笑する。


「あ、気が付きましたか!?」


 ずきずきと痛む頭を右手で押さえながら起き上がると、横になっていたベッドの左側で俯くようにパイプ椅子に腰を掛けていた白衣の女性が、ぱっと顔を上げて心配そうな表情で近付いてくる。


「えっと……はい」

「よかったぁ……。中々目を覚まさないから心配しましたぁ……」


 へなへなと力をなくして床に座り込んでしまう女性。

 意識がはっきりしてくるにつれて、薬品の匂いなどを感じ始める。どうやらいつの間にか地上に出ていて、普通に考えれば探索者ギルド新宿支部の医務室にいるのだろう。

 安心したように座り込んでしまった女性は、この医務室の女医なのだろう。


「ここは……」

『新宿支部の医務室です。意識を失った後に運ばれたのですよ』

「あ、アイリ」


 どこにいたのか、アイリがすいーっと眼前まで飛んでくる。そしてそのまま、ボディに収納されている万能アームが出てきて、美琴の両頬をぐにーっと摘まんで引っ張る。


「い、いひゃひゃひゃ!?」

『皆様に心配をおかけした罰です。甘んじでお受けください』

「ま、まっへ(待って)!? さひっほ(さきっぽ)! さひっほはははっへる(先っぽが刺さってる)!?」


 硬質な指先が頬に食い込んでかなり痛い。しかも結構強く摘まんでいるからなお痛いし、引っ張られているからじりじりと頬が戻りながら引っ掻かれてもいるからそれも痛い。

 引っ掴んで引きはがしたいが、今それをやったらミミズ腫れができるのは確実なのでしたくないので、どうしようもできずにたっぷり一分間つねりの刑を受け続けた。


「へうぅ……」


 じんじんと痛む頬を両手でさすり、涙目になる美琴。

 アイリがこのような行動を取るのは珍しいなと思いながらも、それだけ美琴のこのと心配してくれていたのだと嬉しく思うと同時に、AIが心配するって何だと困惑する。


『あの時モラクス様が来てくださらなければ、お嬢様はあの場でイノケンティウスに消し炭にされていましたからね』

「やっぱり彼だったんだ」


 意識を失う前に見た最後の光景は、ダンジョンの地面が生き物のように動いて、イノケンティウスに溶かされながらも次々に巻き付いていくと言うものだった。

 意識がはっきりした今なら、それがモラクスの権能によるものだというのをはっきりと理解でき、今度お礼をしに行かないとなと心にとどめておく。


「も、モラクス……って、誰です?」


 床に座り込んでいた女医さんが復活し、アイリの言ったモラクスとは何者なのかと恐る恐る質問してくる。


「ソロモン七十二柱の内の一柱です。大地の魔神で地面を自在に操れて、バアルゼブルの全盛期に匹敵するレベルの実力者です」

「……ぇぅ」


 バアルゼブル=美琴という認識はとっくになされており、この女医さんもそのことは把握しているのだろう。

 都合二回、美琴は本気で魔神と戦い、二回目はベリアルの権能によって元通りになったものの、二回ともすさまじい被害が発生している。

 とても人間の魔術師や魔法使い同士で出せるような被害ではなく、二回とも美琴が勝利を収めているため、その時の美琴よりもずっと強い全盛期の雷神に匹敵する大地の魔神の強さを想像したのか、顔を青くして涙目を浮かべぷるぷると震えてしまう。


「人間には友好的で危害を加えることはまずないから安心してください。もしモラクスが人類に危害を加えるタイプなら、完全に人類側の私を助けずに放置するでしょうから」

「そ、そ、そ、そう、ですよねぇ~……!」


 分かってはいたことだが、普段目にしたり聞いたりしているのが肯定的なものばかりだったので、彼女のように明確に怯えを向けられるのは初めてだ。

 ただこれはもう過去に経験済み、それも一人からではなくかなりの数の人から向けられたことがあるので慣れたものだ。


『モラクス様は配信に映らないように、というかお嬢様が気絶してすぐに配信を切りましたので、身元を特定されるということはございません。ですので日常に支障は出ませんのでご安心を』

「ありがと」


 右耳のピアスのスピーカーからアイリが小さな声で教えてくれて、小さくほっと息を吐く。


「……あ、支部長が来たみたいです」


 医務室の扉がノックされ、女医さんがぱたぱたと足音を立てて扉の方に向かう。

 彼女が招き入れた人物は、龍博より少し年上っぽい白髪交じりの男性で、ピシッとスーツを決めている。


「探索者ギルド新宿支部支部長の樋室英治(ひむろえいじ)だ。雷電特等探索者、あなたが下層で何を観たのかを教えてはくれないか」


 低い声をしているがその表情は柔和で、威圧感を感じられない。

 美琴のメイン活動エリアの世田谷の支部長である優樹菜も、仕事が非常にできる女性というような印象が強いが、彼女も威圧感を感じない。

 そういう支部を任せられる人は、部下から怖がられないことが条件にでも入っているのだろうかと思いつつ、できる限り事細かく事情を説明する。


 イノケンティウスの再来。モラクスがあの後破壊してくれたということをアイリが教えてくれて、また出てくる可能性もあるがひとまずは安心してもいいということ。

 初めて戦った時よりもずっと強くなっている美琴でも、舐めてかかれば殺されてしまうほどの強さを持っていること。

 配信に映ってしまったので、少しだけ話すのを躊躇ったが、倒しても何かが干渉して復活するということ。

 下層で戦って感じたこと全てを、一部を隠しながら英治に話した。


 モラクスとはコンタクトを取れないだろうかと言われたが、彼は今の生活に満足しているようなのでこちら側に引き込むつもりはないと言って、ギルド側がモラクスと接触することを防いだ。

 彼の強さは全盛期バアルゼブルに一歩及ばないが、魔神の中でも最上位クラス。それだけの強さを持っている人物を、強い人材を常に求めているギルドが放っておくわけがない。

 多くの魔神は戦闘狂だったりサイコパスだったりとまともじゃないことの方が多いが、モラクスは数少ない魔神時代からの常識者で、あまり戦いを好まない穏やかな魔神だった。

 ダンジョン探索が大切なのは分かっているが、自分の意思に関係なくあの中に連れて行かれるのは話が別なのだ。


 事情の説明を終えた後、しっかりと治療してもらい残っていた痛みをきれいさっぱりなくしてもらい、私服に着替えて家に戻った。


『お嬢様、あの時あえて言わずにいたことがありましたよね』


 家に着き、手洗いうがいをして自室に戻りベッドに倒れ込んだところで、アイリがそう言ってきた。


「えぇ、あの場所で言えるようなことじゃなかったから」

『ではやはり……』

「……イノケンティウスを確実に倒したはずなのに、いきなりああして目の前に復活したのは、ベリアルの権能によるものよ」


 偽りを真実に、真実を偽りに書き換えてしまう、性能だけ見れば魔神トップクラスのチート性能の権能『偽りの堕天使(ライアーフォール)』。

 それを神性開放を行い、更に神血縛誓にて全ての性能を攻撃のみに特化させた『血濡れの殺神姫(ブラッディ・マーダー)』は破格の威力を誇り、全魔神中最速の称号が与えられている。


 『偽りの堕天使』は簡単に言えば起きている事象を逆転させるもので、フェニックスの権能よりも条件が少なく死者の蘇生が可能だ。

 死んだという事実を偽りに変え、生きているという偽りを真実に上書きする。このようなことが可能なぶっ壊れ権能なのだが、本人は理不尽な巻き込まれ方をして死んだ人間にしか使わないと決めている。

 アモンとの戦いでかなり広い範囲に被害が出たし、何ならビルが一つ消し飛んでいた。それなのに死者なしは不自然過ぎる。きっと彼女も近くにいたのだろう。


「イノケンティウスを倒したのに復活したのは、紛れもなくベリアルの権能によるものよ。でも、彼女はマラブさん曰く私の味方をしている魔神。嘘を吐くことができない縛りをかけられていたからこの発言は真実。だから、」

『あの時使われた権能はベリアルのものでありながら、使用者はベリアルではない、ということですね』


 アイリの回答にこくりと頷く。

 ベリアルの権能を、誰かが使っている。他者が権能を使うという前例はないわけではない。

 本当の意味での眷属となれば、人間でも魔神の権能のごく一部の使用が可能となる。かつての雷一族と、たった二人となった眷属の龍博と鳴海がまさにそうだ。


 しかし、一度は完全に消滅させたものをそのまま復活させるという芸当をやってのけるには、人間が使える範疇の権能では不可能だ。

 ならば考えられるのはベリアルが使用したことだが、彼女は美琴サイドの魔神らしいのでこれはあり得ない。


「……まさか?」


 一つ、いや一人だけ心当たりがないわけでもない。

 それはかつて、七十二柱の魔神全てを封印した魔術の王、ソロモンだ。

 彼はバアルゼブルを最初に封印する時、力が強いからと善性と悪性側に切り離してから封印した。つまり、神性そのものに干渉することができていたのだ。


 神性に干渉できるなら、権能にだって介入できる。

 封印する時に、全ての魔神から権能の使用権のようなものか、権能の一部を奪って自分のものとしていたとしたら。


「いや、あり得ないわね。ソロモンだって人間なんだし、血を媒体にして権能の一部の力が使えるようになる眷属だって、人間が使えるように変質して本来のものよりも弱体化したもの。だから、人間が使えるはず……が……」


 途中であることを思い出し、言葉が詰まる。

 以前、フレイヤはドラキュラの核石を割って内部構造を調べた結果、プログラミング言語のような配列をしている何かを見つけた。そこから、ダンジョンはもしかしたら人工的に作られた、現実世界に侵食しているある種のゲームのようなものなのではないかという仮説が立てられた。

 恐怖心が向けられているとはいえ、決まった層に決まったモンスターが現れ、ボス部屋にはボスだけが現れる。

 ダンジョンの壁や地面は破壊が困難なほど頑丈で、壊れてもしばらくすれば修復される。


 また、アモンという存在は地上で人間の体に宿り、その肉体が一度死を迎えてから魔神として覚醒したのではなく、人の形をした肉の塊に何らかの要因で宿ったことで、人の姿をしていながらも怪異に近い体質を持つ魔神としてこの世に復活していた。

 アモンの件に関しては、ただの偶然、彼女だけがただ偶然そうなったと言えなくはないのだが、彼女は戦っている時になんと言っていたか。


 ───我らが偉大なる王よ! この度この殺し愛の舞台を用意してくださり、心より、魂の奥底より感謝いたします!


 あの時は、美琴には魔神の記憶なんてものは存在していなかったので、魔神は全員無条件でソロモンのことを崇めているのだと思い込んでいた。

 しかしフルフル戦で死に瀕し覚醒したことで記憶を得た今なら、魔神は彼の持つ指輪によって操られていたことを知った。

 アモンはトップクラスの戦闘狂で、戦うことばかり考えていた。そんな彼女が一番嫌いなのは、戦いを邪魔されることだ。


 ソロモンは魔神大戦中にやってきて、指輪を用いてそれを終了させて自らの手駒として、神殿を作らせてから封印した。

 封印の際に指輪の支配の効力は切れ、反人間派の魔神達は封印されるときに怨嗟の声を上げていた。

 アモンも例外ではなく、彼女は特にソロモンのことを憎んでいたはずだ。

 そんな彼女が現代に復活した時、美琴との戦いの中でソロモンのことを偉大なる王と言った。これはあり得ないことだ。


 なのにあのようなことを口走っていた。それはすなわち、封印の時になくなっていたと思っていたあの支配力は、未だに残っている可能性が高いということ。

 封印も支配も、ソロモンの指輪で行われていた。バアルゼブルの力を半分に分けるのも、指輪で行っていた。

 ああいう手合いのものは、所有者が死ぬとその効力も完全になくなってしまう。いもしないものに従い続けるように仕向ける術や魔法は、世界からすればあまりにも歪な異物だから修正されるのだ。


 アモンがソロモンを王と仰いだ。それはつまり───


「ソロモンは……この現代に復活している……?」


 あの時代の魔術にも、輪廻転生のような未来の器に自身の魂を移すものはなかったはずだ。


「いいえ、彼は神から魔導書も受け取っていた。だからソロモンは魔術王とも呼ばれていた」


 神から授かった魔導書だ。人間では到底辿り着くことはないであろう魔術があってもおかしくない。


「仮にそうだとしても、ソロモンは結局は人間のはず。魂がソロモンのままならそれは人間の魂に過ぎないから、魔神の権能の行使なんてできるはずがない。……でも、思いつくのが、これしかない……」


 封印の瞬間、権能の一部を奪って自分のものにした。

 何度自分で否定しても、同じ答えに行きついてしまう。

 ありえない、不可能だ、と頭を抱えながら必死に否定しても、やはり考えれば考えるだけ同じ答えに辿り着く。


 そして、ソロモンが現代にもいて指輪も手に入れていると仮定した場合、強さが当時はまだ全盛の四分の一程度だったとはいえ、バアルゼブルに酷いトラウマを持っているフルフルがいきなり襲撃してきたことにも納得がいく。


「……これ、一人で抱えるにはあまりにも大きすぎる……」

『確かに深刻極まりないですね。モラクス様、ブエル様、マラブ様を交えてどこかで報告しますか?』

「そうする。特にマラブさんには絶対に来てもらわないと」


 彼女の権能は人探しに置いて非常に役に立つ。

 魔神が本気で隠れようとすればマラブの権能でも見つけられないそうだが、そんなことができるのは早々いないはずだ。

 電力と魔力充電のために定位置に戻って行ったカメラアイリを見つめながら、できるなら自分の仮説は当たっていないでほしいと願い、疲れた体と脳を休めるために目をそっと閉じた。

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