180話 あの時とは遥かに違う炎の教皇
叩きつけられた炎の十字架を起点に、モンスターハウス全体に炎の津波が発生する。
炎の波が次々とモンスターを飲み込んでいき、瞬く間に消し炭にして素材すら焼失させる。
「ッ、雷霆万鈞!!」
咄嗟に雷薙に雷をまとわせて、空間が捻じ曲がるほどの一撃を繰り出して迫りくる炎の壁を、モーセの伝説の如く両断する。
すぐに炎が元に戻ろうとするが、それよりも先に雷鳴を引き連れて閉じる前に通過していき、炎の教皇の至近距離まで移動する。
今の自分は神性開放を使っていなくても、深層のボスの攻撃を食らっても傷一つ付かなくなっている。頼っているわけではなかったのだが、その考えが頭の中にあったためその後の対応が遅れた。
「あっづ!?」
振り下ろされた炎の十字架を雷薙で受け止めようとした瞬間、肌が焼けるような痛みを感じて反射的に後ろに下がって回避する。
痛みを感じた両手を見ると、右手は赤くなっていて左手は肌が焼けて少し爛れていた。
「嘘でしょう……!?」
てっきり誰かの悪ふざけ、それこそ今でも時々DMやコメントに登場するあの黒十字の残党の仕業かと思っていた。
かつてこれを使役していたアモンは美琴が倒した。それを再現した灯里も、権能でも魔法でもない魔術師。そして今の自分は、権能と物理以外で傷つくことも死ぬこともない魔神。
かなりの熱さは感じたかもしれないがダメージまで負うことはないと、どこかで高をくくっていた。
だが違った。今目の前で左手にも炎の十字架を作り出し、モンスターハウスの中をすさまじい灼熱地獄に変えつつあるこの化け物、イノケンティウスは、紛れもなく権能によって作り出されたものだった。
”嘘だろ!?”
”え、これ権能で作られたもの……?”
”美琴ちゃんの珠の肌に酷い火傷が!?”
”ていうかなんでイノケンがいるんだよ!?”
”前に灯里ちゃんが自分で再現したっぽいけどあれは魔術だし、美琴ちゃん大好きな灯里ちゃんがこんなことするわけがないし、魔術である以上美琴ちゃんには効かない”
”なんでこれまで再現されてんだよ!”
”美琴ちゃんが伝説になり始めた頃の、謎のモンスター数減少と行方不明者の増加と、あまりにも合致しすぎてる”
”でももうアモンはいないはずだろ”
”じゃあ一体誰が作ったんだよ”
”フェニックス……って線はないか。あのマラブさんにガチの脅しをかけてまで、美琴ちゃんのことを守ろうとしてたくらいだし”
コメント欄も加速していき、一体誰がこんなものをと議論する。
美琴も、受け取っているバアルの記憶を読んで他にこんなことをやりそうな魔神を探してみるが、バアルの持つ記憶からでは探し出すのは難しそうだ。
一応、アスタロトという魔神がアモンと同様に炎を扱うのだが、自分で戦うことを至上としているタイプの戦闘狂なので、一度もこうして使い魔のようなものを作ったことはない。
それに、過去にアモンと戦っているからこそわかる。
このイノケンティウスは、倒したはずのアモンの権能の気配を感じることができる。
「一体全体どうなっているのよ!」
暴走列車の如く両手の十字架をめちゃくちゃに叩き付けながら、追いかけて来る炎の巨人。
炎ゆえにやや不定形でゆらゆら揺らめく姿は恐怖を感じ、熱さとは別に汗が流れていく。
「万雷!」
左手を伸ばして幾重もの雷鳴を轟かせながら、秒間数百発もの雷撃を打ち込む。
雷鳴が雷鳴をかき消し、それを更に別の雷鳴が飲み込む。
かつて戦ったイノケンティウスにやったのと同じように攻撃を仕掛けるが、まだ弱点となる芯ができていないのか体を散らすだけでダメージは入っていなさそうだ。
権能で作られたものだから、ギリギリで回避するという行動はできない。それをやった瞬間、神血縛誓を上手いこと利用して傷を治せるとはいえ、これを倒すまでは酷い火傷姿を大勢に見せる羽目になる。
あの時はどうやって芯を作らせたのだっけと過去の戦いを思い出しつつ、接近戦ができないのでとにかく離れながら雷撃を打ち込み続ける。
「謌代′荳サ繧ス繝ュ繝「繝ウ縺ョ蜻ス縺ォ蠕薙>縲√ヰ繧「繝ォ繧シ繝悶Ν縲∬イエ讒倥r谿コ縺呻シ」
聞き取れない言語のようなものを叫ぶと、両手の十字架が巨大化する。
モンスターハウス内の温度がぐっと一気に上昇し、滝のように汗な噴き出てくる。
長い髪の毛が汗で濡れて顔に張り付き、着物から下着に至るまで濡れて不快感を感じ始める。
何かが強烈に噴射するような音が聞こえたかと思うと、イノケンティウスがジェット機もかくやという速度で詰めよってくる。
動き出した瞬間から音速を超え、音の壁を突き破って接近してくる。
もはや音速程度は大した脅威ではないが、今あれの直撃を食らうと間違いなく即死するので、地面を蹴って大きく離れる。
「雷撃槍!」
自身から雷を放出して、それを雷撃の槍として打ち出す。
発生するとほぼ同時にイノケンティウスに直撃するが、案の定これといったダメージが入った様子はない。
ああして何か言葉のようなものを発しているので、根本的にはかつてのものと同質と考えていいだろう。
確かあの時は、美琴の方がずっと有利に立ち回っていたため次々と自ら弱点を追加していくことで、その能力を向上させていた。
ならばと雷薙をブレスレットにしまい、諸願七雷・四鳴を開放して陰打ちを抜刀する。
「セエェ!」
裂帛の気合と共に右上に切り上げ、強烈な斬撃を放ってイノケンティウスの炎の体を斜めに斬る。
地面と壁に深々と裂傷が刻まれ、斬られたイノケンティウスは体を激しく揺らめかせるが、すぐに元通りになってしまう。
───ボオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
美琴からの激しい反撃に怒りでも覚えたのか、地団駄するように十字架を激しく地面に叩き付ける。
『お嬢様、狙っていた通り核となる芯が現れました』
「やっぱり、自分が不利になればそれを補うために作るのね」
以前との違いは、ものすごく分かりやすく芯が見えている。
呪術的にも魔術的にも、そして魔神的にも、自らの弱点をあえて晒すという行為は大きなリスクと同時に大きなメリットを得られる。
弱点を知られている。という大きすぎる縛りを科すことで、その弱点を容易く攻撃されないようにかなり強力な強化が入る。
このイノケンティウスも、善性側の七割とはいえ魔神に近い美琴相手に小出しにするのは敵わないと踏んだのか、いきなり芯を露出している。
再び咆哮のような音を上げると、周りの熱が少しだけ下がったと感じた瞬間すさまじい速度で接近してくる。
熱量を運動エネルギーに変換するアモンの得意技であり、初めての戦いの時にも苦労させられた厄介な能力。
急加速から得られる運動エネルギーをそのまま両手の十字架に伝え、落雷の如き速さで振り下ろしてくる。
それを後ろに大きく跳ぶことで回避するが、叩きつけた場所から地面を伝播するように炎が伝ってきて、着地しようとしていた場所から間欠泉のように噴き出てきた。
直前で足場を作ってそれを蹴って右に跳んだので直撃はしなかったが、跳んだ先にイノケンティウスが突撃してきたので、たまらず上に跳躍して回避する。
上に逃げた美琴を見上げ、爆撃音のような音を響かせて追いかけて来る。
天井に足を付けた直後に、雷と同じ速度で移動することで追撃を免れるが、イノケンティウスは諦め悪く直撃した天井を溶かし破壊しながら追いかけて来る。
「あの時よりも厄介なことになってるじゃん!?」
岩を一瞬で溶かしているのを見て、ゾッと背筋を震わせる。
あんなものに体が少しでも飲み込まれたら、痛みを感じる前にこの世から消滅してしまうだろう。
まだ両親に恩返しもできていないし、自分のやりたいことも、恋愛だってできていないんだからそんなのは嫌だ。
じくじくと激しく痛む左手の平を陰打ちの刃で斬って血を流し、それを媒体に神血縛誓を発動。
きちんと縛りとして機能するか不安だったが、感じていた痛みがなくなったのでほっと一安心する。
美琴が今自分に課した縛りは、『この五分間一切の攻撃を禁じる代償に雷を通常よりも多く早く蓄積させ、次に放つ攻撃の威力を大幅に底上げする』と言うものだ。
フルフル戦の時に、倒し切れるという確証もないまま一定時間すぎたら行動できなくなるような縛りを科してかなりピンチになったので、その反省を踏まえての神血縛誓だ。
天井をこれ以上溶かされると地面に降りた時に厄介なので、引き付けるように地面に降りて物質化させた鞘に陰打ちを納める。
その瞬間暴れるような膨大なエネルギーが刀と背後の四つの一つ巴にすさまじい速度で溜まっていくのを感じ、五分後に放てる攻撃は神性開放をしていない制限なしの七鳴神の鳴雷神に匹敵する威力になっているだろう。
「アイリ」
『周辺に探索者の存在は確認できません。五分後にその一撃を放つことは可能です』
要件を話す前に察してくれたアイリが答えてくれる。
本当に普段からこれくらい察しがよく大人しくしてくれればいいのにと呆れつつ、ぐんぐん速度を増していくイノケンティウスに向き直る。
とにかく回避に専念しないといけない。
攻撃は今は通じているが、前回戦った時よりも強力になっているのでただむやみに雷を撃つだけでは倒せない。
ただ核を破壊するだけでは復活するのも、前回学習済みだ。明らかに過剰な威力だとしても、目の前にいる炎の巨人を一撃で火の粉一つ残さずに消滅させなければ倒せない。
回避に使うだけの雷は使えるのでそれをフルに使いながら、ただ避けるのではなく相手の動きを予測し先読みしながら回避する。
右手の十字架が振り下ろされてきたら後ろに下がり、間合いを詰めながら左手の十字架を突き出して来たら右へ大きく跳んで回避。
追いかけるように振るわれた十字架をジャンプして回避した後、足場を作ってそれを蹴ってバク宙しながら水平に振るわれた右の十字架を避けて地面に着地する。
振り抜いた勢いで体を独楽のように回転させながら炎を巻き散らしてくるが、落ち着いて後ろに下がりながら攻撃範囲内から抜けて、地面に十字架を叩き付けて伝播するように伝って来た炎は、噴き出てくる前に雷鳴を響かせて置き去りにする。
激しく緩急を付けながら狙いを上手く定められないようにするが、そんな小細工知ったことかと言わんばかりに連続で十字架が叩き付けられ、その都度炎の間欠泉が美琴が一瞬前までいた場所から吹き上がる。
「雋エ讒倥?繧ス繝ュ繝「繝ウ讒倥↓縺ィ縺」縺ヲ螳ウ縺ォ縺励°縺ェ繧峨↑縺?ョウ陌ォ縺??√??莉翫☆縺千?縺ィ縺ェ縺」縺ヲ豸医∴縺ヲ縺励∪縺茨シ」
「前のあなたにも言ったけど、さっきからなんて言っているのか、全く分からないわよ!」
膨大な熱量を運動エネルギーと推進力に変換したイノケンティウスは、轟音を響かせながら急接近してくる。
大振りな振り下ろしを下がって回避すれば、そこを起点に放射状に炎の津波を発生させ、上に跳んで逃げると追従するまではなくとも戦い始めた時よりも増した速度で追いかけてきて、攻撃を回避して空ぶらせたらついには直撃すらしていないのに離れたものを破壊し始めた。
このまま逃げ続けていたら、最終的にはアモンと同格の化け物になってしまうのではないかと冷や汗を流していると、左手に掴んでいる刀から爆発しそうなほどのエネルギーを感じ、同時に攻撃に使えないという制限がなくなったのを感じた。
ようやくかと間に合ったことに安堵して地面に降り、抜刀術の構えを取る。
奇しくも、場所は違えとあの時と同じ状況だ。
雷のエネルギーを全て丸ごと貯蓄に回し、四つの一つ巴が四つ金輪巴紋に変化して、そのエネルギーを一滴余さず刀身に乗せる。
腰を深く落とし、右手はそっと柄に添える。美琴が使う最速の技、抜刀術だ。
速度を捨てる。次の一刀で全てを決めるのだから、移動する必要はない。
力の全てを、刀に収束させる。体にまとっていた雷すら残さずに、収束させる。
体中から全ての力を抜く。地面を踏む足から、膝から、腰、胴体、胸、腕、肘、首、頭、瞼に至るまで全てから脱力する。
掲げる目標はただ一つ。この部屋の中にいる限り回避を絶対に許さないように、一刀でこの部屋全体を一気に根こそぎえぐり斬ること。
大火炎を発生させて今まで使ってきていた炎の大津波よりもより規模と密度の高い、炎の大壁とも表現できる攻撃を仕掛けてくる。
モンスターハウスの隅から隅まで炎で埋め尽くされており、どこにも逃げ場など存在しない。
そんな中で美琴は宣言する。
「諸願七雷・御雷一閃ッ!」
キンッ、という小気味いい音を立てて鯉口を切り、超々高速で抜刀する。
同時に、炎が全て一瞬で焼失し、美琴が立っている場所から前方全てのモンスターハウスが消失する規模の裂傷が刻み込まれる。
当然そんな超大規模な一撃に逃げ場など存在せず、イノケンティウスはほんの僅かな火の粉すら一つ残さずに完全に消滅する。
惚れ惚れする残心を解き、くるりと刀を回転させて逆手に持って滑らかな動作で納刀する。
「……ぎ、ギリギリこの程度に収まったわね」
使う直前になって、このまま撃ったら恐らく直線状にあるボス部屋ごと消し飛ばしてしまいそうなことに気が付いて、必死に範囲を絞った。
その結果かつてのように部屋の七割を破壊する……でとどまらずにその先約百メートル近くを消し飛ばしてしまい吹き抜けが完成してしまったが、まあ全力で撃ってしまった場合よりはマシだろう。
『大分神血縛誓による自己強化にも慣れてきましたね』
「なんだかんだで便利だからね。怪我も治せるし、どんどん積極的に使って行かないと」
『それを使えばその分だけお嬢様の火力が激増していきますが、よろしいので?』
「積極的に使うのはこういう時とか、後は深層のボスの時くらいよ。下層までなら使う必要ないし」
『その発言が既に色々とおかしいことを自覚なさっておいでですか』
自分で化け物宣言しているようなものだと遅れて気付き、自滅ではあったがその発言を引き出させたようなアイリにジトっとした目を向ける。
その瞬間、何かがずるりとずれたような強烈な違和感を感じ一瞬だけ平衡感覚がなくなってふらつくが踏ん張って耐え、一体何がと考える間もなく、消し飛ばしたはずのイノケンティウスがいつの間にか真正面に何事もなかったように存在していた。
「…………ぇ」
『お嬢様!!』
音割れしそうなほどの大音量でアイリが叫ぶが、あまりにも突然のことに体が反応できなかった美琴は、ただ茫然と振りかざされた十字架を見ることしかできなかった。
(あ、これ死ぬ奴だ)
スローで迫りくるように見える炎の十字架を見て、美琴は呑気にそんなことを思った。
アイリがカメラから伸ばしたアームで袖を掴んで引っ張っているようだが、動けない。
十字架がすぐそこまで迫ってようやく、今更のように体が動かせることに気が付いたがもう遅い。今からどう回避しようとも、あの炎は直撃する。
痛いだろうな、熱いだろうな。焼かれて死ぬのは苦しいだろうなと思っていると、強烈な衝撃を感じて後ろに吹っ飛び、地面を転がってから体を強く壁に打ち付ける。
一体何が、と思うよりも先に意識が遠のいていく。
最後に視界に映り込んだのは、溶かされながらも封印するかのようにイノケンティウスに巻き付いていく、隆起した大地だった。




