172話 逆転
マラブに言われ午後三時に言われたとおりの場所にやってきた美琴達。
こじんまりとしていて、宝石店だというのに派手さがほとんどない質素な建物だ。
「……本当にここに?」
「間違いないわね。今権能で確認したけど、ちゃんとここにいる」
「権能通用しないんじゃないんですか?」
「上手く隠れられると見つけられないってだけで、向こうから姿を見せるような行動をすれば、私の権能で見ることはできるのよ。ほら、早く入りましょう。せん……モラクスが中で待ってるわよ」
一瞬言いかけていたが、美琴は知っている。
バラムはモラクスから知識を教えてもらった過去から、彼のことを先生と呼んで慕っていることを。
微笑ましく感じて温かい目で見つめると、恥ずかしそうに頬に朱を咲かせてぺちりと右手で美琴の目を覆う。
店の中に入ると、電気は消えていて薄暗いのだが、窓から僅かに差し込んでいる太陽の光を宝石達が反射してきらきらと輝いており、神秘的な雰囲気を醸し出している。
ショーケースの中に入っている宝石達を見ていると、ダイヤモンドの着いた婚約指輪を見つける。
いつか、自分の左手の薬指にこういう指輪が嵌められるのだろうかと、そっとケースに触れている自分の左手を見ながらひっそりと思う。
「モラクスー? 言われたとおりの時間に来たわよー?」
彼が指定した時間通りに来店したのに、店内には誰もいない。
まさか嵌められたのではなかろうかと思ったが、店の奥の方からピシッとスーツを決めた長身痩躯の男性が、左手で何かを引きずりながらやってくる。
「すまない、バラム。お年頃のお嬢さん達を迎えるための準備をしていたら強盗に入られてな。店の奥で軽く折檻していたところだ」
「見た感じダイアモンドでできた縄でガッチガチに縛られてて泡拭いて気絶しているから、少なくとも軽くじゃない気がするのは私の気のせい?」
「俺の権能で作ったものではないとはいえ、大地の魔神である俺からすれば宝石は俺の子供のようなものだ。正しい手段で正しい人に送り出すのが俺の仕事。それを己の欲のみで我が物にしようとしている連中に、慈悲など与えるわけがないだろう」
「やっぱり全然軽くじゃなかったわね」
清涼感のある声で話すこの男性こそ、トップクラスの戦闘能力と随一の知識量を持つモラクスのようだ。
魔神となれば一目見ればそれだけでどの魔神か判別できるようになるそうなのだが、未だ完全な魔神ではないため美琴にはただの人間にしか見えない。
背は綾人ほどではないが高く、痩身ではあるが武神でもあるためただ痩せているのではなく、細く鍛えられているのが分かる。
やや癖のある髪の毛は黒に大分近い茶色で、瞳の色は金色に近い茶色をしている。
日本人の顔立ちではなく、恐らく北欧系の顔立ちをしていていわゆるイケメンの部類に入るほど整っており、隣に立つ華奈樹と美桜が珍しく呆けた表情をしている。
もしここに琴音がいたら、何よりもまずは先にモデルか俳優にならないかとスカウトしに行っていたかもしれない。
「バアルゼブル! 久しいな、魔神時代から数えて実に数千年ぶりか」
「そう、かもしれませんね。その、お久しぶり?」
「なんだ、随分と他人行儀……あぁ、なるほど。まだ中途半端な覚醒なのか。それは仕方がないか。……ん? そこにいるのは、」
「モラクス、ちょっと」
リタの方に目を向けるとマラブがモラクスの言葉を遮って、店の端の方に向かう。
知り合いか何かなのだろうかとリタに視線を向けるが、本人はよく分かっていないような表情を浮かべている。
マラブとモラクスは店の隅でこそこそと何かを会話した後、美琴達のところに戻ってくる。
「や、すまない。どこかで見た覚えがあったものだからな。そういえば、そちらの金髪のお嬢さんの配信に映り込んでいたな」
「ご存じなのですね」
「俺の娘がな。新しいものや流行りのものが好きで、最近話題の女子高生探索者をよく見ているんだ」
娘がいると知り、美琴はチクリと胸が痛くなる。
魔神はその肉体のものと記憶や人格をベースにするため、能力は全盛期に持っていくことはできても、性格や人格まで昔のままになることはない。
全魔神中随一の戦闘狂だったベリアルは、現代の肉体が大人しい性格の持ち主なため、復活はしているが大人しく生活しているくらいだ。
なのでモラクスも知識や記憶はモラクスでも、性格・人格は今のこの肉体のものだ。
それでも、魔神として完全に覚醒するには一度、完全に死ぬしか手段はない。
そして、一目で魔神を見抜けているとなると完全覚醒の状態で、目の前のこの人の優しそうな男性は一度死んでいることになる。
彼の娘はきっと何も知らないだろう。そしてモラクスは、自分が一度死んでいることを娘に隠しているのだろう。
「さて、来てもらって悪いが一度奥の応接室で待っていてはくれないか? 俺はこのコソ泥を警察に突き出したい」
「いいわよ。あともう少ししたらパトカーが来るみたいだし、それまで奥でゆったりと待っているわね」
「こういう現代社会において、お前の権能は随分と役に立つな」
「その権能を活かすことができる仕事についていないけどね」
「何を言う。お前は今や、世界最強と名高い夢想の雷霆の専属アドバイザーだろう。バアルゼブルならば戦闘面で余程の後れを取ることはないだろうが、全くそういう状況にならないとは限らない。今はまだお前の力が必要になるような状況になっていないだけで、必ずお前の力が彼女達を救う瞬間は来る。今のお前は昔と違って、その力を騙し引っ掻き回すためでなく救うために使うのだろう?」
「……本当、よくお分かりで」
少し照れくさそうにしたマラブは、モラクスの隣を通って奥にあるという応接室に向かって行った。
「そこのお嬢さん方も。俺は大した茶や茶菓子は用意できていないが……娘が自分と同年代の女の子が来るからと、張り切ってケーキを買いに行ったんだ。もうしばらくしたら帰ってくるだろうから、もしよかったら仲よくしてやってくれ」
「は、はあ……」
バアルから受け取った魔神時代の記憶にあるモラクスと現代のモラクスとで、大幅なというわけではないが違いがあるので少し違和感を感じる。
人々に知識を広めるために講義をしたり、薬草学の知識を用いて人々を救ったりと人間と多く接触していたが元はもっと口数が少ない方で、口下手なのも相まってこちらから話しかけなければ無言のまま見つめ合うこともままあったくらいだ。
そんな彼がああして少し明るく、自ら進んで会話をするようになっているものだから、きっと現代の体は根明な性格だったのだろう。
一体何が原因で命を落とし魔神として覚醒してしまったのだろうか。それが気になって胸の奥で引っかかっているような感覚を味わいながら、先に歩いて行ったマラブを追った。
♢
「すまないな、少し時間がかかってしまった」
十五分ほど応接室で待っていると、モラクスが同じ髪の色の美琴と同い年くらいの女の子と一緒に戻ってくる。
女の子は平均身長より若干低い程度で幼さを残した顔立ちをしており、それでいてスレンダーな体形なため細くて綺麗という印象を抱いた。
「……ん!? え、あんたまさかブエル!?」
勝手にお湯を沸かして入れたコーヒーを飲んでいたマラブがその少女を見た瞬間、目を大きく見開いて言う。
ブエルは哲学、倫理学、自然学、論理学、薬草学に詳しく、他者すら癒す治癒能力を持つ魔神であり、モラクスと並ぶ知者の魔神だ。
魔神時代はかなり体が小さく、それこそまさに幼女と言っても差し支えないレベルで小さかったのだが、現代の体はちゃんと成長しているようだ。
それよりも、顔立ちはモラクスとどことなく似ているので親子であることに間違いないようだが、親子で魔神とか一体どんな確率なんだと愕然とする。
「あら、話していなかったの、モラクス?」
「あぁ、ちょっとしたサプライズになるかと思ってな」
「サプライズなんてものじゃないですよ。親子そろって魔神とか、どんな確率しているんですか」
「あたしも最初は驚いたわ。大好きって慕っていた父親が実はモラクスで、お父さんが溺愛していた娘が実はブエルだなんて、誰が想像できるのかしら」
ブエルはそう言いながら持っている箱をテーブルの上に置き、そのまま美琴の方に近寄ってくる。
「久しぶりで、バアルゼブル。ずっとあなたの配信を観ていたけれど、こうして見ると本当に綺麗なのね。あたしは中学生で成長止まっちゃったから、羨ましいわ」
「あ、ありがとう、ございます」
「何よ、そんなに他人行儀じゃなくたっていいでしょう? あなたが中途半端に覚醒していることもバアルゼブルがまだあなたの中にいることは知っているけど、魔神同士ではあたし達の仲だし、人間としても同世代なんだからタメ口で話して頂戴。じゃないと、魔神時代のあなたの恥ずかしい黒歴史をここで暴露するわよ」
「……わ、分かったわよ、エル。だから黒歴史暴露はやめて」
「うふふ、了解したわ。さ、ケーキを買ってきたからみんなで食べましょう。そのついでに、あなた達があたし達に聞きたいことを聞いちゃって。誰が何のためにここにいるのかは分かっているけどね」
ケーキの入った箱を開けながら、ブエルはフレイヤに目を向けている。
モラクスの名前が出て来た時、美琴達は正魔力の生成方法について話し合っている時だった。
モラクス曰く、ブエルは色んな配信者を見ているとのことなので、どうしてモラクスのことを求めているのかも知っているだろう。
お皿に乗ったケーキと淹れたての紅茶が全員にいきわたり、真っ先にブエルが美味しそうにケーキを食べ始める。
華奈樹と美桜も遠慮しがちにケーキを食べ始めるが、美琴はなかなか手を付けられずにいた。
魔神時代ブエルとはそれなりに仲よくしていた。
珍しく魔神と人間との性格の違いがそこまでないタイプのようで、雰囲気は昔のままだ。
だからこそ、目の前にいるかつての友神も命を落とした経験があるのかと、胸の奥にチクリとした痛みを感じる。
「では早速こちらからお聞きします。魔神モラクス、あなたは正魔力の生成方法をご存じですか?」
ケーキを一口だけ食べたフレイヤが、もうこれ以上は我慢できないと言わんばかりに質問を投げかける。
「正魔力……正エネルギーの生成方法か。知らんこともないが、知識として知っているだけでやったこともないし、酒の席で聞いた話だから合っているかどうかの確証もないものだが」
「それでも構いません。些細な手がかりだって構いません。今後のダンジョン攻略に於いて、正エネルギーは必要不可欠です」
「深層上域のボス、吸血鬼ヴラドか。確かにあれほどの強さの怪物ともなると、必要だな。だがあの程度の敵、バアルゼブルなら神性開放を使えば問題ないのではないか?」
「……多分、問題はありません。でも、私しかできない攻略法は、私が生きている間しか通用しません。私のこの力はきちんと後世に残すつもりですけど、何かの拍子でどこかで途切れてしまう可能性もあります。なら、魔神の力という個人の能力ではなく、理論立てて可能になった技術や手段を残したほうが、後進の役に立ちます」
一人の人間に依存するようなものは、確立された攻略法とはとても言えない。
美琴がまだ先の未来とは言え、寿命は人間と変わらないから数十年もすれば死ぬ。死んでしまえば、美琴がいることを前提としたものはその時点で破綻する。
そんないつ壊れてしまうのかも分からないものに頼るより、下層最深域までのボス戦テンプレートのような、後世でも再現することができるもののほうがいい。
モンスターである以上、正エネルギーは強烈な特効だ。
これを生成することができてきちんとその手法を残すことさえできれば、今後深層に限らずダンジョンの攻略に踏み出した人たちの大きな助けになる。
「その返答を聞きたかった。ではまず一つ目だが、ベリアルさえいれば問題ない。彼女さえいればその権能でいくらでもできるし、彼女の権能の一部を封じた神器を作れれば、同じように偽ることができる。だがこれは、一個人に大きく依存するためいい手段とは言えないだろう」
「ベリアルなら、寿命という概念そのものも偽ることもできるから、それこそ権能を発動する暇すらなく殺されない限り、永遠に生きていそうだけどね」
「あの戦闘狂、アモンに一回完璧な不意打ち決められて一度死んだのに、次の日普通に生き返っていなかったっけ?」
「あー……そんなこともあったかしらねえ……」
「…………ぷっ」
何をしたらあの魔神は死ぬのだろうかと遠い目をすると、フレイヤが小さく吹き出す。
なんで噴き出したのかは分からないが、何かが彼女のツボにはまったのかもしれない。
「俺が酒の席で聞いた話というのは、魔力とやらは負の感情によって生み出されたマイナスのエネルギーなのだろう? それをマイナスのままプラスの方に出力すると言うものだ」
「…………………………………………………………………………冗談言ってます?」
ものすごい長い沈黙の後、フレイヤが絞り出す様に言う。
「俺はいたって真面目だ。繰り返し言っただろう、酒の席で聞いた話で、合っているかどうかの確証などないと」
「そんな話を聞いていたのね。でもね、モラクス。足は前に向かって踏み出しているのに後ろに向かって進むなんてこと、できると思う? あなたが聞いた話って、そう言っているようなものよ」
「つまるところ、魔神ですら正エネルギーの生成のやり方は分からないってことね」
モラクスならもしかしたらと思っていたのだが、当てが外れてしまったようだ。
こうなってしまったら正エネルギーの生成は諦めて、繰り返しでもヴラドに有効な戦い方を編み出すしか方法はないかもしれない。
「いや、マイナスのままプラスに出力……。荒唐無稽な話ではないかもしれない……」
顎に手を当てて考えていたフレイヤが、そうぽつりと呟いた。
その発言には流石にリタも、ショックのあまり脳の働きが止まってしまったのではないかと、心配そうな表情を浮かべていた。
同情するような視線を全員がフレイヤに向けていると、突然彼女が左手から魔力を小さく放出する。
もちろんそれは普通の、負の感情を用いて作られた魔力だ。
「違う、こうじゃない。負の感情で取り出しながら、正の感情でも取り出すような感覚」
繰り返しフレイヤは左手から小さく魔力を漏出する。
そんな方法でできるわけがないと、これ以上魔力の浪費を止めさせようとソファーから立ち上がろうとした瞬間、本当にごく僅かではあったが、あの時の砲弾から感じたものとよく似たものを感じた。
フレイヤも自分の魔力だから気付いたようで、一瞬だけかなり驚いたような表情を浮かべた後に、嬉しそうに口角を上げる。
「そうか……そう言うことでしたか! なんて単純で簡単なことなのでしょう!」
「まさかとは思うけど、何か分かったというの? あたし達知者の魔神ですら知らないようなことを」
頬を引きつらせながらブエルが聞く。
「えぇ。恐らくはこれが完全な正解、というわけではないのかもしれません。ですが、足がかりは得ました。魔力刻印にある魔力を負の感情で取り出す際、魔力は体の魔術回路に流れていくのは常識です。ですが、流れていく方向はあまり知られていない。理由は簡単です。そんなものを意識するよりも早く、全身の回路に魔力が通って励起状態になるからです」
口早に説明しながら、言ったように自分自身の魔術回路に魔力を流して励起状態にさせる。
「モラクスが言った、マイナスのままプラスに出力する。それはあながち間違っているものではありません。刻印から魔力を取り出す際、というか魔術師や呪術師が術を使う際、左手から術を放ちますよね?」
「ここにいる大部分は魔術師じゃないから何とも……。リタさんは魔術師なんですよね」
「まあ、一応は……」
華奈樹の問いかけに、リタは大分歯切れの悪い返答をする。
「あ、でも確かに灯里ちゃんとかルナちゃんとか、左手で杖を持っているわね。杖なしでダンジョン行った時も、左手で魔術を撃っていたわ」
「そう! 術師は総じて左手で術を使うんです! もちろん右手でも使うことはできますけど、それはもちろんからくりがあります。基礎的過ぎて忘れていましたけど、魔力刻印があるのは心臓で、心臓から回路が流れている。これ、人間の心臓と血管と同じような構図をしています。そして、魔力の流れも血液と同じで左回りで流れていきます。基本は左手や左手で持った杖で魔術を使いますが、右手で使う場合は左手で使わなかった魔力を右手で使っているんです」
そんな仕組みになっているのは今初めて知った。
そんな風に魔力が流れていて、そのように使っているのかと感心する。
「それで、その流れがどうしたって言うの?」
「負の感情で取り出した魔力は左向きに向かって流れていく。では、正の感情で取り出した雑魚モンスターにダメージを与えることすらできない、極微小の正魔力はどちらの方向に流れていくと思いますか?」
「フレイヤ様の話の流れ的には、逆方向ですね」
「その通りです! ではどうして正の感情で取り出した魔力は、通常の方法と比べて笑ってしまうくらい効率が悪いのか。それは、言ってしまえば本来の血液の流れに逆らって逆方向に流そうとしているからです」
ここまで説明を受けて、美琴もようやく言わんとしていることを理解する。
モラクスの言ったマイナスのままプラスに出力するという言葉、それをヒントにフレイヤはそう言うことかと理解していた。
「なら、正しい手段で生み出した魔力を、逆の方向に向かって流していったらどうなるのでしょうか」
「理論的には、負の感情で取り出したまま正のエネルギーになる……けど、そんな小学生みたいな理論でできるの?」
「今さっき、ほんの一瞬だけとはいえできたのを美琴さんも感じましたよね? あれは少ない魔力でやったからあんなに小さかっただけ。なら、これくらいの魔力を一気にマイナスのまま逆回転させてしまえば、どうなるのでしょうか?」
そう言ってから、恐ろしく苦手だと言っていた魔力をまとうという行為を行い、それを見た目で分かるように可視化して右向きに流していく。
すると、本当にそんなシンプルなことでよかったのか、見る見るうちに魔力は正魔力に変換されて行く。
ただやはり変換効率は良くないのか、あるいはすでに取り出してしまっているものを無理やり変換しているからなのか、まとわせていた魔力は十分の一までしぼんでいた。
「っ……! これ、は、随分とキツイ、ですね……! 全身の魔術回路が悲鳴を上げているようです」
「ねえ、すごい油汗かいているけど大丈夫!?」
「平気です。全身の神経を逆なでされているような痛みはありますが、このくらい」
「今すぐやめなさい!」
苦痛をこらえるような表情までし始めたので、急いでやめさせる。
正魔力の生成を止めさせると、大量の汗を流して肩で激しく呼吸する。
「恐らく、本来の運用方法ではないから、あるいは今までやったことのない方法での運用で回路が酷く驚いたのかもしれないな」
「少し診させて頂戴。あたしは知者の魔神でありながら、癒し手の魔神でもあるから」
ブエルはそう言ってフレイヤに近付き、左胸に手を当てて目を閉じる。
診るためとはいえすごいところに触れているなと、見ている方が恥ずかしい気分になりながら、フレイヤの状態は大丈夫なのだろうかと心配する。
「……うん、回路自体に損傷はない。ただ、モラクスが言ったように今までにない方法での運用でものすごく驚いた状態になったみたい。多分、今ので逆転運用の感覚を掴んだでしょうから、いきなりあの量じゃなくて少しずつやって行けば、その内正魔力を自在に扱えるようになるはずよ」
「そうですか」
「た・だ・し! 魔術回路が正魔力生成の感覚を知ったからって無茶はしないこと。傷付いているわけじゃないけど、今ので結構な負荷がかかったのも事実。一週間は、正魔術の生成は行わないこと。いい?」
「わ、分かりました」
フレイヤが押されるように頷くと、ブエルの左手から血が浮かび上がってきて、それがフレイヤの胸の中に吸い込まれて行った。
「はい、神血縛誓。これであなたは一週間は正魔力生成ができなくなったわ」
「ここまでしなくたってよくないですか?」
「初対面の人にこんなことするのは正直気が引けるけど、こうして会った以上はもう知り合いよ。その知り合いが無茶をして倒れるなんて、見たくないもの」
聖母のような温かく優しい笑みを浮かべながら言うブエル。
そう言えばブエルはバラム同様、戦闘は全くできないタイプの魔神だったのを思い出す。
今でもそれは変わりないようで、スレンダーな体形をしているが鍛えているとかではなく、ストレッチや有酸素運動などで細い体形を維持しているだけのようだ。
「思わぬ形で解決してしまったな。もしかしたら、俺がいなくても自力で答えに行きついていたかもしれないな」
「いえ、モラクスがああ言ってくれなければ足がかりを得ることはありませんでした。最初、あなたの発言を疑ってしまったことを許してください」
「俺はそこまで狭量ではないよ。君の助けになれて何よりだ」
モラクスも悩みを解決できて嬉しいのか、微笑みを浮かべている。
こんなにも優しそうな見た目をしているのに、その実完全な全盛期バアルゼブルより一歩劣るが、トップクラスの戦闘能力を持つ魔神なのだ。
こういう大人しい人ほど怒らせるとものすごく怖いので、怒らせるつもりなんて微塵もないが、今後何かで関わるようなことがあるかもしれないから怒らせないようにしようと決める。
術師達が長い間不可能だと言って諦めていた正魔力の生成を、割とあっさりと成功させてしまってから少しの間美琴達はモラクスの店で談笑して、一時間ほど過ぎた辺りでお暇することにした。
念のためモラクスとブエルと連絡先を交換しておき、もし何かあったらすぐに連絡するようにと言われた。
ちなみに、冗談で言ったのかもしれないが、クランに入ってもいいみたいなことを言われたのだが、もうすでに魔神が自分とマラブの二柱いるのでこれ以上増やすと変に注目を浴びるからと、丁重にお断りした。




