167話 Side 繧ス繝ュ繝「繝ウ
「うーん、やっぱりこの程度じゃバアルゼブルクラスとなると無理か」
テーブルライトとモニターの光が光源となっている薄暗い部屋で、一人の若い青年が椅子にもたれかかりながら、誰に言うでもなくつぶやく。
「そもそもがバアルゼブルが最強格の魔神だからなあ。善性側のみの全盛の七割程度とはいえ、信仰心を力に変えられるようになっているから、それこそ深層以上の個体じゃないと土台無理な話か」
青年が見ているもの、それは深層攻略をしていた美琴の配信だ。
遡って見ることができるので、ドラキュラ戦を二倍速で流しながらぶつぶつと呟き続ける。
「そうとなると深層よりも先にある深淵、そして奈落って勝手に言われているダンジョン最下層の無間。そこくらいのモンスターじゃないといけないんだろうけど……イレギュラーを除いて下の階にいるのは上の階に行けないしなあ」
ギィ、っと椅子の軋みを上げながら脱力する。
ダンジョンは上から順に、現在判明している時点で上層、中層、下層、深層となっており、深層よりも下は判明していないため深淵や奈落と世間一般では呼ばれている。
分かっていないから呼び方は安定しない。分かっていないから、陰謀論や都市伝説好きがこぞって考察をネットに上げ、その都度激しい論争になる。
深層より下はそのような場所なのに、まるでこの青年はそこよりも下の名称を知っているかのように口にした。
もし周りに普通の人がいれば、何を言っているんだこいつはと白い目で見られたかもしれないが、本人はいたって真面目な顔をしている。
「もっと強いモンスターが生まれたらいいんだけど、あんまり強いのが出てくるとそれこそ人間じゃ対処できない災害になるからなあ。ただでさえ、深層最序盤の大百足で簡単に半壊するような弱いやつらの集まりなんだし」
「へぇ、世間じゃ大百足は世界一大規模な攻略班を半壊させた化け物って扱いなんだけど」
モニターに映っている美琴達がフレイヤの出した方舟に乗り込んで、地上に向かって戻っていくのを眺めながら言うと、青年しかいないはずの部屋から一人の少女の声がする。
自分以外誰もいないはずの部屋からする少女の声。普通であればかなり驚くものなのだが、青年は微塵も動じる様子はなく、くるりと椅子ごと振り返る。
「やあ、来ると思っていたよフェニックス。それとも、ここでは桜ケ丘昌って呼んだほうがいいかい?」
「……チッ。あいつの言う通り、私の名前を把握しているのね」
「もちろんさ。バアルゼブル……は配信して超有名だから除外して、ベリアルは……今の名前のリタ・レイフォードで呼んであげよう。彼女の名前も、彼女の雇い主の方から広く知られたからね。バラムは自分ではマラブと名乗っているけど、肉体そのものの本名はクリスティナ・リオンハート、フルフルは城門姫乃。他にもモラクスやブエル、バルバトス、ナベリウス、ゼパル、アスモダイ、マルコシアス……。俺は、現代に生きる全ての魔神の現代の肉体の名前を把握しているよ」
青年が次々と魔神の名前を並べていくと、昌は苦い顔をする。
「あはははは! 珍しいね、君がそんな顔をするだなんて。知っているよ。君はバラムの権能に頼ってここを見つけた。俺が君の愛しの親友である雷電美琴に危害を加える存在を見つけるようにと、彼女に命令したから。でも、これも知っているよ。彼女の権能を使ってもなお、俺の正体まで把握することはできなかった」
苦い顔をする昌をおかしそうに笑いながら、くるくると椅子を回転させる。
「あんた……いったい何者なのよ……!」
青年の言葉を肯定するように、若干の恐怖を顔に浮かべた昌が権能を行使する。
背中から燃えるような真紅な美しく神々しい翼を生やし、戦闘態勢に入る。
「そんなに怯えなくなっていいだろ。俺と君の仲じゃないか」
「おあいにく様、私にはあんたみたいな知り合いはいないのよ」
「そりゃまあそうだよね。というか君自身があまり人を信用していないからね。友達が少ないのも仕方がない」
「なっ……!?」
「もちろん知っているさ。君が覚醒したのは、小学生の頃に強烈ないじめを受けていて、度が過ぎるいじめの延長で道路に突き飛ばされて、トラックに撥ね飛ばされて体がぐしゃぐしゃに潰されて死んだから。君はそれがきっかけでフェニックスとして覚醒し、そしてそれ以降は家族以外誰一人として人間を信用しなくなった。たった一人の例外を除いて」
言い終えるよりも早く、昌は翼を強く羽ばたかせて青年を発生させた炎で消し飛ばそうとするが、さっと掲げられた右腕でまるで時間そのものが止まったかのように、迫って行った炎が停止する。
「いきなり攻撃する必要はないだろう? ここには俺の大切なものがたくさんあるんだ。資料もあるんだし、なくなったら困る」
「私の権能を止めておきながらよく言うわね……!」
権能を止められるというあり得ない事象を目の当たりにし、昌の頭の中に撤退の選択肢以外すべてが消え去る。
ただ、序列こそ下の方ではあるが強さで言えばトップ5に入るフェニックスの権能を、こうもあっさりと止めることができる相手から逃げることができるビジョンが思い浮かばない。
「俺の秘密を知ったからにはただじゃ置かないって行きたいんだけど、君は不死身だからなあ。どれだけすり潰しながら殺しても、君の権能は肉体のみならず精神すらも癒してしまうから、発狂させることも難しい。はてさて、どうしたものか」
終始椅子に座ったままの青年は、また椅子をくるくると回しながら天井を仰ぎぶつぶつと呟く。
「命の針が止まる時、私は自ら薪から燃える炎に身を投げ灰となろう。誰かが傷つく時、私は涙を流してそれを癒そう。立ち上がり、立ち向かう勇気がない時、私は歌を紡ぎその背中を押し、悪を退ける手助けをしよう」
矢継ぎ早に、すさまじい速度で神性開放の呪文を唱える昌。
こいつは危険だ。そう、魔神としての本能が大警鐘を鳴らしている。
「真紅の羽で身を覆い、金色の尾羽を空で揺らす。私の翼は闇夜で輝き、私の尾羽は安らぎとぬくもりを与える。心正しき者達よ、私が忠義を示すに値することを証明しておくれ───永劫輪廻を廻る真紅ッッッ!!!」
故に神性を開放する。恐ろしい脅威となる前に、今ここで消し飛ばすしかない。
「……言ったろ、ここにはなくなったら困る大切な資料が山積みなんだ。俺の言うことが聞けないって言うなら、少し痛い目を見てもらうよ」
感情が抜け落ちた表情で昌の方を向いた青年は、気だるげそうに右腕を前に伸ばしながら言う。
攻撃をされる前に殺す。そう思い翼を強く羽ばたかせてこの部屋ごと青年を消し炭にしてしまおうとする……が、気が付いた時には滾るような熱と溢れる力が消え去り、元の人間の姿に戻っていた。
「あんた、今の……!?」
「その体の状態でも、他の魔神と違って死んでも復活できる。でも、魔神の体じゃないから痛みは普通の人間と変わらないし、何より痛みによる教育がしやすい」
青年が前に伸ばしている右手から、美しい真紅の炎が現れる。
それは他でもない、フェニックスが操ることのできる炎。
自分から力が失われたかと思ったが、即座に背中から自分の大きな一対の翼が生えてきたので違うと結論付け、ではなぜ彼にあの炎があるのかという疑問が出てくる。
しかしその疑問も、すぐに疑問に思っている余裕がなくなる。
彼の右手の炎に、全魔神中最強の武神であるバアルゼブルの紫電をまとわせ始めたからだ。
「あ、あんた、まさか……!!」
「うん、やっぱりここまですれば気付くよね。俺は、繧ス繝ュ繝「繝ウ。君達の言語で言った方が、君は信じてくれるだろうからね。とりあえず、言うことを聞かない生意気な小娘には、痛みによる徹底的な躾をしてあげないとね」
そう言って雑に、右手の紫電をまとった炎を投げつける。
「きゃああああああああああああああああああ!?」
昌は素早く翼で自分を覆って防御の構えを取るが、自分自身の炎の大炸裂と最強の魔神の雷撃には耐えられなかったのか、悲鳴を上げる。
「おや?」
ただ、青年には一つだけ誤算があった。
昌はここに、知者の魔神バラムの助言を得てきていること。それはすなわち、ここから逃げ出すための算段を得ているということ。
「あちゃー、しくじったな。そうだ、そうだった。俺としたことが、こんな派手な躾をしたらそれに紛れて逃げられるに決まっているじゃないか。せっかく俺を主だと痛みで魂まで教え込ませて、こっち側に引きずり込もうとしたんだけどなあ。ここにある資料を燃やされるのが嫌で怒りのあまり、悪手を取ってしまった。まあ、逃がしたところで全ての魔神の位置は把握しているから意味はないんだけど」
言いながら壊れた部屋を一瞬で修復し、つまらなさそうにくるくると椅子を回し天井を仰ぐ。
「それにしても、フェニックスはバラムのことを大分毛嫌いしていたはずだけど、どうして協力し合っているんだろう。面白いな、実に不思議だ。昨日の敵は今日の友というけど、かつては敵対していた魔神同士が手を取るなんて。人間の体になってから、そういう協調性のようなものが生まれたのかも? これは実にいいデータだ。しっかりと資料にまとめて大事に保存しよう」
ぶつぶつと呟いた後でルーズリーフを取り出して素早く、汚い字で文字を書いていく。
長い時間集中して書き続けていたが、途中で呼び鈴が連打されたため不機嫌になって対応に出ると、自分が起こした爆発音で通報されており警察が来ていた。
流石に一瞬焦ったが、リビングにはジャンク品だが大きめなスピーカーが置いてあるので、何かが原因で一瞬だけ自分のスマホと繋がって偶然映画を観ていてつながった瞬間が丁度爆発シーンで、その音が大爆音で流れてしまったと誤魔化した。
最初は信じてくれなかったが、スマホを見せてレンタル履歴を証明したことで事なきを得た。
「フェニックスめ、俺の集中を邪魔した罪は重いよ」
全く関係のない恨み言を呟きながら、青年は再び机に戻ってがりがりとルーズリーフに汚い文字で何かを書いていった。




