156話 本気の模擬戦
龍人の突然の訪問の翌日、美琴は京都に足を運んでいた。
ただし一人ではなく、美琴の両親と夢想の雷霆全メンバー+αが勢揃いしている。
ちなみにアイリは今日はあの浮遊カメラではなく、フレイヤから貰った機体に入っている。
「私一人で行くつもりだったんだけど」
「あんな狂人だらけのところに、私達の大事な一人娘を一人で行かせるわけないでしょう」
「美琴が模擬戦に勝っても約束を守ることはないだろうからな。そうなったとき力づくでも連れ戻すために俺がいる」
龍博と琴音の仕事の方は大丈夫なのかと問いたかったが、龍博は自分の秘書に昨日のうちに連絡して今日は一日仕事に行けないから、できる範囲でいいから進めておいてほしいと頼んでいるらしい。
琴音も同じで、副社長に今日の仕事を頼んでおいたらしい。
そんな二人に、もこもこなジャケットを着たバアルが呆れたような目を向けやれやれと肩を竦める。
「全然大丈夫なんだけどねえ」
「昨日あなたが美琴に何か教えていたみたいだけど、それでも不安なのよ」
「私も、美琴先輩がいくら強いとはいえど心配です! 一族の連中が何かするようなら、私が月魔術でしばき倒してやります!」
「わ、私も魔術で美琴さんのことをサポートします!」
「ありがとう、ルナちゃん、灯里ちゃん。でも、神血縛誓で私一人って決めちゃっているから」
「で、でも……」
「大丈夫よ、灯里ちゃん。だってあの人、特にこっちに制限かけることなく結ばせたから、どうあがいても負けないわよ」
昨日自らに課した縛誓のおかげで、例えバアルであっても美琴と一族との模擬戦に介入することはできない。
しかし、美琴から一本取ることができれば帰ってもいいと言ったことがよほど嬉しかったのか、自分に有利になるような制限をかけてこなかった。
仮に向こうが美琴が不利になるような準備をしていても、何の意味もない。
「まあでも、ぶっちゃけこのまま屋敷に行かないでこのまま全員で京都観光して、お土産買って帰りたいくらい行きたくはないんだけどね」
「神血縛誓なんてしなければ、今お嬢様が言ったこともできたでしょうに」
「今悔やんでも後の祭り。破棄するにしても今やったら何かありそうだし、こうでもしないとあの人しつこいし」
龍人が帰ってすぐに正しい手順で破棄してもよかったのだが、それをしたらまた別の日にやってきては龍博達に迷惑をかけていたことだろう。
美琴は両親に恩返しがしたいのであって、迷惑をかけたいわけではない。
「……ねえ、美琴。私まで呼ぶ必要あった?」
両親とクランメンバーの中に二人、一人は場違いだという表情を浮かべ、もう一人はその一人をなだめるように手を握っている。
「そういう割にはちゃんといるじゃない、鳴海」
「そうだよ。雷電さんがいるならって言ったのは鳴海じゃないか」
一緒にいるのは鳴海と、鳴海の恋人だ。
昨日霊華に連絡を取った後で鳴海にも連絡して、もし来られるなら鳴海も来てほしいと言ったら、ちゃんと待ち合わせ場所に恋人と一緒に来ていた。
こうして彼女と直接会って話すのは、あの一件以来だ。
「そう、だけどさ……」
「まあ、今回はいてくれた方が都合いいから、いなかったら霊華さんにお願いして連れてきてもらうつもりだったけど」
「あんた一体何をするつもりでいるのよ」
「一緒に来れば分かるわよ」
「私の親もいるだろうから、ぶっちゃけ行きたくないんだけどね」
「私がいますから安心してください、鳴海」
「そうじゃぞ。妾と華奈樹、綾人がいる限りぬしにはたとえ親であろうと手出しはさせぬよ」
龍人は一族全員で、美琴の帰還を迎えると言っていた。
勝ったつもりでいるようだし、屋敷についた時点で「お帰りなさいませ」とか言ってきそうだ。
自信満々でいるところを絶望の淵に叩き落せるのかと思うと、不思議と楽しみになってくる。
「で、その肝心な霊華さんはどこに?」
中学卒業後に引っ越して以来の京都の町並みを見回しながら、綾人が美琴に聞いてくる。
「もう屋敷にいるって。あらかじめ死人が出ないように準備しておいてくれるって」
「今冷静に思うと、あの人も中々いかれているよな」
「魂が神霊化している上に元々が仙人で、シンプルな強さで言えば私よりも上だものね」
「魔神に近くなっている美琴よりも強いとか反則だろ」
「生ける伝説だしね。さ、こんなところで駄弁っていないでさっさと行って終わらせちゃいましょ」
「今からでも彼氏と逃げたい……」
「諦めようよ鳴海。僕は一発ガツンと、君のご両親に言いたいこともあるからさ」
とても嫌そうにしている鳴海を逃がさないようにと、彼女の恋人が手を引きながら先を歩く美琴の後をついてくる。
一体どんな準備をしているのだろうか、そしてその準備をどのようにしてぶち壊してやろうか、そう考えながら苦い思い出のある屋敷への道を歩く。
♢
美琴が今考えていること。それは、「今すぐにでも全員黙らせて家に帰りたい」である。
予想はしていた。一族の、雷神というよりも雷神の力に対する病的なまでの信仰と崇拝を。
覚悟はしていた。まだ勝負を始めてすらいないのに、諸手を挙げて美琴が帰って来たと喜ばれることを。
ただ、美琴が想定していた以上にそれが酷かった。どれくらい酷いかというと、思っていた一万倍は酷かった。
「命様! よくぞお戻りになられました!」
「嗚呼、これで一族の将来は安泰だ!」
「ささ、命様。そんな余所者の作った汚らわしいものではなく、代々一族に伝わる製法で作ったこちらの御召し物にお着換えください」
「穢れた土地の余所者の作った石鹸を使っていてもなお、黒曜石のように艶やかな鴉の濡れ場の御髪の美しさたるや……! ぜひとも、我らが作ったものでお手入れをしてほしいです……!」
「…………超帰りたい」
「我慢しましょうお嬢様。どうせここにいるのだって長くても一、二時間でしょう。それまでの辛抱です」
「あーじおじいちゃん抱っこしてベッドで寝たい」
「これは重症ですね」
屋敷に足を踏み入れた直後から、雷一族の面々が勢揃いして美琴の帰還(と思い込んでいる)を諸手で大喜びする。
感極まって涙を流す者、美琴が着ている服を破り手に持っている着物を着せたいのか手を伸ばしてくる狼藉者、美琴以外全員に罵詈雑言を浴びせる愚か者。とにかく美琴の神経を逆なでしてくる人しかいない。
あまりにも酷すぎるあまり、思わずここにいるのは人の皮を被った猿でも集まっているのではないかと思ってしまうほどだ。
「落ち着きなさい、美琴さん。あなたの怒りはよく理解できますが、感情的になってはいけません」
「分かっていますよ、霊華さん。ただ、この後の模擬戦で手加減できるかどうかが怪しくなるだけですから」
「わたしがいるのですから、死人は決して出ませんよ」
感情的にならずにいられるのは、数年ぶりに会った恩師、朱鳥霊華が隣にいてくれているからだろう。
美琴よりは背は低く武人ということもあって、体はスリムでありながら体幹は一本芯が通っているようで、腕と足もただ細いだけではないのが見て分かる。
一見すれば二十代前半の黒髪の美女なのだが、実年齢は千を超える現代日本における生きる伝説だ。
そして何よりの特徴は、翡翠の左目と紅玉の右目と左右で色の違う目だ。
本人はこのオッドアイが原因で大切な家族を失った経験があるため嫌っているそうだが、三百年ほど前に会い、そして愛し合い寄り添った異国の青年のおかげで、抉りたいほど嫌いから鏡で見なければいい程度になったそうだ。
「九年ぶりの京都なのに、こんな嫌な気持にならなきゃいけないなんて」
「たびたび美琴さんの口から話されていましたけど、本当に酷いですね。誰一人として、美琴さんではなく雷神としか認識していない」
「……わたしも過去に似た経験がありますので反吐が出ますね」
「え、リタさん似た経験したことあるの!?」
驚きの情報に彩音が目を瞠るが、リタはそれ以上何も話そうとせず、誤魔化す様に妖しげな微笑みを浮かべる。
美琴もリタの似たような経験とは何なのか非常に気になるところではあるのだが、本人が話したがらないのである以上詮索するつもりは一切ない。
「ようこそお戻りになられました、命様。一族を代表して、感謝を申し上げます」
しかしやっぱり少し気になるなと思っていると、屋敷の玄関の前で待ち構えていたらしい龍人とその妻の春鳴が、気持ち悪いくらいにこやかな笑顔で出迎える。
「まだ戻るなんて一言も言っていないんですけど」
「お戯れを。例え命様が無敵の雷神様であろうとも、一本を全く取れないなんてことはありますまい」
「……この老害は頭が逝かれているのでしょうか、お嬢様」
「あまり触れないほうがいいわよアイリ。何言ったって無駄だから。……それで、どこで模擬戦を行うつもりですか?」
会話するだけで疲れるので、ここからは最低限の会話だけにしようと、単刀直入に聞く。
もう少し会話がしたいらしい龍人は少し残念そうに眉を下げるが、すぐにまた気味の悪い笑みを浮かべ、しゃがれた声で「こちらです」と手招きする。
隣にも立ちたかったようだが、事前に察知した綾人が遮るように割って入ってくれたおかげで免れるが、露骨な舌打ちをするのが聞こえた。
「ありがと」
「……ん」
ここに来てから綾人の不機嫌さが表情に出ており、余程ここにいるのが嫌なのがよく分かる。
華奈樹も美桜も同じような顔をしているし、鳴海に至っては嫌悪感たっぷりな顔をしている。
鳴海の実家の雷門家の人間もいるだろうに、娘の顔すら見に来ないなんて本当にろくでなしだなと、胸の中でふつふつと怒りが強くなっていく。
屋敷の中を歩くこと数分。美琴達は非常に広く整えられた広場のような場所に出た。
そこには隣に立つ霊華が張った結界が張られており、直感で今の美琴でも破ることができないのが分かる。
「こちらにて、命様と一族の各家の代表と模擬戦をしていただきます」
「……やっぱり、ただの一対一じゃなかったわね」
ちらりと後ろを見てみると、体の周りに小さく電気を奔らせている龍博が映った。
もとより卑怯な手を使ってくるのは予想していたので美琴は呆れるだけだったが、龍博はそういうわけにはいかないようだ。
今にも怒号を飛ばしそうな龍博を、琴音が必死になだめている。
「こちらは既に準備できております。今より一時間ほど、命様の準備のお時間を───」
「いらないです。こんな場所にいたくないので、さっさと始めてしまいましょう」
肩にかけているバッグを綾人に預け、そのまますたすたと広場の方に向かって歩いていく。
そこには既に、袴や着物を身にまとっている男性七名が、各々の得物を持って待ち構えていた。
全員顔はなんとなく程度に覚えているが、一人だけ明確に覚えている人がいる。それは雷門家当主、雷門海斗。
他にもいるのは稲光家長男、天鼓家長男と次男、静雷家当主、瓦鳴家次男、雷鼓家当主の六名だ。
するとそこに、春鳴から刀を受け取った龍人が合流する。
どうやら八名で模擬戦をするつもりのようだ。何が何でも美琴をここ雷庭に縛り付けたいがために、恐ろしい程卑怯な手段を選んだのだなとほとほと呆れる。
「ではこれより、我ら八名との模擬戦を始めさせていただきます。先に、命様のその美しく尊きお体に傷を付けてしまいますことを、謝罪させていただきます」
「そんなのはいいですから、早く始めましょう。まどろっこしいのは嫌です」
早く始めろと、横髪を右手の人差し指でくるくるといじりながら言う。
模擬戦とはいえ本物の武器を使うのだからと先に謝罪しようとしていた八名は、その出鼻を挫かれて若干狼狽えるも、すぐに気持ちを切り替える。
美琴と戦うことに集中し始めて、真剣な表情で得物を構える。
美琴もやっと始まるかと意識を切り替えると、龍人がにやりと笑みを浮かべる。
「封神結界、起動!」
その叫びと共に広い四方系の結界が張られて、美琴がその結界の中に閉じ込められる。
封神結界。名前からして、神を封じる結界のことだろう。
昨日お風呂に入っている時に、歴代の現人神達は初代の遺灰遺骨を一部利用した封神釘を四隅に刺した部屋の中で一生過ごしていたことを教えられており、魔神に近くなったとはいえ素の状態では美琴は権能が使えなくなる。
その教えの通り、試しに雷を起こそうとするが確かに雷が使えなくなっている。
「美琴!」
「なんて卑怯なことを!」
「美琴さん、そこからどいてください! 私の兵装で結界を破壊します!」
龍博と琴音は顔を真っ青にして、フレイヤは巨大な破城槌のような魔導兵装を取り出して、右腕に装着する。
華奈樹は魔眼を発現させて焦げ茶の瞳を灰色に染め、美桜は春鳴の方に向かって殴りかかりに行こうとするのを志桜里に制止されている。
ルナは憎悪の表情を浮かべて月魔術を、灯里は感情の抜けた表情で猛烈な魔力を小柄な体から吹き荒らし、トライアドちゃんねるの三人も今にも乱入しそうな雰囲気だ。
昌はブチ切れた表情をして殴り込みに行こうとしており、それをリタが肩を掴んで制止させている。
綾人も同じように行こうとしているが、霊華に止められている。
「蒼い空を雷雲で覆い、地に落とすのは慈悲の雨と裁きの雷。善き人は降る慈雨に喜びを、悪しき人は轟く雷鳴に恐怖を抱け。私は高き館の主なり」
結界の外が阿鼻叫喚となっている中、美琴は落ち着いてゆっくりと神性開放の詠唱を唱える。
「無駄ですぞ! 初代様の遺灰遺骨を用いて作った封神釘、それを使って張った封神結界は神の力を封じる結界! いかな命様であろうと、これを破ることは───」
高いテンションで龍人が話している途中で、美琴は神性を開放する。
体が書き換えられていく感覚があり、すさまじい万能感と共に力が無尽に溢れてくる。
額から左右長さの違う角が生えてきて、服装もいつものあの着物のようなものに変化して肩や腕、腰回りに鎧が現れて女侍のような格好となり、腰から鱗の生えた尻尾が生えてくる。
善性側、豊穣の神としてのバアルゼブルの全盛の七割とはいえ、魔神の肉体を現代の美琴の肉体に上書きすることで、権能を持つ人間から権能を支配する魔神となる。
姿が大きく変わり一瞬怯えたように体を震わせるが、結界があるからとその怯えをすぐに消し去って、八人同時に向かってくる。
そんな無謀な挑戦者八名を黙らせるように、美琴はその体から素の状態とは比べ物にならないほどの雷を発生させて、封神結界を破壊してから四方の結界の起点となる封神釘を破壊し消し炭にする。
「………………は?」
封神結界。確かに強力だ。神の力を封じられてしまえば、美琴は武術の心得のある非力な女子高生でしかない。
ただしそれは神性を開放する前の話で、魔神となってしまえば初代の遺灰遺骨を使っているとはいえ、人間が作った結界程度で魔神の力を抑え込めるはずもない。
これが力そのものに干渉して抑え込むとかだったら危なかったかもしれないが、この結界はどうやら抑え込むのではなく吸収して別の何かに変換するもののようだが、吸収なら上限というのはあるし一度に吸収できる量にも限度がある。
神性を開放してしまえば上限なんて一瞬で突破してしまうし、美琴自身の性質が解放後に人間から魔神に大幅に近付いたこともあって、もうその程度では封じることもできなくなっているのだが。
「言ったでしょう、こっちも本気で行くって。だから、神血縛誓で誓った通り、本気を出しました」
ざり、と砂利を踏んで一歩前に踏み出ると、全員がビクゥッ!? と体を震わせる。
更に止めを刺す様に、諸願七雷・七鳴神を開放し、更に更に追加で胸から真打・夢想浄雷を取り出す。これで正真正銘美琴の本気モードだ。
結界とその起点が完全に消し炭となり修復不可能となり、それを理解した美琴の両親とクランメンバー達は、見るからに安堵の表情を浮かべて胸をなでおろす。
「さあ、始めましょう。これはあなた達が望んだ、私との本気の模擬戦ですよ」
体から強烈な紫電を奔らせながら、ゆっくりとした足取りで怖気付いた八人に向かって歩いていく。




