147話 悶々
終業式後、学校の屋上で連絡先を交換した綾人は、できるだけ態度や表情に出さずに努めながらも、内心では結構舞い上がっていた。
昔から美琴には弟のようにしか思われていないのは分かっていたし、そういう扱いしかされなくても仕方ないと過去のことは割り切っている。
それでも、弟のようにしか思われていなくても、綾人にとってはいつもいじめっ子から守ってくれたヒーローで、未曽有の大災害を一人で殲滅した英雄で、誰よりも憧れで、そして離れ離れになる前から現在までずっと想い続けている初恋の女の子だ。
そんな絶賛片想い中の女の子と、話の流れで必要だからとはいえ連絡先を交換し、しかも家に帰ってからも父親と形だけの相談をした後という条件を満たした後だが、連絡をすることができる。
ほぼ奇跡のようなものだったが、同じ学校にいることを入学式の時に知って、ずっと好きだった女の子が数年たった現在、大人も見惚れてしまうほどの美人になっていた。
京都の百鬼夜行の後、華奈樹、美桜、そして綾人とその他僅か数名のクラスメイト以外全員が、京都を救った英雄である美琴のことを化け物と罵り、それ以外の要因もいくつも重なって京都からいなくなってしまってから、日々美琴に対する恋心を募らせていった。
高校で再会するが、話しかけに行こうにも美琴とはクラスが違ったし、主席入学してきた雷電社長夫妻の一人娘でものすごい美人ということもあって瞬く間に人気になり、それに伴って周りの目が勝手に厳しくなって声をかけられなくなった。
すぐそこにいるのに話しかけることができない。廊下でばったり会ったとしても、男子が美琴と会話をするだけで驚くくらい変な噂が立つ。
このまませっかく高校で奇跡的に再会できたのに、一度も話すことなく終わってしまうのかと悶々としていたところ、クリスマスイヴの配信を観ていた妹の綾香がもしかしたら綾人のことを誘うかもしれないと騒いだ。
祓魔十家で男性の知り合いとなると、呪術界とはほとんど関わることなかった美琴のことを考えると、それこそ綾人の家である剣城家以外考えられない。
それでもまさかそんなわけないだろうと思っていたら、クリスマス当日の今日、学校の廊下でばったりと出くわして、しかも美琴の方が何か話したそうにしていたが話しかけづらそうだったので勇気を出して綾人の方から話したら、終業式の後に話があると言われた。
昨日の綾香のこともあったのでもしやと思ったらまさかのその通りで、そしてその流れのまま連絡先の交換までできてしまった。
「……俺、なんかキモいな」
赤信号となった歩道の手前で待っていると、ついついポケットの中のスマホを取り出して新しく追加された、老猫と一緒に笑顔で映っている美琴のアイコンを見てしまう。
そんな自分の行動を、綾人は気持ち悪いと苦笑しながらスマホを閉じて、鞄の中に放り込む。
「美琴の作ったクランに、美琴から誘われて入る、か。夢なんじゃないかって思っちゃうな」
設立した瞬間から世界最強の座をほしいままにした、最強の雷神がクランマスターを務める最強のクラン、夢想の雷霆。
日本どころか世界中の多くの探索者や探索者志望の人々が、最強の実力者で見惚れてしまうほどの美少女がマスターを務めるクランに入りたいと口にしており、いつになったら一般募集がされるのかが毎日考察されている。
美琴とは今日まで話すことは全くなかったし、綾人も他の志望者達と同じように一般募集で入ろうと考えていたので、まさに棚から牡丹餅だ。
このことをどう説明しようかと考えながら帰路を歩いていると、いつの間にか自宅についていた。
両親は昨日から年明けまで大量の休みを取っているからしばらくは家にいるし、妹の綾香も先週から冬休みなので同じく家にいる。
もう家についてしまったのだし、どう説明するかなんて話し始めてから考えようとドアを開けて家に入る。
「ただいまー」
「んお? お兄ちゃんおかえりー。……んん?」
玄関に入るとちょうど綾香が二階から降りてきたところで鉢合わせ、怪訝な顔をしながら近付いてくる。
「なんだよ」
「いや、お兄ちゃん何かいいことでもあったのかなーって」
妹ながらよく見ているなと、少しだけ恐ろしく感じる。
「それについては着替えてから父さん達も交えて全部説明するよ」
「え、マジで何? 超気になるんですけど」
「だから待ってろ」
指先で綾香の額を軽く押しながら言い、着替えるために二階の自室に向かう。
その後ろで綾香が大きな声で、両親に「お兄ちゃんがご機嫌で帰って来た! 多分恋人でもできたんだと思う!」と言っており、父親の勝人と母親の結香がものすごいテンションで「何いいいいいいいいい!?」と騒いでいるのが聞こえた。
恋人ができたわけではないし、綾香の一方的な思い込みでそう言うのは勘弁してくれと思いつつも、もし美琴とそういう恋仲になることができたらどれだけ幸せだろうかと考えながら、着替えるために自室に引っ込んだ。
♢
綾人を自分のクランに誘い、本人は前向きどころかクランに入るつもりだと返事をしてくれた。
連絡先も知らなかったので、彼の父親である勝人にこのことを話して同意を得ることができたらそれを教えてもらうためにと、メッセージアプリで連絡先を交換した。
「……考えてみると、男の子の連絡先交換するのってこれが初めてなんだ」
ジャケットを脱いでラックにかけ、制服から部屋着に着替えた美琴は、登録したばかりでまだ何もないまっさらな綾人とのトークルームを眺めながらぽつりとつぶやく。
美琴よりも数か月後に生まれ、背も低く当時は運動神経も本当に剣城家の人間なのかと疑うレベルで低かった。
体は細いし髪の毛も少し長くのばしていたし、可愛い顔立ちだったこともあって時々女の子と勘違いされることもあったし、同級生からはそれらの要因でいじめまではいかずともよくからかわれて泣いていた。
祓魔十家で家は華奈樹ほど近くはないが、毎日近くの広場で遊ぶくらいには家は近かったし、幼稚園も同じで誰よりも美琴に懐いていて、幼いながらも弟を持ったような気分だった。
そんな弟も同然だった小さかった綾人が、今や美琴が見上げるレベルで大きくなったし、祓魔十家の長男に恥じない体格になった。
女の子と見間違われるほど整っていた顔立ちは、しっかりと爽やかな男子なものになったし、その身長と体格も相まって知らない人が見ればアイドルと思われるだろう。
「……随分と格好良くなっちゃって」
『お嬢様がそう言うほどとは、中々ですね』
「綾人くんて昔は、本当にザ・弟だったからね。それが今や立派な男の子よ」
剣城家の戦い方は特殊で、元々は刀崎家や十六夜家と同じ退魔師の家系だったのだが、江戸時代ごろに突然変異のように呪力を持って生まれた人間が現れた。
それにより退魔師の基本戦術の錬気呼吸法と呪力による肉体強化や呪術の同時使用で、密かに怪異を狩っていた名も知られていない家が一気に知られるようになった。
ただでさえ高い身体能力を得ることができる錬気呼吸法に合わせて呪力励起状態による強化も入るので、純粋な身体能力だけで言えば最強の退魔師の家系である刀崎家をも超える。
元々退魔師の家系であることもあって、父親の勝人は武人のような体つきをしており、今の綾人もやはりやや細く見えるがしっかりと鍛えているのが見て取れた。
『お嬢様、先ほどから連絡も来ていないのに繰り返しトーク画面を開くのは、一体どういう心情なのですか?』
「…………へぁ?」
アイリに言われて気付く。
さっきから綾人から連絡が早く来ないだろうかと、ずっとスマホを握りしめてまっている。
『そんなすぐに来るわけでもないのに、ずっとそのように連絡を待つ。それではまるで、できたばかりの恋人から初めての連絡が来るのを待っている恋する乙女のようですよ』
「にゃ……!? な、なにを言って……!?」
否定しようとがばっと起き上がるが、言葉が出てこない。
言われてみれば、確かに取っている行動はアイリの言った通り、連絡を待っている恋する乙女のようだ。
ただ、美琴はまだ人生で一度も異性を好きになった経験がない。
美琴は確かに綾人のことは好きだ。ただしそれは異性としてではなく、弟のような幼馴染としてだ。
あの時の弱虫で泣き虫で可愛かった弟のような幼馴染。しょっちゅうからかわれては泣いていて、美琴のことをお姉ちゃんと呼んで後ろをついてきた弟のような幼馴染。
今はもうあの可愛さは残っていないが、あの優しい目付きは昔と何一つ変わっていない。
どれだけ見た目が変化しても綾人は綾人だし、相当格好良くなっていてもそれは変わらない。
そう考えていると、開きっぱなしにしているメッセージアプリから『シュポッ』という音が聞こえた。
目を向けると、まっさらだった綾人とのトークルームにメッセージが届いていた。
『父さんと母さんに美琴のクランに誘われたことを話したら、秒でOKされた。むしろ行かなかったら怒るとすら言われた』
「相変わらずおじさまとおばさまからの評価高いんだ、私」
どうしてこんなに二人からの評価が高いのかはいまだ不明だが、好かれているのは悪い気分ではない。
それよりも、異性との初めてのメッセージなのでどのように返事をすればいいのかよく分からず、画面を開いたまま固まっていると、続けて綾人がメッセージを送って来た。
『すぐにでもクランに登録しに行けって言われているけど、どうする?』
『俺は今からでもギルドに行って登録しに行ってもいいけど』
『あ、でも俺探索者ライセンス取ってねえや』
両親からの許可も下りたそうなので、明日にでも綾人を連れてギルドに行こうと思っていたのだが、どうやらライセンスを持っていないらしい。
登録自体はすぐにできることなので、今から行ってもライセンスの発行はできるだろう。
しかし、既に祓魔局に名を連ねてそれなりに忙しくしている綾人が、他の新人と全く同じところからスタートとなると少し不便だろう。
『お嬢様、確かギルドには他者を推薦して登録したてでも二等探索者になれる制度があるはずです。それを利用なさってはどうでしょうか』
「そういえばそんなのあったわね。……うん、綾人くんは推薦枠で申請してみましょう」
早速そのことを送ると、シンプルに一言『助かる』とだけ返ってきた。
それに続けて、早いうちにやったほうがいいから今から行こうと誘われた。
すぐにでも行けと言われているようだし、美琴も手続きなど面倒なことは早いうちにやってしまった方が後々楽なのを知っているので、一瞬だけ躊躇った後に了承する。
『……随分と嬉しそうににやけておりますね』
「へぇっ!?」
アイリに言われて慌てて自分の口元に触れてみると、確かににやけていた。
一体どうしてだと自問するが、答えが見つからない。
そんな美琴を見ていたアイリは、呆れたようにため息のような音声を出してから、美琴のことをちくちくといじって来た。




