138話 二度目の初めまして、一度目の再会
「やあ、今のあなたには初めまして、そして九年ぶりだね。現代を生きる、もう一人の私」
「……………………はぇ?」
気が付けば美琴は、見慣れた自分の部屋のベッドの上に座っていて、学校終わりはいつも嚙り付いている机の椅子には、美琴と瓜二つの誰かが座って柔和な笑みを浮かべてこちらを見ていた。
確かに美琴は、暗くなった冬の世田谷の町中でフルフルと戦っていた。そして、腹部に致命傷となる一撃を受けた挙句、自分でかけた神血縛誓で強化していた分、終了した後に訪れる睡魔で眠ってしまったはずだ。
それなのにいつの間にか、自宅の部屋の中にいるのはおかしい。と、考えたところで、間違った選択をしたせいで死んでしまったのだと思い、胸が激しく痛んで涙が流れる。
「あー……。先に言っておくけど、まだ死んでないからね? いやまあ、ある意味死んでいるようなものだけど」
「どう、いう……?」
「うーん、なんて言ったっけ。……あぁ、臨死だ。臨死体験っていう奴。今のあなたはまさにその状態なんだ。もちろん、放置すれば死ぬ」
何を言っているのかが理解できなかった。
そもそも、どうして自分と瓜二つの人物が目の前にいるのか、どうして自分の部屋にいるのか、まずそれが一番理解できない。
「そういう契約というか、神血縛誓を結んだから仕方がないとはいえ、そこまで露骨に怯えられるとおねーさん流石にちょっと傷付いちゃう」
「あなたは……誰、なの……?」
なぜ瓜二つな見た目をしているのか、ここはどこなのか。聞きたいことはたくさんあるが、まずは目の前にいる人物が何者なのかが一番知りたい。
「簡単よ。私はあなた。あなたは私。ありきたりなセリフだけどね」
「あなたが、私……?」
「そうよ。……えぇっと、確か思い出すのに必要な言葉は確か……、『こうして再会できて嬉しいわ、美琴』」
再会とはどういう意味なのだと聞くよりも先に、激しい頭痛がして頭を抱え、ベッドの上で体を丸める。
経験などしたこともないが、自殺頭痛とも呼ばれるほどの痛みが発生する群発頭痛のような痛みが、美琴に襲いかかる。
あまりの激痛に声を上げることもできず、呼吸が浅く、荒くなる。
しかし、次々と思いだす。失われていた九年前の記憶。
虫食いのように穴だらけになっていた、九年前の百鬼夜行。その真相を。
九年前の史上最悪の怪異災害、全てが特等怪異の百鬼夜行。
数多くの被害者が出て、怪異や呪術師、魔術師という存在が公になってから取り始めた統計の中では過去最大、公になる前の秘匿されていた時代から見ても最大規模の怪異災害だった。
二から三メートルほどの大きな鬼達が逃げ惑う人々を追いかけ、ある鬼は畑にある野菜をその場で食う獣のように生きたまま喰らい、ある鬼は狩りを楽しむかのようにじっくりと追いつめてから足を潰し、破壊した建物から作った串で刺して懐にしまっていた。
またある鬼は、自らの子孫を遺すべく年若い女性を幾人も捕まえて、人間の腕よりも太い汚らわしいモノで捉えた女性を穢していった。
人が多い地点で発生したこともあり、発生からわずか三十分足らずで被害者は千人近くにまで上った。
その被害者の中に、美琴は危うく入るところだった。
ではどのようにして生き延びたのか。それは厳霊業雷命の力を覚醒させたからだが、具体的にどのようにして覚醒させたのか。
あの時美琴は、生命活動が止まることの死と、八歳の頃で当然純粋無垢で純潔。一度きりの大切を危うく失い、女としても殺されそうになっていた。
二つの死。生命活動の停止と、女としての死。それが全く同時に襲いかかってきて、心と魂は全て「死にたくない」という感情一つで隙間なく埋め尽くされた。
その瞬間、八歳と幼い美琴は今の同じように、その当時住んでいた屋敷の自室の床にぺたりと座っており、正面には退屈そうに膝を抱えて座っていた瓜二つの少女がいた。
その少女から、正しい手順でここに来たわけではないから全ては与えられないし、同じ理由でここに来たということも忘れなければならないと言われた。
恩人のことを忘れてしまうことは辛かったが、そうしなければ大好きな家族と過ごすことや、華奈樹と美桜といった幼馴染と遊ぶこともできないのは嫌だと言って、それを受け入れた。
そうして美琴は、権能を使うことができるだけの肉体と権能を獲得し、前後の記憶の全てを失いながら暴走する形で、雷神として覚醒した。
「どう? 全部思い出せた?」
「……えぇ、おかげさまで。それで、やっとお礼が言えるっていうわけね、厳霊業雷命様。それとも、真名であるバアルゼブルって呼んだ方がいい?」
全てを思い出した美琴は、目の前にいる自分と瓜二つの人物が、自分の中にいる神の力そのものであることも思い出した。
バアルゼブル。ソロモン七十二柱の魔神序列第一位に君臨し、最強の座をほしいままにしていた雷神。
そして、平安の時代に人と恋に落ち今の雷一族の始祖となった、先祖だ。
「できれば本当の名前の方がいいかしらね。その方が、あなたも自分がバアルゼブルであることを受け入れられるでしょう?」
「そうかしら。どこまで行っても私はきっと、神の力を持っているだけの女の子だって思うかもよ」
「色んな人に言われているかもだけど、それで普通の女の子って言い張るのは難しいんじゃない?」
「眷属のみんなと同じこと言うじゃない」
「だって本当のことですもの。……でも、現人神となっても自分はただの女の子だってきちっと自分の意思で言えるあなたが好きよ」
バアルゼブルはそう言うと、座っている椅子をくるりと回転させながら部屋を見る。
「いい場所ね。引きこもりじゃないけど、自分の部屋は好きなんだ」
「居心地がいいように掃除や片付けは徹底しているもの。ほんのりといい匂いのするアロマもあるしね」
「ここだけじゃない。あなたの内側を形成しているのは、あなたが家族と過ごした場所。そして、友達と過ごした場所。歴代の覚醒者の心の中は、こんなにいい場所じゃなかった」
「どんな場所だったの、なんて聞かないでおくわ」
「その方が賢明よ。聞いているだけで吐き気がしてくるでしょうからね。あなたの性格的に」
京都の実家にいる時、両親からも祖父母からも絶対に近付くなと言われていた部屋があったので、多分それだろうなと苦笑を浮かべる。
あの中がどうなっているのか、今は分からない。でも、いい加減逃げ続けるわけにはいかないので、冬休みに入ったころに行こうとここでようやく決意できた。
「一応聞くけど、魔神として完全に覚醒する方法って何?」
もうとっくに分かっているが、正しい方法を知っている当の魔神本人から答え合わせがしてほしかった。
その質問をすると、バアルゼブルは少し言いづらそうに目を伏せる。
「……覚醒の条件は、死ぬことよ。権能だけを獲得するなら、もう少し緩和するけど」
「やっぱり。全部思い出した上で今の私がどんな状態なのかを考えると、そういうことよね」
ここに来てすぐに、バアルゼブルは本当に死んだのではなくあくまで臨死状態だと言っていた。
死んでいるも同然な状態なわけだが、わざわざ本当に死んでいないと先に説明した辺り、今の状態でもまだ完全な覚醒に至ることはできないのだろう。
顎に指を当ててそう考えていると、若干呆れたように息を吐いて胸の下で腕を組むバアルゼブル。
「本当、美琴って頭がいいよね。まだ何も説明していないのに、もう自分なりに考えて答えに行きついているわ」
「え、じゃあ本当にそうなの?」
「えぇ、そうよ。あなたはここで、神性開放まで使えるようにはなる。でも、他の魔神達と違って完全に命の灯火が消えてからここに来たわけじゃないから、完全な神性開放はできない。そうね……全盛期の七割ってところかしらね」
「十分すぎない?」
権能だけしか使えず、諸願七雷の強化がある状態でアモンを倒し、今回の戦い初めの時にフルフル自身も神性開放を使えていたら勝てないとも受け取れる発言をしていた。
あとは単純に、いきなり百パーセント使えるようになったところでそれがどんな規模のものになるのか分かっていないので、どのみち最初は加減して使うことになっているだろう。
「あともう一つ、新しい能力が追加されるわ」
「新しい能力?」
「そ。新しいと言っても、私達魔神からすれば持っていて当然のものなんだけど。神性の解放が七割程度とはいえできるようになるんだし、あなたの存在自体がその分だけ魔神に近付く。あぁ、寿命とかは人間のままだから、そこは気にしないで。バラムはちょっと例外っぽいけど。で、神性開放できる分だけ魔神に近付くことで得られるのは、人々の信仰心を自分の力に変換する能力。私は悪魔と呼ばれた側ではなく豊穣の神としての側面なわけで、魔神時代は多くの人が私を神と崇めてくれた。そのおかげで、悪魔と恐れられる側面から得た力と神として信仰されることで得た力の両方をかけ持って、私は最強の魔神として、魔神の王として君臨できた」
信仰を力に変える。
果たしてそれを得たところで役に立つのだろうかと思ったが、バアルゼブルがその考えに応えるように、信仰の形なんて自由で、美琴はまさにその自由な方法の信仰を大勢から向けられている立場だと言った。
それがすぐに美琴のチャンネルに登録している視聴者達のことだと分かり、そんな簡単なことでいいのかと目を丸くする。
「今時配信者とかアワーチューバーだっけ? のことを過剰に信じる視聴者のことを信者なんて呼ぶような時代だし、そんな簡単なことでいいのよ。美琴はとっくに魔神だってことは、登録者数の数以上の人に知られているわけだし。全盛期の私ほどじゃないけど、かなりの信仰心が集まるんじゃない?」
「それはそれでなんか複雑」
「神様化が進めば、視聴者の眷属達も変な悪ノリしてくるしねー」
「……もしかして、私の視界を通して外の世界のことかなり把握しているの?」
「そりゃもちろん。悠久の時を生きることができる私でもね、暇なものは暇なの。ちょっとくらいあなたが見ているものを覗き見したっていいじゃない」
むすーっと頬を膨らませるバアルゼブル。
マラブから、魔神の人格と宿主の人格は当然別物で、覚醒した時は宿主の人格をベースに魔神のものが混ざると教えられている。
そう聞かされていたから、もしかしたらバアルゼブルは最強と言われていたのだし美琴とはかけ離れた性格なのかと思っていたが、こうして話し合ってみると大分似ているように感じる。
もし魔神の人格と性格が美琴とは真逆で、それらが混じることで今の自分がおかしくなってしまったらどうしようと考えていたが、案外そんな心配はいらないのかもしれない。
とか考えていたが、戦闘狂で有名だったらしいベリアルが今の時代は戦いはせずに大人しくしているというのだから、仮に真逆でも意外とどうにでもなるかもしれない。
「ちょっと、随分と酷いことを思っていたのね。悪性側ならともかく、私は豊穣の神、善良な神様よ? 考え方とかはあなたとは違っても、性格まで真逆なんてことはあり得ないわよ」
「さっきから人の考えを読み取らないでもらえるかしら!?」
「ここはあなたの心の中なんだし、読みたくて読んでいるわけじゃないのよ」
そうだとしてもそれを指摘するのは勘弁してほしい。
本当に下手なことを彼女の前で考えることはできないなと、顔がジワリと熱くなるのを感じていると、おもむろに立ち上がるバアルゼブル。
一体何をするつもりなのだろうかと首を傾げると、両手をすっと伸ばしてきて顔を優しく挟み、そしてそのまま柔らかな唇で口を塞がれる。
「~~~~~~~~~~!?!?!?!?」
まさかの行動に顔を一瞬で真っ赤にし硬直する。
「な、なな、なに、を……!?」
すぐに離れたが、柔らかくて暖かな感触はなおも美琴の唇に残っており、わなわなと体を震わせる。
「わ、私の、私の大事なファーストキス……!」
「ここは心の中よ。本物の肉体じゃないんだし、私はあなたよ。ノーカンでよくない?」
とは言いつつも、バアルゼブルも顔を赤くしていたたまれなさそうに目を逸らしている。
「いいわけないでしょ!? こっちの気持ちとかそういうの考えて……ッ!?」
ギャンギャンと説教してやろうとするが、胸の奥が一気に熱くなるのを感じて言葉を詰まらせる。
羞恥からくる動悸ではなく、もっと別な何かが原因で鼓動が早くなる。
苦しくなって床に座り込み胸を押さえると、今度は頭が割れそうなほどの膨大な知識や記憶が頭の中に流れ込んでくる。
それらは全て、最強の魔神バアルゼブルの記憶と知識だ。
今の行動は彼女のものを美琴に渡すのに必要な動作だったようだが、そうならそうと先に言って欲しかったものだ。
仮に先に説明をされていても、そんな恥ずかしい行為なんてできるわけがないと抵抗していたかもしれないが。
「これで私の記憶と、神性開放に必要なものを渡した。これをどう使うのかはあなたの自由よ」
少しすると、苦しさや頭痛が嘘のように消える。
それを見計らってか、バアルゼブルはそう言ってから膝立ちになり、優しく美琴を抱き寄せる。
自分自身だからか、全く同じ匂いがした。
「あなたはどうするの?」
「んー、あなたが完全に死んでもう一度ここに来るまでは、ここに居座る感じかしらね。それまでは、賑やかで楽しいあなたの日常をここから覗かせてもらうわ」
「……いい趣味しているわね」
「暇神なもので」
「上手くないわよ、もう」
くすりと小さく笑ってから、お返しに美琴も優しく抱き着く。
少しだけ体を震わせるが、すぐに安心して身を任せるように力を抜く。
「ま、当面は一緒にいてあげるわよ。そっちがその気になれば私と意識を入れ替えられないこともないし、何だったら雷を物質化させることができるっていう権能を使って肉体を複製して、現実世界にお邪魔することもできるわね」
「随分自由な暇神様ね」
「そんなことができるのは、私が美琴の中にいる間だけだけどね」
「今はそんなこと言わないの」
さりげなく、今後は武器以外のものを雷を物質化することで作れることが判明したが、今はどうでもいい。
色々と自由が利く神様なようで、家では一人でいる時間が長い分寂しく感じることもなくはないので、話し相手ができていいなと考えると、バアルゼブルにわき腹をいきなり突っつかれて「んみゃあ!?」という声を出してしまい、羞恥に悶えて抱き着く力を強くする。
「ふ、ふふ……! 変な声」
「変なことしないでよ、もう……」
「ごめんごめん」
顔が真っ赤なまま離れると、くすくすとバアルゼブルが笑う。
恥ずかしいのを見せてしまったとむくれていると、笑っていた彼女が急に静かになる。
あまりにもいきなりだったので驚いたが、優しい眼差しを向けられているのに気付いて、もう戻る時間だと察した。
またすぐに会える。それが分かっていても、一旦お別れするのは寂しいものだ。
そう思っているのを読み取られ、小さな声で「甘えんぼさんめ」と言いながらまた抱き寄せられる。
また抱き着き返そうとするがやめて、柔らかな胸に顔をうずめるように少しだけ甘える。
見た目はまるきり一緒で並べば双子だと言われるかもしれないが、バアルゼブルの方が圧倒的に年上のお姉さんだ。
妹が欲しいと今までに何度か思ったことがあり、一人っ子は確定しているのにお姉さんぽくふるまおうとしていた時期もあったが、こうして姉のように感じる彼女に甘えるのも悪くないと思った。
「……もう、時間よ」
「……うん」
「今のあなたなら絶対に勝てる」
「うん」
「誰にも負けないわ。だってあなたは、最強の雷神バアルゼブルなんだから」
「善性の全盛の七割だけどね」
「余計なことは言わなくてよろしい。ほら、もう行きなさいな。ことが終わったら、好きなだけ甘やかしてあげるから」
「言質取ったよ? それじゃあ、よろしくね。そして忘れないでね、お姉ちゃん」
「……可愛い妹も悪くないわね」
何を言っているんだこの神様はを苦笑を浮かべる。
だんだんと、心の中の部屋から離されて行くような奇妙な感覚を味わう。
もしかしてこの中に来るたびに、これを味わうのだろうかと呑気なことを考える。
「さってと、調子に乗っているあのおバカさんに、一発きっついお灸をすえてあげないとね」




