123話 深層でぶつけられる憎悪
歩き始めて数時間が経ち、お昼時になったので手頃な岩に腰を掛けて、持ってきたおにぎりをもぐもぐと頬張りながらあまりにも進んでいなかったマッピングに呆れていた。
そりゃあ深層に挑むにあたって準備期間が異常に短いし、当のクランマスターが洗脳済みのクランメンバー以外から信用されていないから連携もないし、そもそも深層のモンスターに挑めるだけの強さを持つ人がいないこともあって、マッピングどころではなかったのは理解できる。
それでもあまりにも分かっていないことが多すぎて、よくそんなので深層攻略に踏み出したなと呆れるしかなかった。
そんな美琴の気持を表す様に、ダンジョンの中であるはずなのに存在する空には、黒い雲がかかっている。
『先ほどのモンスターは、大分気色が悪かったですね』
「人がご飯食べている時にその話題を持ってこないで」
”マジでSAN値直葬な見た目をしたモンスターだったね”
”美琴ちゃん終始顔青くしてた”
”普段は余裕な表情しているから、ああいう顔見られるのは新鮮でよき”
”ちょっと怯えている美琴ちゃんも可愛い”
”怯えているって言うか、ガチで気持ち悪がっていた感じだけどね”
”美少女にキモいものを見たような目で見られるのって、興奮するよね”
”絶対に十メートル以上近付かせないように立ち回ってて、ちょっと面白かった”
”でもやっぱり雷を制限なしで使える状況だとマジで強いな”
”結局あのモンスターはなんだったのだろうか”
”ただ言えることは、ギリ十八禁にならない程度の微エロイラストが、今後ツウィーターと俺のスマホの写真フォルダーに溢れることだな”
お昼休憩に入る前に戦ったモンスターは、言ってしまえば大量のねばねばした粘液を垂らしている触手が塊になって集まっているような、表現しづらい見た目をしていた。
ぐじゅぐじゅという気持ちの悪い音を流しながら粘液を垂れ流し、うぞうぞと触手を伸ばしてきて美琴の体に絡みつこうとしていて、鼻を刺すような刺激臭もあったため、抱いた感想は率直に超気持ち悪いだった。
遭遇した時も開口一番「気持ち悪っ」だったし、汚物を見るような目を向けていた。
何があっても絶対に、粘液の一滴すら体に付いてほしくなかったので、徹底的に距離を取って雷だけで倒した。
どういうわけか、触手の方を応援するようなコメントを書きこむ視聴者や、美琴のあのモンスターを見ている眼を自分に向けてほしいと言うコメントが大量に書き込まれたが、どうしてなのか本当に理解できなかった。
「深層って、改めて危険なんだなーって思ったわよ」
『あのモンスターは違う意味で危険でしたね』
「眷属のみんながやたらとあれを応援しているように見えたけど、どういうこと? 私があんな気持ち悪いものに絞め殺されてもいいの?」
”そりゃ嫌だけどさ……”
”この世の中には、触手というアダルトジャンルがあるんですよお嬢さん”
”美少女が気持ち悪い触手にからめとられて、身動きが取れない状態で弄ばれるのに興奮するんすよ……”
”触手で手足を縛られて動けなくなって、口でしか抵抗できない中、超絶嫌がりながら触手に汚されて快楽堕ちして行くのが最高なんだ”
”そんなのはあくまで、二次元だけだと思っていたんだけど、リアルで触手が出て来るとは思わんやん”
”でもまあ、深層モンスターだし女の子を弄ばずにシンプルに絞め殺すか、粘液を飲ませて窒息させそうな感じはあるな”
”ぶっちゃけあれに捕まらなくても、美琴ちゃんのあのドン引きフェイスが見れて、個人的には大満足です”
”あのモンスターには感謝だな”
よく分からなかったが、要するにああいったモンスターに女の子が汚されるアダルトジャンルがあるようだ。
理解できないししたくもないが、性癖は人それぞれだしそれを押し付けてこない限りは、美琴の方から何か言うつもりはない。
ただ、あんなものを応援するのだけはやめて欲しかった。
『この後はどうするおつもりで?』
「どうするも何も、ひたすらモンスターを探して歩き回りながら、埋まっていない場所のマッピングよ。マッピングはあなたがいるからすごく楽で助かるんだけど、モンスターの遭遇は運だからなー。もうちょっと遭遇率が上がってほしい。あの気持ち悪いのと音響爆弾ドラゴン以外で」
『そういう時に限って、そういうモンスターが寄ってくるでしょうね』
「本当にやめて、そういうこと言うの」
あの二種類としか出会わないのであれば、まだあのドラゴンの方がずっといい。歪で気味の悪さは感じるが、気持ち悪いとは感じないから。
とにかくもう、あの触手モンスターとは会いたくない。もしここに灯里とルナ、フレイヤ、リタがいれば同じことを思ってくれていたことだろう。
「それにしても同接数すごいことになっているわね? もう二千万超えたんだけど」
おにぎりを食べ終え、指に一粒付いていた米を舐め取りながら、もはやバグなのではないかと疑うレベルに到達している同接数に、頬を引きつらせる。
配信として映すのはこれで二度目で、深層があまりにも未知な領域すぎるせいで、世界中のギルドの支部や本部、有名配信者や解説動画を作っているアワーチューバー、タレントなどが張り付いて、そこから拡散に拡散が重なってこうなっているのは分かる。
それでも正気を疑うレベルで人が集まっているので、これは夢なのではないかと疑ってしまう。
「ちょっと前まで、同接ゼロから一を行ったり来たりしていた泡沫チャンネルだったのに、いつの間にかこんなになっててびっくりよ」
『私としては、なるべくしてなった感はありますが』
「本当かなあ? でも最初の配信切り忘れ事件の時、スタンピード殲滅が大きな起爆剤になるって言ってたし、それでその通りになったからそうなのかも」
かつては吹けば吹っ飛んで消える零細チャンネルだったのに、今や超大物配信者兼探索者の仲間入りを果たしている。
それどころか、美琴という存在に憧れて同年代や同性の探索者の数が爆増しているようで、最も世間に影響を与えている存在ともいえるだろう。
「ここまで来ることができたのは、アイリの果たして役になったのかなって思えるのが混じっているサポートと、いつも配信を観に来てくれている眷属のみんなのおかげだよ。感謝してもしきれないや」
”でしたらグッズの販売ををををををををを”
”マジでグッズ販売開始をまだかまだかと、首を長くして待ってる”
”グッズの中に、一人一枚限定で一回限りの『美琴ちゃんと直接お話しできる券』も入れてほしい”
”贅沢は言わないから、ボイス販売を優先してくれ。兄(購入者)に甘える妹シチュのボイスが欲しい”
”おいおい、大事なことを忘れてんぞ? これだけ美人で料理もできて勉強もできるんだ。美人幼馴染に朝起こしてもらうシチュとか、手作り弁当を食べさせてくれるシチュとか、隣で一緒に勉強していたら眠くなって肩にもたれかかって寝ちゃうシチュとかがあるだろ”
”ボイスもいいけど、本気でお洒落した美琴ちゃんのファッション雑誌が欲しい”
”コスプレ雑誌とかもあり”
”侍とか、くノ一とか巫女服とか似合いそう”
”もうじきクリスマスだし、サンタコスとかそういうのも欲しいなあ”
「ぐ、グッズに関してはもう少し待ってね? 忘れてたけど、二十四日のクリスマスイヴには販売開始できるから、その時は私のツウィーターで告知するからそこのURLからサイトに飛んでね。販売するグッズは全部完全受注生産になるから、そんなに急いで集まる必要はないからね」
色々と忙しくしていて、確保できる時間的に配信ができない代わりにやれることを一気にやっているので、予定していたよりも早く準備が終わりそうだ。
販売がもうじきだと伝えると、大爆発したようにコメント欄が盛り上がったので、もう一つ言うか悩んでいたこと、抽選での美琴との握手会兼撮影会参加券については出さないでおくことにした。
今ここでそんなものまで出してしまえば、あまりに盛り上がりすぎてコメント欄が壊れてしまいそうだ。
グッズを完全受注生産にした理由は、美琴の人気のえぐさを考慮して、そして巷で話題の転売ヤー対策だ。
そこまでネットに詳しいわけではない美琴でも、ツウィーターをいじっている時もあるのでよく見かける、転売ヤーという単語。
テレビでもあまりにも悪質だとして取り上げられており、本当に欲しい人の手元に届かず、大して興味も持っておらず己の利益のためだけに買占め行為をする人の手に届くのは嫌だと言ったところ、即この方法で販売することが決定した。
アイリも発達しまくった演算能力を駆使して、受注生産をした場合としなかった場合で演算してくれて、案の定数量限定で販売したら買占め行為をする人が出てきて、純粋に欲しがってくれている人の下に届かなくなるという結果が出ている。
琴音も、自分の事務所の芸能人やアイドルのグッズを数量限定で販売した時に転売ヤーにやられているので、それ以降は受注生産という形を取っている。
「これも正直な話、私がグッズを出すまで大きくなるなんて思わなかった」
『私はやるとは思っていましたが、チャンネルが指数関数的に急成長するとは思っていなかったので、できても来年だと思っておりました』
「アイリでもそこは予測できなかったんだ」
『こればっかりは流石に。これもお嬢様の人徳の成したことでしょうね』
「ただやりたいようにやっていただけなんだけどねー」
『そのやりたいようにやっていただけの活動が、周りから見れば他では真似できないお嬢様だけの唯一性となったのですよ』
やっていることは、ダンジョンに潜ってモンスターを倒しているところを配信に映す。ただそれだけの、他と全く大差のない内容だ。
見た目だけは、他にいないであろうミニ丈着物と自分だけの個性を出せているが、いかんせん内容が他と似たり寄ったりだったので、本当にあの最初の起爆剤がなければ、ずっと埋もれていた。
それくらいありふれている内容であるはずなのに、攻略速度やボスモンスターの討伐速度で多くの視聴者を獲得できた。
そこからはイレギュラーとの遭遇に魔神との死闘。魔法使いの妹との邂逅に、当日に魔法使いとも出会い、ブラッククロスとのいざこざからの深層攻略と、だんだんと普通という枠から外れて行ったが、その後の活動はいたって普通なものだ。
ただ、その規模がおかしくなってきつつあるのは自覚している。
『ところでお嬢様』
「何?」
『いくらあのモンスターが気持ち悪いからといって、いつでも神立の雷霆が使えるように常に天候支配するのはどうかと思いますが』
「え? 私そんなことしていないわよ?」
『……え?』
神立の雷霆は諸願七雷や陰打ちを使った攻撃を除けば、手持ちの技の中で最も威力が高いものだ。
確かに前の攻略配信の際深層ボスのドラキュラとの戦いの時に使用したが、それ以外の一般湧きのモンスター相手にこんな過剰な威力のものを使う必要はない。
シンプルに、ただ天気が悪いだけだろうと上を見上げ、美琴を中心に広く円形に黒雲が広がっていることを確認した瞬間、アイリを引っ掴んで横に置いてあるおにぎりを入れていたバスケットと水筒を放置して、雷鳴を轟かせて一気に雲の範囲から外れる。
その直後、さっきまで美琴がいたであろう場所に特大の黒い雷が大量に落ちるのが見えた。
もし気付くのがあと少し遅れていたら、きっとあの大量の落雷に撃たれて瀕死の重傷を負っていたかもしれない。
『お嬢───』
「セアァ!」
ぞくりとすさまじい悪寒を感じて、何かを言いかけていたアイリを投げ飛ばし、ブレスレットにしまっていた雷薙を取り出して直感で回転しながら背後に向かって雷薙を振るう。
そこには自分と同じか少し低いくらいの背の人物がおり、野太刀を上から振り下ろしていた。
ドガアァンッ!!! という強い衝突音が辺りに響き、大気をびりびりと震えさせる。
「っ、あなた……!?」
「死ね!!!!! 雷電美琴おおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
野太刀を持っている人物は、憎悪で満ち満ちている顔をしながら、胸の中心から黒い雷を美琴に向かって放出してきた。
上から押し付けるようにしている野太刀を力を抜くことで受け流し、後ろに跳躍することで回避する。
黒雷は地面を深々とえぐり飛ばし、近くにある木を瞬く間に炭化させる。
今まで二度、黒い雷を使う存在と遭遇してきたが、今回は今までの比ではない。
下手に受ければ、確実に即死する。それほどのレベルの威力があった。
初めて黒雷を使ってきた猪原の時のような、雷が自分を避けていくと言う現象は本当に一体何だったのだと言いたくなるが、今はそんなのはどうでもいい。
「どうして、あなたがここに……」
「あんたには関係のない話でしょう。私はただ、あんたを殺すためだけにここにきて、あんたは私に殺されるのよ」
「どうして……!? まだ私が京都にいた時は、あんなに一緒に遊んだりしていたのに、どうしてそんなことをするのよ、鳴海!?」
「黙れ! 周りの環境に恵まれて、雷神として覚醒しながらも自分の名前を奪われず、家族から愛され続けているあんたなんかに、私の気持ちが分かるわけないじゃない!」
より憎悪に満ちた顔で、唾を飛ばしながら、目を酷く血走らせながら叫ぶ。
美琴を襲撃してきた人物は、美琴と同い年の少女だ。名前を、雷門鳴海。
美琴の姓、雷電家を宗家とした雷一族のうちの一つであり、三百年ほど前に宗家の座が今の雷電家に移るまで、宗家となって実権を握っていたかつての雷電家の末裔だった。




