107話 雷神に喧嘩を売った理由
「……とんでもないことになっちゃったわね」
『お嬢様は世間を騒がすような出来事の中心にいる星の下に生まれたのでしょうね』
「そんな星の下に生まれたくなかったわよ」
『ですがそのおかげで、ここまで有名になったのですよ。いいも悪いも嚙み締めましょう』
猪原の撃退から一時間後。
前回の暗殺未遂の時同様、配信に張り付いていたギルド職員が駆けつけて、美琴達を保護した。
早いこと事情を聴きたいとのことだったので、美琴が先に猪原達を、その後に灯里とルナ、最後に駆け付けた職員の順番で下層から地上までの直通の穴を使って地上に出た。
猪原達は地上で待機していた執行部の方々が連れて行ったが、先ほど他三名は何もしていなかったことが確認できたため解放され、猪原は病院に搬送されたという通達を受けた。
ならば襲撃者本人はというと、回復薬を飲んで、職員が駆けつけるまでの間にルナと灯里に頼んで回復魔術(ルナの魔術の超強化付き)をかけてもらったこともあって、命に別状はないらしい。
破れた皮膚もそこでほとんど元通りになったので、後は地道に回復措置を行っていくとのこと。そしてその後に、彼が犯した違反についてを詰めてライセンスを剥奪して再取得を不可能にし、探索者業界から永久追放することも教えられた。
どうしてそんなヘビーな話を、クランマスターで特等探索者になったとはいえ、所詮は未成年でしかない自分に話したのか疑問でしかないが、これでまた余計な逆恨みをした彼がダンジョンに潜り込んできて、追い掛け回すのではないかと怯えることはなくなる。
ちなみに猪原の最上呪具はギルドの研屋に渡しており、あまりのボロボロ具合に涙を流して可哀そうにと何度も言っていた。
元の輝きと切れ味を取り戻すまでに相応の時間がかかるようなので、その分の料金はきっちりと本来の持ち主の方に行くようにお願いしておいた。アイリが。
「まさか応接室の次はギルド支部長室に通されるなんて思いませんでしたよ」
「絶対ににそうはなりたくないけど、このままのペースだとここの常連になりそう」
「でも二回ともブラッククロス関連ですし、もう少ししたらあのクランそのものがなくなるんですよね? なら、これっきりになるんじゃないでしょうか」
「そうであってほしいわねえ……」
「な、なんで、こんな場所でそんな、普通に会話、できるんですか?」
ガッチガチに緊張したルナが、震えた声で言う。
慣れているわけではないし、支部長室なんて一生縁のない場所だと思っていたのに通されて少し緊張しているが、やって来るであろう人物は初対面というわけではないのである程度はリラックスできる。
大きくてふかふかのソファーの背もたれにもたれかかり、緊張して無駄に疲弊しないように体を弛緩させて、ぽーっと天井を見る。
色々と疲れた。
ただでさえ配信をするだけでも疲れるのに、予想外の人物の闖入に謎の力、二度目となる支部長からの事情聴取など、数時間の間にあっていい出来事の数じゃないだろと、長いため息を吐く。
『またため息を吐いておりますよ。あまり繰り返すと、幸せが逃げていきますよ』
「あなたにそれを言われる日が来るなんて思いもしなかった」
『私もこのような言葉をお嬢様に言う日が来るとは思いもしませんでした』
「幸せが逃げていくって言うけどさ、こんな疲れることがあってため息するなっていうほうが無理があると思うの。今回は軽い火傷とはいえ、回復薬飲んで自己回復力を上げて腕の火傷を治して少し怠いし」
『お嬢様の珠の肌を傷付けたあの猪突猛進おバカさんは、処刑でいいと思います』
「思想強すぎ」
”アイリちゃんに同意する”
”美琴ちゃんの美しいお肌に火傷を負わせるなんて……許せん!”
”あのイノシシがどこの病院に運ばれたのか、全力で調べ上げてやる”
”しかも腕だけじゃなくて右足も怪我してるでしょ? 先若干引きずってるの見えたよ”
”アモン戦以外で怪我することなかった美琴ちゃんが怪我するとか、マジかよあいつ”
”ずっと逸れ続けてた雷が最後だけ直撃するのも変な話だな”
”なんか前にマラブさんが、魔神を物理攻撃以外で傷付けるとしたら権能以外ないって言ってたけど”
”でも美琴ちゃんの場合、人間である神でもある現人神だから、それには当てはまらないじゃないの?”
”美琴ちゃん自身もよく分かっていないっぽいし、魔神の説明をマラブさんからしてもらいたい”
配信も以前と同様につけっぱなしにしており、表示されているコメント欄は、少々だらしなく脱力している美琴に対するものではなく、怪我をしていることやあの雷が何なのかを議論し合うものになっている。
もう時間は十七時五十分を過ぎており、今から帰っても夕飯は作れないかもなと考えていると、ホログラムコメント欄の横に別のホログラムが出てくる。
どうやらアイリ自身が美琴のスマホと連携しているみたいで、必要な通知などがある場合は配信に映らないように、別のホログラムを表示してくれる。
本当にいつの間にこんな機能を追加したのだと呆れながら見ると、琴音からのメッセージだった。
内容は、帰ってくるのが遅くなりそうだから琴音が先に帰宅して、クリームシチューを作って待っているというものだった。
大好物な琴音のシチューを久しぶりに食べられると知り、ぱっと表情を明るくさせて、すぐに配信中なのを思い出して顔を真っ赤にして手で隠す。
「お待たせしました。猪原進のパーティーメンバーの事情聴取から得た情報を精査しておりました」
そのタイミングで、支部長の霧島優樹菜が支部長室に戻ってくる。
ルナはますます緊張して、もはや顔色が青ではなく白くなっている。
灯里と美琴はこれで会うのは《《二度目》》なので、多少の緊張はあれどルナほどではない。
『何か分かったことでもありましたか?』
優樹菜が対面のソファーに腰を掛けるとほぼ同時に、アイリが質問を投げかける。
「まず、あの四名は自分の所属しているクランをここまで追い込んだ雷電さんのことを、かなり憎んでいるようです。ただ、自分達では絶対に敵わないと深層攻略の時に実感したため、一方的にその感情を持つだけにとどめていたそうです」
憎まれていることは、深層攻略初日のダンジョン入り口で睨まれているのに気付いた時から分かっていた。
でも睨まれるだけでなにもされなかったし、活動場所が同じなのに今回の件になるまで全く遭遇しなかったのは、美琴が下層をメインにしているのもあるが、敵わないと思ったかららしい。
ちゃんと相手と自分の実力を測ることができる目があるようなのに、どうしてルナがいなくなったら途端にあのようになってしまったのか、そこが理解できない。
「元々敵うはずのない相手だと分かっていて、それは猪原進も同じだったようです。それなのに今日に限って、彼は何があっても雷電さんを負かしてあらゆる尊厳を踏みにじると言って、強引に三人を連れて下層まで強行したそうです」
「なんで今日に限ってなんですか?」
「それは本人でないと分からないですね。それと気になることを聞いたのですが、黒原仁輔が新宿ダンジョンの方で特大の違反行為をやって敗れた後辺りで、メンバーに黙ってどこかに外出したことが一度あったそうです。その直後から、様子がおかしかったと証言しています」
『となると、その一度の外出で何かがあったことは確かですね。とはいえ、魔神でない限り勝つことはできないであろうお嬢様に喧嘩を売るなんて、なんて可哀そうなほど低能なのでしょうか』
「アイリ、最近毒舌がすぎないかしら?」
ここのところやたらと煽りや蔑みなどのボキャブラリーが増えており、あまり健全ではない方向に向かって進化している気がしてならない。
こうなってきたのは、アイリが自分で自分の体を作成してバーチャルで活動を始めた辺りからなので、ほぼ間違いなく視聴者達がよくないことを学ばせているのだろう。
一体何をしているのだと頭を抱え、すぐに気持ちを切り替えて、猪原がどうしてあのような行動を取ったのかを考える。
根底にあるのは、クランをめちゃくちゃにされたことによる恨みだろう。
しかしその更に根本は、彼らがルナを追い出し、灯里のことを精神的に追い詰め、妖鎧武者に勝てず新人が囮をするものだと言って、彼女を突き放して逃げたことが全てのきっかけだ。
確かに美琴という存在が現れなければ、あるいは現れるタイミングがもう少し遅かったり、とんでもない大バズりをするでもなく堅実にチャンネル登録者数や視聴者数を伸ばしていれば、もしかしたらあんなことにはならなかったかもしれない。
だがそれはもしもの話で、もし仮に美琴がこの世界に生まれていなくとも、配信活動をせず探索者一本でやっていたとしても、また別の理由でクランは崩壊の一途をたどったかもしれない。
絶対に敵わないと分かっていたから、負の感情を募らせるだけで何もしてこなかった。なのに、一度の外出をした後にこのような行動を取った。
何の捻りもなく考えるのであれば、外出した際に何かと接触して、そこであの結晶を渡されたと考えるのが妥当だろう。
しかし現実は小説よりも奇なりと言うし、そんなシンプルに考えてもいいものだろうかと頭を捻る。
「あなたの配信アーカイブを拝見しましたが、最後に彼の胸から奪った結晶を見せてもらえませんか? もし可能なら、こちらで検査などをしてみたいのですが」
「いいですよ」
正直あんなものをずっと持っていたくないので、一時的でもいいから手元から離しておきたい。
そう思って即答し、奪った黒い結晶を優樹菜に渡す。
もしそれが、猪原の感情などを暴走させた原因で、優樹菜に渡した瞬間もし何か異変があるようであれば、速攻で取り去ってから粉砕するつもりで、こっそりと右手に雷を集めておく。
「これがあの結晶ですか。配信に映っていましたけど、こうして見るとかなり小さいですね。では、これが何でできているものなのかを調べるため、しばらくこちらで預かっておきますね」
結晶を受け取った優樹菜は、特に何か変化があるわけでもなく平然としていたので、埋め込むなどしない限り影響はないのかもしれないと、集中させていた雷を消す。
「とりあえず、報告は以上です。……しかし、雷電さんも燈条さんも苦労しますね。大きな騒ぎの中心には、必ずあなた達がいる決まりでもあるのでしょうか」
「運がいいのか悪いのか、自分でもよく分からなくなります」
通信機を使って職員を呼び、受け取った結晶を検査に回すように指示しながら渡して、その職員が出ていくと少しだけ呆れたような顔をしながら言ってくる。
美琴だって好んで問題のど真ん中にいるわけじゃないのに、どうしてかこんなことになってしまうことに割と辟易としているのだ。
本格的にお祓いに行った方がいいかもしれないと、本気で悩んでいる。
「何か分かり次第すぐに連絡しますが、あまり期待しないほうがいいかもしれないですね。雷電さんは、あれをどのように考えていますか?」
「……はっきり言うと、私の権能にかなり近いような感じがします。ただ、私は術も何も使えないし、魔神という存在にだってまだアモンとマラブさんの二人にしか会ったことがありません。この二人が使った神性の解放まで行けば、同じ魔神だって分かりますけど、彼があんなふうになってもあれと同じような力の流れ方はありませんでしたし」
雷の権能に近い。それが美琴が抱いた感想だ。
アモンと戦っている時、そして深層攻略のずっと後にマラブの口からは、美琴は善性部分、豊穣の神のバアルゼブルだと断言されている。
バアルゼブルという魔神そのものは、力が強すぎるあまりソロモン王に封印される際、力を善性と悪性の真っ二つに分けてからそれぞれ別に封印された。
その話を聞いてから、もしかしたらこの世界のどこかに悪性の部分のバアルゼブルがいるかもしれないと思っているが、ソロモンの封印は恐ろしく強力で、およそ三千年が経った現在でも、全ての封印は解かれていないらしい。
どうやって封印されたバアルゼブルという魔神が、遠く離れた日本という島国に来て、そこで厳霊業雷命という名で現人神として雷電家の祖先に崇められたのか、過去も見れるマラブの権能をもってしても分からずじまいだ。
ただ言えることは、善性部分は何らかの拍子で千年ほど前に解放されて、ここ日本に流れ着いているが、悪性はまだ解放されていないはずということだ。
誰よりも戦闘能力がないから、誰よりも知恵を鍛え、ベリアルとフェニックスとの間に結んだ誓約で、美琴に嘘を吐けない知者の魔神バラムが言うのだから間違いない。
「やはり、権能に近しいものですか。となると、やはり期待しないほうがいいですね。もしあれが本当に、権能を宿しているものだとしたら、魔法すら解析できない我々に解析できるはずがありませんから」
「権能は魔法より上の、人間に許された神の奇跡ではなく神のみが使える能力ですからね。何も分からなくても仕方がないですよ」
あれを優樹菜に渡したのだって、あれが近くにあるとあまりいい気分ではないから、少しでも手元にある時間を短くするためだ。
言葉には出していないが優樹菜もそれを分かっているようで、小さく頷いてくれる。
その後は、もうこれ以上は話すこともないので配信終了の挨拶をしてから切り、灯里とルナの両親が迎えに来て二人は帰宅し、美琴はいつの間にか龍博が送ってきたボディーガード達に囲まれながら帰宅した。
初めてまともに美琴の周辺を護衛することができた彼らは、心の底から幸せを感じていたようで、終始足取りが護衛とは思えないくらい軽やかだった。
帰宅後は、同じタイミングで会社から帰ってきた龍博と、シチューを作って待っていてくれた琴音の三人で夕食を取り、お風呂に入って疲れを取ってから宿題をパパっと終わらせ、ベッドに潜り込んですぐに意識を沈ませた。




