106話 異常な憎悪
黒い雷を、まるで制御できていないかのように周りに無作為に巻き散らしながら突撃してくる猪原を、その何百倍もの速度で踏み込んで間合いを食い潰した美琴が、布を巻いて切れ味を殺した雷薙で割と思い切り胴体をぶっ叩く。
ドグゥッ! という鈍い音と肉を撃つ不快な手応えに顔を歪め、先ほどと同じように来た道を返す様に殴り飛ばす。
ごろごろと地面を転がる猪原。勢いもあって確実に意識を一撃で刈り取ることができたが、胸の中心から発生した黒雷が意思を持っているかのように、猪原自身に落ちることで強引に意識を覚醒させる。
美琴の権能に限らず、魔術も呪術も、果てには魔法だって、使用する人物あるは魔神の意識がない限り、発動することはできない。
魔神の権能も詳しい話はマラブから聞いており、権能という神の能力であっても、ベリアルとかいう限定したとある事象に関してのみ、完全自動で権能が発動する魔神と、フェニックスという死んだ瞬間に永劫の薪炎という権能が発動して生き返る魔神という例外を除けば、意識がない限りは発動することはない。
魔神でさえそうなのだから、魔術や呪術のように術者自身が魔術法則界や呪術法則界にアクセスしなければいけない人間ならば、意識を刈ってしまえばそれで全てが済む。
灯里が怯えているから、さっさと勝負を付けて不愉快な声を聞かせないようにしてあげたいのに、何度意識を刈り取っても雷を自分に落とすことで覚醒する。
「雷電美琴おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
「人に向かってはあまり使わないほうがいいんでしょうけど……飛電!」
ドゴォオオンッ! という特大の雷鳴と共に右手から雷を一つ放ち、猪原にぶつける。
立ち上がれないくらいに痛めつければ、後はこの配信を観ているであろう視聴者がギルドに連絡、あるいは配信を観ているギルド職員が大慌てで駆けつけて、いくらかの小言は頂戴するだろうがこれで解決するだろう。
そう思って雷を使ったのだが、どういうわけか真っすぐ放ったはずの雷が猪原を避けて、横の壁に衝突して抉り飛ばした。
権能は魔法よりも上の、神の奇跡ではなく神の力そのもの。魔法以上にその事象は優先される。
雷はマイナスがプラスに向かって行くいわゆる落ちてくる落雷と、プラスがマイナスに向かって行くリターンストローク、つまりは帰還雷撃の二種があり、普段見ている落雷は帰還雷撃の方だ。
その時速は実にマッハ四十四万強。光速の半分ほどの速さを誇る。
厳霊業雷命の権能は雷や電気といった系統なら基本なんでもありで、美琴が普段使っている、足止めや様子見などを除いた雷撃はほぼ全て帰還雷撃だ。
光の半分の速度での、超高電圧の雷撃。それは先に回避行動を取らない限りは回避不可能だし、手加減せずに当てればほぼ必殺だ。
威力を最低限まで抑えて人が気絶する程度の電力に調整した雷撃は、やはり本来は回避不可能だ。
その一撃で勝負をつけるつもりだったのに、雷が曲がった。
「全部、全部全部ゼンブゼンブ! ウバッテヤル!!」
「うえぇ!? 何それ!?」
何がどうなっているのか、猪原が右腕に雷を集中させると皮膚を破りながら筋肉が異常に発達して膨れ上がる。
確かに雷で筋力を強化することはできるし、美琴もよくそれをやって一部を除いて体が細いゆえに非力な点をカバーしているが、あんなふうに筋肉が膨れ上がるなんてことはない。
異常に大きくなった右腕で殴りかかってくる猪原。
それを後ろに下がることで回避すると、拳が地面に当たった瞬間に接地点から強烈な雷が放たれて、地面を抉って焼き焦がす。
あれは厄介だと、右腕を無力化しようと雷を放つが、やはり触れる直前で奇妙な軌道を描いて逸れてしまう。
だがそれは向こうも同じで、猪原が黒雷を美琴に向かって放ってきても、がくんと下に落ちたり逸れて壁に当たったりと、妙な動きをする。
『どうしてお嬢様の雷も、あのお方の雷も当たらないのでしょうね』
「分からない。でも、気のせいだとは思うんだけど、私の権能に性質がすごく似ている感じがするの。でも私は自分で本当の意味での眷属を作った試しは一度もないし、仮に私と全く同質の力だとしたら、なんで男性が持っているのって話になるし」
『こちらも解析に努めますが、あまり期待はしないでください。なにぶん、あのようなものは全くの初見ですから』
有効打を全く与えられないことに苛立ちが増したのか、体中に黒雷をまとわせて全身が肥大化する。
皮膚が裂けて血が噴き出て、見ているだけで痛いし気分が悪くなる。
”なんやこいつ!?”
”ほんまに人間か!?”
”もう完全にバケモンじゃねーか!”
”元から色んな意味で化け物だったのが、正真正銘の化け物になっちまった”
”美琴ちゃんと灯里ちゃんとルナちゃんの超可愛い三人娘の配信観てたら、空気読まないバカが乱入してきて、美琴ちゃんに軽くあしらわれてたら某ゾンビゲームのでっかいゾンビみてーな化け物になったんだが!?”
”筋肉の膨張で皮膚が裂けて血が出てて、結構えぐ目なスプラッターだよこんなん”
”こいつの雷、なんでさっきから美琴ちゃんに当たる直前で逸れるんだ?”
”美琴ちゃんの雷も変な動きしてんな”
”美琴ちゃんはできれば人を傷付けたくないっていう気持ちが根本にあるだろうから分かるけど、このバカはどうしてだ?”
巨大化して純粋に膂力が増して、がむしゃらに振り回される拳だけでダンジョンの壁を僅かに傷付ける。
そこに雷の追撃も加わって壁が深くえぐれ、当たったら致命傷じゃ済まされないだろう。
だがそれは当たればの話で、ただでさえ素人以下の動きをしていて動きが分かりやすかったのに、筋肉の膨張によって動きが遅くなり、先読みする必要がないくらいになった。
「とはいえ、雷が当たらないんじゃ意識も刈り取れないか。……征雷!」
雷鳴と共に踏み出し、すれ違いざまに雷薙を脳天に叩き付ける。
布を巻いて切れ味を殺していても、思い切り殴ればかなりの衝撃だ。
胴体が大きくなりすぎて頭が小さいままなので比率がおかしく、気持ち悪さを増大させているが、頭の大きさがそのままなら強度もそのままだろう。
どれくらい強く殴れば意識を失わせることができるのか分からないので、様子見でやや強め程度に殴ったが、若干ぐら付いただけで意識を失う様子はない。
どうしたものかとため息を吐くと、胸の中心から放出した雷を右腕にまとわせて、無駄が多すぎる動きで突きを放ち、拳から雷の砲撃を繰り出す。
しかし纏わせている雷の影響か、周りの空間が大きく歪んでいる。
さっきから雷が当たらずに変な動きをしているが、全てがそうなっているわけではないだろうと回避をしようとするが、すぐにその行動を止めて、刀身に巻き付けている布を焼き切って雷を圧縮してまとわせる。
「雷霆万鈞!」
灯里達に当たらないように位置を調整しながら、向かってきている雷同様空間を捻じ曲げる威力を持った斬撃を放ち、相殺する。
雷の砲撃と斬撃が衝突し、辺りにとてつもない被害を巻き散らす。
大量の土煙が上がり視界が遮られるが、瞬時に反応できるように脳の情報処理速度を底上げし、同時に反射速度も常人の域を遥かに超えるものにする。
猪原が無策に自分から土煙の中から飛び出てきて、両の拳にまとわせた雷を放とうとしてくる。
ほんの一瞬だけ見えた瞬間からすでに反応して雷薙をしまい、後ろに下がって猪原の仲間の女性二人両脇に、男性一人をタックルするようにして肩に担ぎ、大きな負担がかからないように加速しながら壁を走って、灯里達の場所まで移動する。
「もし灯里ちゃんとルナちゃんに妙なことを一瞬でもしたら、容赦はしませんから。私も、視聴者達も」
意識はすでに戦いのものに切り替わっており、ぴしゃりとやや冷たい態度と声で言う。
それに圧を感じたのか、三人はこくこくと頷く。
「ライデンンンンンン!!!!」
もはや獣の咆哮のように美琴の本当の姓を叫びながら、爆音を立てて急接近してくる。
それに合わせて、自分自身を雷として撃ち出しながらみぞおちに跳び蹴りをぶちかまし、吹っ飛ばす。
「いっ!?」
右足から着地すると、ずきりと鈍い痛みが走り目を細めて姿勢を崩す。
「噓でしょ? 確かにかなり硬かったけど、挫くほどじゃないはずなのに」
今の飛び蹴りで利き脚の右の足首を挫いたようで、ずきずきと鈍い痛みが連続して発生する。
すぐに電気信号を遮断することで痛みを感じなくして、一時的に無痛症のような状態になるが、あくまでそれは一時的なその場しのぎ。そのまま右足を通常通りに使い続ければもちろん悪化して、痛みをまた感じるようにしたら後々地獄を見る。
こうなったらできるだけその場から動かないか、最小限の動きだけで戦わないといけないなと構えを変えて、左足を軸にする。
ふー、っと長く息を吐いて、龍博から習った薙刀術ではなく、霊華から習った相手の力を利用する武術に切り替える。
起き上がった猪原が重い足音を鳴らしながら走ってきて、超大振りな一撃を繰り出す。
しかし、しっかりと相手の動き、むき出しになっている筋肉の僅かな機微を読み取って行動を完全に先読みし、繰り出される一撃を流れる水が岩を避けるようにすっと受け流す。
構わず二撃目三撃目と繰り出してくるが、全ての力の流れを読み取ってなめらかに受け流す。
次々と攻撃を受け流していると、それにどんどんいら立って行っているらしい猪原が、ますます筋肉を肥大化させようと体中に雷をまとわせるが、その行動を阻害するように鋭く雷薙を振るう。
どれだけ筋肉が大きくなっても、構造自体は人間からかけ離れているわけではない。
なら、通常サイズの人間と同じように、腱を切ってしまえば筋肉の収縮ができなくなり、体を動かせなくなる。
どれだけ大きくなっても構造は同じ。
頭の中にある人体の構造を目の前の筋肉ダルマに当てはめて、体の発条を使って雷薙を振るい、斬り付ける。
人間のものとは思えない硬すぎる手応えがあったが、確かに腱と筋を切った。
狙い通り猪原は両腕を上げられなくなり、太い腕をだらりと力なく下げる。
だが諦めていないようで、体が大きいせいで豆粒が乗っているように見える小さな頭を突き出してきて、噛み付こうとしてくる。
「そんな考えなしな獣みたいな攻撃、通用しませんよ」
雷薙を振るいながら電磁加速させて、メギィ! という音を立てて柄を叩き込んで殴り飛ばす。
地面を滑るように転がった猪原のところまで、多少右足が悪化してもいい覚悟で踏み込んで再び雷薙を振るい、今度は両足の腱と筋を切る。
これで立ち上がれなくなり、こうして無力化しなければ被害が出るとはいえ、異形化しているとはいえ人間を切って傷付けたことに酷い不快感を覚え、顔をしかめる。
「聞きたいことがあります。あなたのその雷の力は、一体どこで手に入れたものですか?」
「コロス! コロシテヤル! オマエヲヨゴシマクッテカラコロシテヤル!」
『もはや人の言葉というより、人の言葉を真似できる獣の叫びのようですね』
両手足が動かせなくなり、もぞもぞと胴体だけであがく猪原に、アイリがやってきて非常に憐れむように言う。
もはや美琴が配信をして、視聴者が百万人以上見ていることなんてどうでもいいのか、大声でとんでもないことを繰り返し叫ぶ。
とりあえず、既に多くの視聴者達がギルドに連絡を入れているか、配信を観ているかもしれない職員が向かってきているかもしれないが、念のため自分の方からも連絡を入れようとスマホを取り出そうとすると、背筋を虫が這いずるような気持ち悪い感じがした。
その場所から左足で地面を蹴って離れると、全く制御できていないように見える黒雷が胸の中心から放たれて、天井と壁を破壊する。
地球から生み出される無限のエネルギー、霊気の影響で異常なまでに頑丈になっているダンジョンの壁を、ああやって割とやすやすと破壊しているのを見ると、すさまじい力を有しているのだと冷や汗を流す。
一体何があの黒雷の源なのだろうかと、自分に当たらずに避けて壁や天井に当たるのを見ながら観察していると、さっきまでは見えなかったものが見えた。
「黒い、結晶?」
それは真っ黒な結晶で、大きさで言えばペットボトルの蓋くらいで大分小さい。
よく観察すると、黒雷はあれから発生しているようだ。
もしかしたら、自分の所属しているクランをめちゃくちゃにした美琴に復讐するため、あるいは力で灯里とルナを従わせて自分のものにするために、ろくに残っていないであろう財産をなげうって買った特殊な呪具や魔術道具かもしれない。
獣の咆哮のような声を上げながら雷をめちゃくちゃに放つ様子は、誰が見ても暴走しているように見えるだろう。
ダンジョンの異常なまでに頑丈な壁を破壊するそれを見た灯里達は、見るからに恐怖している。
幸い、美琴はあれの影響を受けないようなので、痛覚の鈍化が少し取れ始めて鈍い痛みが蘇りつつある右足を若干引きずりながら近付いていく。
「み、美琴先輩!?」
「大丈夫。どういうわけか、この雷は私を避けていくみたいだから」
どこにも狙いを定めずにあちこちをただ破壊しているだけの雷の嵐の中を、美琴はなんてことない顔で歩いていく。
予想通り雷は美琴がいる場所だけは絶対に避けて通る。
これが彼から発せられるものだけであれば、自分が無意識のうちに雷に干渉して当たらないようにしているという予想もできたが、自分の雷も当たらないので訳が分からなくなった。
だんだんと激しくなる雷の嵐の中を悠然と歩きながら近寄り、雷薙で攻撃したらそのまま心臓まで壊してしまいそうなので、破壊ではなく結晶の没収という形を取ることにする。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
左腕を伸ばしてその結晶をもぎ取ろうとすると、最後のあがきで美琴を巻き込んで自爆しようとしているのか、強烈なエネルギーが結晶に一気に収束していき、膨れ上がる。
集まっているエネルギーから察するに、今すぐに後ろにいる全員を抱えて逃げなければ、全員巻き込まれて最悪命を落としかねない。
「しまっ……!?」
どちらを優先すべきか一瞬だけ悩んでしまい、その遅れのせいで収束したエネルギーを至近距離で解放される。
「月夜の繚歌・静寂の朧月、鏡月の楯!」
全てが雷のエネルギーなので、どうかは分からないが避けて行ってくれることを信じて灯里達の方に駆け寄ろうとする前に、ルナが魔術を起動させる。
先に起動した魔術は、輪郭が大きくぼやけている朧月で、それが現れた瞬間目に見えて威力が一気に減衰していく。
そして次に美琴の周りと灯里達の周囲に円の楯で覆って衝撃を防ぐ。
至近距離にいる美琴は、二重で威力が減衰したとはいえそれでも鏡月の楯を破壊するには十分の威力を持っていたようで、ガラスが割れるような音と共に砕け、雷という現象で放たれているわけではないからか、避けて行かずに直撃する。
顔を守るように両腕を顔の前で交差してガードし、そのまま後ろに押されて行く。
その純粋な雷のエネルギーに触れて、強烈な違和感を感じながらも、雷ならばと一か八かで権能で干渉を試みて、なんと成功する。
両腕に触れていた雷エネルギーを消滅させ、着物の両袖が破れて前腕のずきずきとした痛みを無視してまた猪原に駆け寄り、再びエネルギーを収束させないように素早く腕を伸ばして結晶を掴み、引っ張る。
ブチブチという音を立てて剥がされ、彼の体がびくんっ! と跳ねる。
「お、おれ、の、ちから……」
胸の中心にあった結晶を剥がされた猪原の体は、徐々に元の大きさに戻っていく。
だが、筋肉の膨張によって破れた皮膚はそのままのようで、元の大きさに戻ったからこそ余計に目を背けたくなる凄惨な姿がはっきりと分かる。
「……これって……」
意識を完全に失った猪原の下に、仲間の三人が駆け寄り、なけなしのお金で買った最低品質の回復薬をどうにか飲ませて回復と蘇生を図る。
そこから少し離れた場所で、左手に握っている奪った結晶を見る。
真っ黒で、見ているとそのまま吸い込まれてしまいそうで、感じ取れる強い負の念に中てられそうで、ものすごく嫌な感じがする。
「美琴さん、腕、怪我しているじゃないですか!」
「いやああああああああ!? 美琴先輩の超美白肌に傷が!? わ、私の今一番いい回復薬上げますから、飲んでください! その後で回復魔術もかけます!」
「そこまでしなくても平気よ。傷って言ってもそこまで酷いわけじゃないし、これくらいなら跡も残らないわよ」
「美琴先輩がよくても私がよくないんです! いいから飲んでください! 飲まないなら無理やり飲ませます!」
「わ、分かった。分かったから落ち着いて、ね?」
軽度の火傷を負っている腕を見た灯里が慌て、ルナが大げさなまでに発狂する。
本当に大した傷ではないのだが、彼女達からすれば大したことのようで、一目見てもかなり品質のいい回復薬をルナが突きだしてくる。
コメント欄もかなり荒れているし、灯里達も非常に心配しているため、差し出された回復薬を受け取って、半分は飲んでもう半分は患部にかける。
あっという間に火傷が治っていき、初めて飲んだがここまで即効性があることに驚く。
「さて、ひとまずはこれで終わりだけど、ここからどうなることやら……」
武器を抜いて襲ってきたから、過剰防衛にならない程度に反撃して、いきなりよく分からない能力を使いだして肥大化し、被害が出そうだから成り行きで人を傷つけてしまった。
一連の出来事は全て配信という、AIなどによる動画作成でもしない限り偽ることができない手段で証拠が残されているため、ある程度の罰則は受けるだろうがそこまでは重くないだろう。
それでもかなり面倒なことになったことには変わりないので、これから待ち受けていることを想像して深いため息を吐いた。




