幾千年の一夜
「なあ」
声が耳朶を震わせる。
水膜が破れて、クリアな音が耳を裂く。
意識がふいに現実だと告げる。目が覚めた。唐突に。
コンクリートに囲まれた誰もいない、4畳一間の部屋の中。そのベッドの上。
「・・・ぁあ、っ」
ああ、そうだった。もう、誰もいないんだった。
あの時、告げた通りに。もう、誰もいない。すべては遠い過去の話。
薄汚れた天井に、煤けた壁紙、薄っぺらいカーテンを透過した光は緑色の絨毯で反射し、カビが生えたような色合いで部屋を照らす。
随分と古い夢を見た。
眩しいと左手で光を遮りながら、いつも枕元に置いているカップを右手に取る。
ひどく喉が乾いていたから、一気に飲み干した。
ああ、この水は普通に味がした。
鈍い思考が軋みながら動き始める。視界に意味が戻ってくる。
硬い寝床に転がる携帯電話はスマートフォンになって、手が触れるといつもと同じ起床時間を示している。目覚ましもいらなくなったな、と、
どこか乾いた唇が片方だけ釣り上がる。
「っくははは」
少し面白くなった。気怠い身体を起こして、ベッドを飛び出して、窓を開ける。
眩しいぐらいの太陽光が強制的に映し出すアスファルト。
暗闇に沈んだ過去を追いやり、今の自分が目覚めていく。
「おはよう」
窓の外に投げかける。踵を返して朝のルーティンこなしていたら、スマホが震えて、何かを着信。確認すれば、相変わらずバカな奴らが朝からチャットで楽しそう。ゲームの話しかしない「友人達」。
苦笑が顔に出るのを自覚する。朝から暇だな、おまえら。
「あの日」から随分と時間が経った。積み重ねた年月はそれぞれの価値観も環境も変えた。
だけど、変わらない何か、は今もどこかにあるような気がする。
いつもと同じ、繰り返される毎日。
あの頃の空気の質感は、どこか離れないで共にある。
その質感に背中を押されるように、励まされるように、安心させるかのような光に押しやられ、俺は暗がりにある扉を見やる。
右手の時計はジャストインタイム。出勤時間。
仕方ない。面倒だが会社に行くか。
パソコンの入った鞄を持って、古びた扉に向かう。
冷たい扉に触れる直前、ふっと、横から視線を感じた。
振り向けば、鏡に写る自分が笑っていた。