(1)
夏の夜風は生暖かい。
どこから入ってきたのか、耳元では蚊の鳴く音が響き、何度払いのけてもまとわりついて離れない。
「あ~もうっ、鬱陶しい!」
ワンピースを着た女が首元をかきむしりながら言い放つ。蚊に咬まれた場所は首元に限らず、肌が露出する腕や足や胸にもあった。
「ねえっ! やっぱりこんな場所じゃなくてホテルに行きたいんだけど……あんっ」
女は文句を言いながらも、度々迫ってくる快楽に身を委ねる。
「もう我慢できないって、誘ってきたのはお前だろ」
「そうだけど、なんでお墓のそばなのよぉ」
若い男女は墓地のそばに車を止めて、淫らな行為をしていた。
「ここだったら滅多に車通らないし、どれだけ喘いでも誰にも聞こえない。墓地のそばってのは案外穴場なんだぜ」
「確かに声出せるのはいいけどぉ~。てかねえっ、さっきから何か聞こえない?」
女はしきりにあちこち周りを気にする。
「お前の喘ぎ声がうるさくて何も聞こえねーよ。ほら、もっとケツあげろって。奥まで突いてやるから……」
その時だった。
突然「バンッ!」と何かが車のボディにぶつかった音が二度響いた。
「なにっ!? 今の音なに!?」
男女は繋がったまま硬直する。
「……な、なんでもねーよ……ただの鳥だろ……」
そう思って再び動こうとした男は、車の窓に貼り付く黒い化け物と目が合ってしまった。
「う、うわあああああっ!!」
その化け物は巨大な黒い塊で、人間の手足がいくつも生えていた。しかもギョロっとした目が何個もついており、明らかにこの世のものではない。その後、若い男女は行方不明になったという──。
「……ってそれ、絶対作り話だろ? 行方不明になったのに、なんでお前が詳しく知ってんだよ」
高校の教室で、同級生の檜山から怪談話を聞いていた霧島 虎太郎は頬杖をついたまま大きなあくびをした。
「噂だよ、噂。てか虎太郎も気になるだろ? 夜中、墓地に行けばいいもんが見られるかもしんねーぜ?」
「お前……その名前を二度と口にするんじゃねえっ!」
霧島虎太郎、十七歳。
彼は寺の息子として育った。両親から「虎太郎」と名前をつけてもらったが、小学校高学年辺りに好きな女の子から「変な名前」と笑われてから、自分の名前にコンプレックスを抱くようになった。以来、下の名前で呼ばれると周りが引くほどキレるのだ。ただし、親は別だ。
「まあまあ……そんな怒るなって、霧島ぁ」
虎太郎にギロリと睨まれて、檜山は慌てて名字に言い換える。
「てか、その話が本当だったら、墓荒らしよりタチが悪いな」
「あ~お前んち、寺だもんな」
「最近、墓荒らしが酷いらしくてさ、親父が夜中様子を見に行けってうるさいんだわ……」
ふわあああっと虎太郎は再び大きなあくびをする。目付きが悪かったのは十分な睡眠を取ってないせいでもあった。
「マジ!? じゃあカー✕✕✕見放題じゃん!?」
「お前の頭の中は煩悩だらけか」
「なあ、今夜も行くのか? 俺もついて行っていい?」
「檜山が行くなら、俺は寝る」
しかしそんなわけにはいかないのであった。
夜十時頃、寺の敷地内にある霧島家を訪れたのは檜山だけじゃなかった。