彼女の嘘
「できちゃったの。結婚して欲しい」
付き合って2年になる彼女に、突然そう言われた。
青田長助は両親を早く亡くしていて、家庭に憧れていた。プロポーズだって、そろそろしたいと思っていた。
なので当然、彼は頷いた。
「うん。予定日はいつ?」
「お医者さんに聞いたら来年の3月だって」
「次は俺も一緒に行くから」
「ありがとう」
「ありがとうは俺の台詞だよ」
長助がそう言うと、成海は嬉しそうに笑った。
それから二人で住む家を探したり、彼女のマタネティグッズや赤ちゃん用品を見たり、毎日が忙しかった。
結婚式はしないけど籍を入れようとした前日、長助は成海からメールを受け取った。
ごめんなさい。
嘘、ついてました。
お腹の子供はあなたの子ではありません。
さようなら
メールはそれだけで、電話をしたが、成海は電話を取らなかった。
翌日再びかけたら、電話番号を変えたのか通じなくなっていた。
数日後、成海から手紙が届いた。
子供の本当の父親はアメリカ人で、彼が迎えに来たから、彼の国で出産すると書かれていた。
「くそっ!」
長助は手紙を握り潰すとゴミ箱に放り投げる。
購入した赤ちゃん用品は全て彼女の家で、貧乏くさいが金を返せと叫びたくなった。
それから、なんとか持ち直して、長助は日々の生活を送った。
ネットやテレビでアメリカという単語を聞くと途端に嫌な気持ちになったが、どうにかやり過ごした。
そんなある日、彼は街中で呼び止められた。
最初は誰か分からなかったが、医者と言われ思い出した。それは成海の産婦人科の先生だった。
話したくないと怒りを隠さない彼を、医者は強引に喫茶店に誘う。
穏やか人柄だったと記憶していたのに、別人のようで長助は冷静さを取り戻した。
彼から聞かされた内容は信じられないもので、挨拶もそこそこに長助は駆け出した。
繋がるわけがない電話番号に望みをかけて電話する。もしかしたら、まだアパートは引っ越ししてないかもしれないと、彼はタクシーに飛び乗った。
表札がかかってないのは前から同じ、外に置いてある観葉植物も同じで胸が期待で高まる。
震える指でインターフォンを押す。
「どなたでしょうか」
「成海!俺だ!」
彼女が出た喜びで思わず大きな声を出してしまう。成海からの返事はない。
「成海。話がしたい。入れてくれ」
長助は声を押さえて、請う。
彼女は答えなかった。
「中井先生から聞いたんだ。謝らせて欲しい。お願いだ」
「……ごめんなさい」
泣き声が混じった謝罪の言葉が返ってきて、長助は彼女を今すぐにでも抱きしめたかった。
「成海。今でもお前のこと好きなんだ。お願いだ。話がしたい」
やっと成海はドアを開けてくれた。
久々に見た彼女はすっかり痩せていて、倒れるのではないかと心配したくらいだ。
「お水しかないんだけど、飲む?」
「いらないよ。それより座って」
赤ちゃん用品で溢れかえっていた部屋は、ガランとしていて、ちゃぶ台が真ん中に置かれているだけだった。
成海の真向かいに長助は座る。
彼女は俯き、視線を合わそうとしなかった。
「成海、結婚しよう」
「長助くん⁉︎」
驚いて成海が顔を上げる。実際、言った本人も驚いていたが、本心からの言葉だった。彼女が妊娠しなくても彼はそのうちプロポーズするはずだったのだから。
「おかしいって気が付かなかった俺は本当に馬鹿だ。こんな馬鹿だけど、俺とやり直して欲しい」
成海は泣きながら頷いた。
彼女は彼に二つの嘘をついた。
お腹の子が長助の子じゃないという嘘。
アメリカ人と結婚するという嘘。
言わなかった事は、子供が流れてしまった事。
彼女に二度と悲しい嘘はつかせない。
長助は彼女を抱きながら心に誓った。