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女湯を覗く

作者: 夏男

 私は己の欲望のままに女湯を覗こうとしているのではないことをまず最初に断っておこう。


 私と友人が泊まっている旅館は閑古鳥が巣を作りそこで雛を育てているかという寂れ具合にも関わらず(冬だというのに宿泊客が私たちしかいないのだ!)露天風呂というなかなか小洒落たものがあった。

 男湯と女湯の露天風呂は高い壁により隔たれており、古来より下心を持った男どもの侵入を防いできたことが壁の所々にあるシミが物語っていた。

 そんな何人も寄せ付けないベルリンの壁に愚かにも私も挑戦することになったのには訳がある。



「温泉に行こう。」


 大学の学食で240円のかけ蕎麦をかきこんでいた私の隣で850円のA定食を食べていた私の友人はそう言った。

『ボサこう』と影で呼ばれる私と打って変わって、友人はその華奢な体躯と中性的な顔立ちでよく女と間違われ、街中で勘違いした同性()にナンパをされるのだとか。まぁ、本人も結構ノリノリで女装と称してスカートを履き化粧をして街中を歩いて男を誑かしているので友人が10割悪いであろう。

 可愛い見た目に反して男にトラウマを負わせて悦に浸る悪魔、それが我が友人の本性なのだ。


「何故?」


 そんな友人が急に温泉に行こうと言い出したのだ。何かハラがあるのは明白だ。私は十分に警戒をしながらそう聞き返した。


「何故もへちまもないだろう。毎日大学で顔を突き合わせる私と君の仲じゃないか?たまには泊まりで親交を深めるというのも面白いんじゃないかと思っただけさ。」


 そう言ってニヤリと笑ったその顔はナンパしてきた雄を騙くらかして本性を晒した時に見せるソレだった。


「お前のやり口は知っている。そうやって俺をおもちゃにしようと思っているんだろう。それにそんな金はない。」


 親からも多少の仕送りはいただいているがそれでも私の大学生活は昼食を240円以内に納めなければいけないほどに困窮している。温泉旅行なぞ夢のまた夢だ。


「いやいや、僕と君の仲じゃないか。たまには信じてもらってもいいんじゃないかい?それにお金がないっていうんだったら僕が貸してあげてもいい。もちろん無利子でね。」


 そういえば友人の親は超がつく金持ちであった。道理で学食1高いA定食を毎日食べれるはずだ。

 しかし、金を貸してくれるのなら温泉旅行に行くのもありかもしれない。旅行といえば悲しいかな、高校の修学旅行で行ったきりどこにも出掛けていない。

 …たまにはこの学舎を離れて湯に浸かることで英気を養うというのも良い考えかも知れない。


「金を貸してくれるのなら行かんでもない。」


「…その態度はあまりいただけないが行くってことでいいんだね。しかし、ただ金を貸すっていうのもなんだか気に入らない。そうだ、向こうに行ったときに僕のお願いを一つ聞くとういのはどうだろう?」


 その時の私の頭の中は愚かにももう湯の事しか考えていなかったのでうっかり友人の悪魔的な部分を忘れていた。


「おう、いいとも。腹踊りをしろというなら踊ってやる。」


「そんな貧相な体で腹踊りをしても面白くはないだろう。

 …ま、行ってからのお楽しみってことで一つ。」


 そのときの友人の顔は新しいおもちゃを見つけた子供のようだった。


 そして時は露天風呂の壁に戻る。

 大分陽も暮れてきた。寒空の中全裸で女湯を覗こうとするがために体は冷え切っている。


 まさかこんなお願いをされるのならば最初から温泉旅行なぞ断っていた。

 いや、そもそも縁を切っていただろう。

 今後はお願いの内容は先に聞く、これを徹底しようと切に思う。


 さて、反省は終わった。いかにして女湯を覗くか、これを考えねばならない。


 強固な壁にはもちろん取っ掛かりになるようなものはおろか隙間ひとつなく、男の下賎な視線が少しでも女湯へ向けられることを拒んでいるのかのようだ。

 露天風呂の真上には屋根が建っているがそれも壁から3m以上離れているため、たとえ屋根の上に上がったとしても女湯を覗くことは難しいだろう。

 となると壁をよじ登るのではなく違ったアプローチをかんがえる必要がある。

 例えば一度男湯から出て隙をみて女湯に潜り込むというのはどうだろうか。幸いにも本日の宿泊客は私と友人だけなのだから、温泉宿の従業員にさえ気を遣えば女湯への侵入は意図も容易いだろう。


 だが、それでいいのか。

 はるか昔から女湯を覗くことを憧れた純真無垢な男どもは皆正々堂々自身も全裸で男湯から女湯を覗きに行ったのではないだろうか?

 たとえ私が女湯を覗きに行くことが乗り気でなくさっさと終わらせたいからと邪道の道に踏み出そうものなら私は今後通りの端っこしか歩けないような惨めな暮らしを意図まざる負えない。

 何事も結果よりも経過(プロセス)を大切にする。これが玄人というものである。

 そうなると道は一つだけだろう。


 私は鼻水を手で拭うと露天風呂の柵を跨いだ。


 私と友人の宿泊している温泉宿は街から少し離れた崖の上に建っており露天風呂からは街を一望することができた。街を一望できたからといってこの場所は特に観光名所でもないので見えるのはせいぜい民家とコンビニくらいのものである。

 しかし崖っぷちに建っているおかげで柵の向こうには男湯と女湯を遮るものがなく、柵を乗り越えれば容易に女湯へ侵入、覗き見ることができそうなのだ。

 一つ問題点があるとすれば足を滑らせると崖から真っ逆さまに転落してしまうことだろう。流石に温泉宿側も命の危険を冒してまで女湯を覗くような馬鹿がいるとは思っていなかったようだ。

 さて、そんな馬鹿は柵の外に片足をつけると今度はもう片方の足を柵の外側へゆっくり出していく。何せ柵の外側は10センチほどしか幅がないため慎重にならざる負えない。

 全身が柵の外へ出ると私は恐る恐る女湯の方へ向かう。

 時刻も夕暮れ時に差し掛かり時折みも凍るような風が全裸の私を襲った。手足の感覚は疎かになり、何度か踏み外しそうになるのをなんとか耐えながら私はようやっと壁を越えた。


 女湯はどうやら男湯とは壁を挟んで左右対称の作りをしているのであろう。

 屋根の下に湯船がありそこから湯気がもうもうと湧き出ている。


 そしてその湯船の中には人影があった。


「ん、君か。思っていたよりも遅かったね。」


 湯船に浸かっていたのはなんと友人だった。


「『なんでお前が女湯に浸かっているんだ。』って顔をしているよ。

 そんなことよりも早くその股にぶら下げている汚いものを隠したまえ」


 どうやら友人は私が女湯を覗く痴態を見物しようと特等席(女湯)で待っていたようだ。


「余計なお世話じゃ。男同士で何を喚く」


 この寒空の下、お前の願い事のために鼻水を垂らしながら頑張っていたというのに貴様はホクホク湯に浸かってそんなことを言うとは一体何様か。

 柵を乗り越えると私はざぶんと湯に浸かった。


 乳白色のにごった湯は浸かると体が見えなくなるほどであった。

 恐ろしく冷え切った私の体を温泉の湯が優しく包み込んでくれる。

 私は思わず老人のようにため息をついてしまう。


「全く…、君はつくづく馬鹿だね。

 まあ、いい。とりあえず飲み給え」


 友人は顔を赤くしていた。見ると友人の近くには風呂桶が浮いており、その中には徳利とお猪口が入っていた。

 どうやら私が来るまで酒盛りをしていたらしい。つくづく嫌な奴である。

 私は風呂桶に入ったお猪口を拾うと酒を一口いただいた。


「なんだこれ、麦酒じゃないか。こういうのは普通日本酒じゃないのか?」


「生憎日本酒は辛くて好きじゃないんだよ。それに温泉の中で麦酒を飲むのも中々味があるだろう。」


「いや、普通麦酒と言ったら風呂上がりに飲むのが美味いと思うのだが。」


「まあいいだろう。これは私の酒なのだから。

 文句を言うなら飲まなければいい。」


 そういうと友人は私の酒を奪い取って一気に飲み干す。

 と言ってもお猪口なので量はそれほどである。


「全く、人がこの寒空で命の危機を感じながらやっと女湯を覗きにきたというのにそっちは酒盛りをしてるんだもの。少しは労いの言葉でもあっていいんじゃないか。」


「だからこうして君が来るまでこの温泉の中で健気に待っていたんじゃないか。折角のご褒美()も君は気に入ってくれなかったみたいだし。」


 そのご褒美は貴様が飲んでいるじゃないか。


「それは君が遅かったからさ。麦酒はキンキンに冷えてるうちに飲むのがうまいだろう?君を待っていたら麦酒本来の美味しさがなくなってしまうと思ったのさ。」


 ああ言えばこう言う。なんとも詭弁がうまい奴である。

 私は呆れ返って大きなため息を吐いた。


「そもそもお前はどうやってこっちに忍び込んだんだ。それになんで俺に女湯を覗かせたんだ。」


「女湯には正々堂々真正面から入ったよ。僕は君みたいにむさ苦しい()じゃないから女将さんに見つかっても別段問題はないんだ。そしてなんでこんなことを頼んだのかって?」


 そういうと友人はニヤリと笑った。その顔は私に頼み事をした時の悪魔が新しい獲物(おもちゃ)を見つけた時のような顔であった。


「君がヒイヒイ言いながら女湯を覗くのが面白そうと思ったからだよ。」


 絶交だ。こんな奴といると残りの大学生活も碌なものではない。


「まあまあ、僕は面白いものが見れたし君は少しは助平な体験ができたんだからいいだろう?それにほら、雪も降ってきた。雪を見ながらの温泉なぞ格別じゃないか。」


 天を仰ぐと先ほどまでは降っていなかった雪がシンシンと降り始めてきたところだった。どうりで寒いと思ったわけである。


「お前の裸なぞ興味はない。男湯に戻る。」


「興味無いとかそんなこと言うなよ。あ、男湯に戻るならそこの扉を使うといい。さっき試しに触ってみたが鍵はかかっていないようだから。」


 見ると男湯には無かったドアが壁にはあった。どうやら板目をうまく利用してドアを隠していたのだろう。

 湯から上がると冷たい風が私の体を襲った。

 私は少し小走り気味に男湯へと戻るのであった。


「いやはや、それにしても良い温泉だった。」


 帰りのバスの座席に座ると友人は満足げにつぶやいた。

 あの後男湯に戻った私は温泉に浸かりなおし、この旅行の本来の目的である学業に疲れた体を癒すことに専念しようとしたが、どうにもうまくいかなかった。


「私はなんだかくたびれたよ。

 もう二度とあんなことは頼まないでくれ。」


「えー、そんなこと言って本当は女湯を覗いてみたかった癖に

 分かりますよ、僕には。男だったら一度は憧れますからね。」


「そんなものに憧れた覚えは断じてない。」


「ははは、まあそういうことにしておきましょう。」


「そういえばお前は私が男湯に引き上げた後も男湯は戻らなかったな。」


「当然でしょう。僕は最初から女湯に入っていたので、最後までそこで過ごすと言うのが筋というものでしょうが。」


 全く持って大物なのかど変態なのか、私は友人のことが少し怖くなった。

 いや、きっと彼のことだから何も考えていないのだろう。


「それよりもほら、見てください。旅館の方がまだ手を振っていますよ。

 ここで無視を決め込むことこそ人間としてダメでしょう、」


 窓を見ると、去りゆくバスに向かって健気に手を振る旅館の主人と女将さんがいた。

 私たちの泊まった旅館ははっきり言ってなぜあんなにも閑散としているのか理解できないほどに温泉も料理も良いものだった。

 私は彼らの今後の繁栄を願いながらソッと手を振り返した。


「あー、あなたはなんでそんなちょっとしか手を振らないんですか?

 感謝の気持ちをもっと全身で伝えなければ。良いですか、こうやって手は振るものなのです。」


 そう言うと友人は身を乗り出しバスの窓から宿の主人たちに向かって思いっきり手を振った。

 この時友人はバスの通路側、そして私は窓側に座っていた。当然友人が バスの窓から身を乗り出すには私という障害物を乗り越えなければならない。

 友人は窓から身を乗り出すために胸部が私の腕に押し付ける形になった。

 当然、男同士なので全くもってなんの問題もない。

 だが、友人の胸部には男からは絶対にあるはずのない膨らみがあった。


 私は恐ろしくなって帰りのバスの中で友人にその膨らみの真偽を問うことができなかった。

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