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桜が散る頃には、なんにもない

作者: 青葉雄次

 競馬関連のポエムです。読んでいただければ幸いです。

 そよ風が木々を揺らし、葉が散っていく。

 窓ガラス越しに眺めていると、薄い桃色の花びらが庭先にひらりひらりと舞い降りていく。

 まるで、舞台上に降り立つ踊り子のように。


 桃色の花弁が散りゆく季節となり始める頃。

 風という渡り舟に乗って、桜はまた、その姿を一本だけの木へと変貌させる。

 僕にはそれが、どこか儚くも美しいものに見えた。

 桜花――その言葉で想起できるのは、桜花賞という競馬の競走であった。


 桜花賞は牝馬のみが出走できるレースで、過去には八大競走の一角とも呼称されていたそうだ。

 そんな競走を桜が舞い散る光景を遠目に想起させるとは、我ながら競馬にはまりすぎたなと自嘲せざるを得ない。

 だけれど、そのおかげである一頭の、桜花賞の勝ち馬をいとも簡単に思い出せた。


 ――テスコガビー。とある実況アナウンサーの名実況でも有名な、1972年に誕生した名牝である。

 彼女の桜花賞での勝ちっぷりは鮮烈すぎるぐらいに記憶に刻まれた。

 ――後ろからはなんにも来ない! 後ろからはなんにも来ない! 実況アナウンサーがそう叫ぶ。

 それが耳に響き渡り、慌てて映像に目をやると、テスコガビーは他馬に圧倒的な着差をつけ、圧勝していたではないか。


 快速少女という言葉が自然と口から零れた。

 それほどに、テスコガビーという名牝は圧倒的すぎたのだ。

 レース映像を閲覧したあと、どうしても気になり、彼女のことを調べると、まさに桜のような生涯を送っていたことがわかった。


 春の訪れをこの身で感じさせられる度、テスコガビーを思い出す。

 テスコガビーはあの世で現世を見守り、僕のように桜花を眺めているのだろうか。

 あるいは、テスコガビーは桜そのものになったのかもしれない。

 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

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