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怪談

蛇の眼

 それはとても暑い日の事であった。


 二月の晦日を迎えようというのに真夏の如き暑さで、一昨日に降り積もった雪が跡形もなく解けてしまうほどだった。


 道行く人々もあまりの暑さに上着を置いて夏の装いをしなくてはならない程で、涼を求める者達によって商店から氷菓が姿を消す事になったそうだ。


 さて、そんな心身の正気を疑いかねない異常な冬の日に、私は友人の住む屋敷を訪っていた。


 季節外れの暑さに辟易とした世間とは違い、心軽やかに。


 彼の住む屋敷は豪邸と言っても差し支え無い規模であり、郊外の高台、というか丘の頂上に建つ其処には両親とその三人の子供。後は女中が二人住み込んで居るだけであった。


 姉と妹に挟まれた彼にとって、唯一、とも云える同性の友人である私は月に二度ほど泊まり掛けで遊びに来るように誘われる。


 正直な所、彼と遊ぶことよりも彼に着いてくる妹と遊ぶことや、休憩の時にする姉との会話の方が楽しみではあったのだが。


 姉の名前は夜音(やと)、妹は七穂(しちほ)という。

 紅茶の薫りと出来立ての焼菓子を挟み、夜音さんと会話を楽しむ。


 お互いに知的な話題ができる数少ない相手であり、尚且つ俗な

 話題も出来るという、いわゆる、馬が合う関係といったもので

 あったのだろう。


 彼の両親から、彼を通して婚約の打診があったのは半月程前のことであった。


 私より二つ歳上で、涼やかに微笑む彼女が私は好きだった。一目惚れ、というものだろう。後に性格等を知り益々好意を強くはしたのだけれども。



 彼女の事を思い返しながら屋敷に辿り着く。


 門扉に付いた呼鈴を鳴らすと、暫くして女中が向ってきた。


 七穂嬢が来ないとは珍しい。


 予め訪問する事を伝えてあるといつもは七穂嬢が真っ先に出てくるというのに。


 友人に会って早々に七穂嬢について尋ねると、どうやら出掛けているらしい。


『姉さんと婚約したのにもう七穂と浮気するのかい』等と誂って来る友人を尻目に、私は裏庭に居るという夜音さんに挨拶へと向う。


 今日も涼やかな眼をした夜音さんが穏やかに微笑んでくる。

 人によっては冷たさを感じさせる眼かもしれないが、私はそれが好きであった。


 友人や婚約者との一時を楽しみ、帰路に就こうとしたのは日も傾きかけた頃であった。


 結局、七穂嬢とは会えず仕舞いであったのが名残惜しかったが、翌日は予定が有るため、泊まらずに友人宅を辞する事となったのだ。


 さて、存じているかは知らぬが、冬の日の暑さというものは日が傾く頃になると途端に何処かに消え失せ、寧ろ昼間暑かった分、余計に寒さが厳しく感じる訳ではあるが、その日も正にそうであった。


 帰路に就いて数分。あまりの寒さに急ぎ足になる私の前に、一匹の蛇が居た。


 塀と深い藪に挟まれた狭く長い道の中間点に其れは居た。


 鎌首をもたげ此方をじっと見ている。


 体長3尺程のその蛇は此方を獲物とでも思っているのか私が動くのに併せて頭を向ける。


 別段蛇が苦手と云う訳ではないのだが、凍える様な寒さも有り早く帰宅したかった私は、足早に横を通り過ぎようとした。


 次の瞬間、唐突に蛇が動き出した。


 警戒していた私は思わずその蛇を蹴ってしまった。


 一瞬「可哀相な事を」と思ったが、恐らく私を狙っての動きで有ることを考えると、至極当然の報いだとも思えた。


 早く帰宅したいのを邪魔されていた事も有り、蛇への報復は再度その頭を蹴りつける事であった。


 先程の様な不可抗力な蹴りではなく、明確な害意を持った其れは蛇の頭に吸い込まれていった。


 果たして蛇は動かなくなった。生死はわからない。


 意図的にある程度の大きさの生き物に攻撃するという行動に内心靄々とした物があったが、頭を踏付けなかっただけ慈悲があると自己弁護しながら歩みを進めようとした。


 蛇から視線を外すと眼前に俯く女が居た。


 女は何処から来た?道の向こうからか?いや違う。長い直線の道は向こうから人が来れば容易に気が付く。ならば藪から?それこそ有り得ない。篠が密集した藪は獣だって容易には通れない。


 刹那、そんな事を考えていると、女が顔を上げつつ「なんて酷い事を」と呟いた。


 一瞬女の眼が見えた。寒々しい眼だった。


 人とは思えない女の人とは思えない眼が怖くなり、私は走り出した。


 怖い。寒い。怖い。寒い。


 何時の間にか日は沈み、真っ暗闇となった道を直走る。


 高台の中腹に並ぶ屋敷群を抜け、下町へと足を踏み入れる。


 不自然な程に音のない町を寒さに震えながら走る。


 寒さも相まって、凍り付いた様な町に人影は無い。


 次第に息が乱れ、足が縺れて転げる。


 痛みに構わず、直ぐに起き上がり再度走り出す。


 誰もいない。それどころか、この時間なら帰宅前に一杯やる勤め人相手の小料理屋も全て閉まっている様だった。何時もなら軒先に吊るされた赤提灯に火が灯っているはずなのに何処にも見当たらない。


 知らぬ道へと入ってしまったかと思ったがそんなことはない。人影と灯りが無い事を除けば見慣れた道だ。この地で生まれ育ったのだから判る。


 手足の先が冷え切ったのか、感覚が無くなっていく。


 鈍い感覚の手足を懸命に動かして家の前に辿り着いたときには、肘の先、膝の先は凍り付いた様に冷たく成っていたと思う。


 家には明かりがついていた。其の事に涙しつつも振り返り後ろを見た。


 女は居なかった。


 首を戻すと女が居た。


 私と門扉の間に立つ其の女。白い息を見せないその女が、感情の乗らない眼で此方を見ていた。


 蛇の眼だった。


 蛇の眼が、此方をじっと見ていた。


 眼には感情がないのだが、全身から溢れ出る剣呑な気配が不機嫌なのを伝えてきていた。


 思わず後退りしようとしたが、膝から下の感覚が無い為に転んでしまった。


 身を起こそうとすると、女が覗き込んできた。


 動けなくなる。蛇に睨まれた蛙というのはこんな状態何だと思っていたら、女が顔を近付けてきた。


 恐怖に目を閉じると、首筋から口周りに掛けてヌラリとした感触が伝わってきた。


 驚き目を開けると、舌を出した女の顔。


 どうやら顔を舐められたらしい。


 異様に長い、先端が二股に別れた蛇の舌。


「残念」


 一言残し女は消えた。



 その後は直ぐに大声で家族を呼び、家に担ぎ込まれてからは泥のように眠った。


 手足の感覚は戻らないままだった。






 *********





 メモを取る私に彼は続けた。


『手足は凍傷になって切断する事になったし、婚約も白紙に成った。一度其れを伝えに友人が来たが、一方的に伝えられただけで、呆然としてる間に帰ってしまった。済まないが夜音さんに言伝をお願いできないか?』


 私は首を縦に振る。尤も、伝えることはできないであろう。


 なにせ、彼の住む町。確かにその丘には高級住宅街が有った。


 但し中腹まで。その先は頂上にある沼の影響か地盤が余り強く無いらしく、家が建てられることは無かった。


 頂上には沼しかなく、家など無い。


 中腹より下も先日地盤の調査結果に偽装が見つかったらしく、殆どの住人は既に退去していた。


 それに、『蛇神』なんて名字の家なんて聞いたことは無い。

 というか、露骨過ぎる。

 友人の名前は知らないが、『ヤト』に『シチホ』なんて名前も蛇と絡めて考えると…


 まあ、あそこの丘には蛇神伝説もあるし、沼には蛇が沢山いる。きっとそう云う事なんだろう。


 取材させて貰ったんだし、一応沼まで行って伝言を伝えようか。



 …一時とはいえ婚約関係にあったらしいんだけど、私が変な嫉妬に巻き込まれたりはしないよね。


 聞きたいことは聞けたので、私は彼のもとを辞する事にした。


 手足を無くし、蛇のようにのたうちながら私に話をした彼を思い出し、凍傷なのか蛇の呪いなのかを考えつつ。





 *********





 数日後、彼が亡くなったと連絡が来た。まだまだ確認したいことがあったのに。


 気になって調べたところ、彼の言う異常な暑さは無かった。


 更にはその後の寒さも。


 走ってる人間が手足を切り落とさないといけなくなるような過酷な寒さなんて、観測されていなかった。丘の中腹から彼の家まで走ってみたが、女の私でも5分程度の距離。


 彼の手脚は単純な凍傷だったのだろうか?


 彼が怪異に遭遇した日もその前後も別段変わった天候では無かったのはどういうことなんだろうか?


 ふと気が付いた事があって、日付を確認してみた。


 彼が亡くなった日は、怪異に遭遇したという日から四十九日後だった。


 調査は終了することにした。


 …それにしても、現代日本でも婚約者、というか許嫁って存在するものだったとは。いいとこの産まれだとそういうものがあるものなのだろうか?


 …そういえば、なんで彼の話し方はあんな古めかしい言い回しだったんだろう?


因みに、聞き取り調査しているのは『カスミ』にも登場しているお姉さんです。…そのうち名前考えようか。

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