ブサエルの正体
俺の両親発覚後も琴梨ちゃんはあまりそのことを話題にはしてこなかった。
こちらがその話題を避けていることに気付いたからだろう。
そんな気遣いが出来るところも琴梨ちゃんの魅力の一つだ。
もちろん両親が有名人だろうとそれまでと変わらない態度で接してくれる。
そんないい女の子なのに、やはり俺のアレルギー反応は変わらず出てしまう。
いくら身体の問題とはいえ、なんだかすごく琴梨ちゃんに申し訳ない気持ちになる。
そんな悩みを抱えているのを見透かしたように連絡してきたのは『ブサエル』だった。
『大丈夫か?最近かなり凹んでない?』
その一言に疲弊していた心が救われた。
普段はたとえ仲のいい視聴者でも距離を保っていたが、このときは縋るような気持ちで返信してしまっていた。
『小鳥ちゃんはあんなにいい子なのに相変わらずアレルギーが出ちゃうんだ』
『それは仕方ないだろ。TACが悪いわけでも、小鳥ちゃんが悪いわけでもない』
『それは分かっている。でも本当にこのままでいいのかなって不安で』
『一度会って話そうか?』
ブサエルの申し出に返信の指が止まった。
キモオタコスプレをしているとはいえ、視聴者に素顔を晒したくはない。
でも会って相談もしてみたかった。
なんて返せばいいか分からなくて、五分が経過した。
痺れを切らしたようにブサエルの方から再度メッセージが届く。
『そんなに警戒するなよ。別にTACを隠し撮りして晒したりしねーし』
『そんなこと心配してないけど』
『お互いブサメン同士だろ?今さら実物見て幻滅するとかねーし』
『でも会うといっても遠くまではいけないよ?』
『近いと思うよ。デートで行ってた水族館とかうちからもそう遠くないし』
『そっか。なら大丈夫だな』
いくら背景を隠しても水族館とかは観る人が観ればすぐ分かってしまう。
それで意外と近くに住んでいるも気付いたのだろう。
一度会ってみよう。
そう決意して待ち合わせの約束を取り付けた。
────
──
ブサエルとの待ち合わせの喫茶店に付き、約束どおり目印となる豚のぬいぐるみをテーブルの上に置く。
まだブサエルは来ていないらしい。
それほど混んでいる店ではなく、客は数えるほどだった。
約束の時間から一時間過ぎてもブサエルはやってこなかった。
メッセージを送るが返信は来なかった。
さらに一時間経つとほとんどの客は帰り、店内は閑散とした空気が漂っていた。
(約束を忘れたのか? それとも来る勇気がなくなったとか? まさかはじめから来るつもりがなくてイタズラだったなんてないと思うけど……)
ついに俺の他にもう一人だけいた女性客が席を立った。
俺も帰ろうと立ち上がると、その女性はレジではなく俺の席の方へとやって来る。
「あの……」
「はい?」
「TACさん、ですよね?」
「えっ……」
「私がブサエルです」
「は?……ええーっ!?」
静かな店内に俺の声が響く。
ブサエルはまさかの女の子だった。
「男のフリして騙しててすいません」
「い、いや……まあ、それはいいけど……」
ブサエルと名乗った彼女は奥二重で黒髪ショートヘアの物静かな印象の顔立ちの女の子だった。
年齢は俺とほぼ同じだろう。
顔のサイズに合っていない大きな眼鏡が一番印象的だ。
正直二十代後半の、体毛と頭髪のバランスが逆の、小太りな魔法使い見習いみたいな男を想像していたから意外すぎた。
「女子だと警戒されるかなと思って男の子の振りをしてました」
「悪ノリした僕に告白の対象にされても困るしね」
「そんなことは……まあ、少しは思ってましたけど」
メッセージのやり取りでは強い口調なのに話すときは消え入るような声だ。
「女子だと分かって怒りましたか?」
「いや。男だろうが女だろうが、ブサエルはブサエルだ。いつも君のメッセージに励まされていたよ。ありがとう」
「い、いえ……お役に立てたなら……」
ブサエルは俯いてずれた眼鏡をくいっと押し上げながら首を竦めていた。
「それに私の方が感謝してます」
「俺に感謝?」
「はい。辛くてどうしようもないときとか、寂しくて泣きそうなときも、TACの動画を見たら元気になれたから」
「あんな動画で!?」
「何度もこっぴどくフラれて、なんかすごく惨めで憐れなのに全然落ち込んでないところがすごいなって。もちろん凹んでるんだろうけど、そう感じさせないTACを観て、私も頑張らなきゃって思えて」
「そんな示唆に満ちたものじゃないんだけどね」
受け手によって色んな見方があるものだと妙に感心してしまう。
「しかしブサエルさんが女の子だったとはなぁ。意外だったなぁ」
「それを言うなら私も意外です」
「なにが?」
「TACはもっとおどおどして無口な人だと思ってました」
「あー、まあ動画だと分かりづらいよね」
驚きのあまりついヲタキャラ設定を忘れてしまっていた。
でもまあ、ブサエルが相手ならキャラを作る必要もない気もした。
それだけブサエルには心を開いている。
「それで小鳥ちゃんとはうまくいってるんですか?」
「交際自体は順調なんだけど、僕のアレルギー体質が変わらなくて」
「具体的に言うと? キスが出来ないとか、性行為に及べないとか?」
「バ、バカ。それ以前の問題だ。手を繋ぐのもきつい。てか女の子が性行為とか口走るな」
「それは失礼」
ブサエルは笑顔を隠すように俯いて、肩だけで笑う。
「ていうか向かい合って話しているだけでもたまにアレルギー反応を起こすくらいだ」
「それは小鳥ちゃん以外の女性でも?」
「そうだな。誰でも少しは起きる。でも小鳥ちゃんの場合は好き好きオーラが放たれてるから、たまにすごく厳しいときがある」
「私と話してても?」
「あ、そういやブサエルと話してても全然平気だな」
「一応私も女なんだけど?」
ブサエルは恨みがましくじとっと睨んでくる。
「悪い。怒るなよ。でもアレルギー反応が出ないんだからいいことだろ」
「まあ、友だちとしては嬉しいよね。《《友だちとしては》》」
妙に非難がましい声だ。
「家族は? 母親とか祖母とか」
「それは大丈夫。かなり年上の女性もあまり拒絶反応は起こさないな」
「私TACと同い年なんだけど?」
「だからなにに拗ねてんだよ! アレルギーが起きないんだからいいことだろ!」
「まあ、そうだけど」
ブサエルはアイスコーヒーのストローをガジガジと噛んでそっぽを向く。