表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あの詩の深層にあったもの。※長いのでお気をつけください。

作者: 昼咲月見草

閲覧注意。

心の弱い方、現在弱っている方、精神的に傷つきやすい繊細な方は決してお読みにならないでください。

自分の心の奥底にあるものと向き合う覚悟のある方のみお読みください。

こんにちは。

初めての方ははじめまして。昼咲月見草と申します。


この話は、拙作「こんな世界など滅びてしまえばいいと」に感想を20件も頂戴し、詩を書いた理由としては一区切りしたのかなあ、と思いましたので、その区切りに書かせていただこうと思い立ちました。


エッセイというにはちょっと独りよがりでご報告感の強い内容です。

「こんな世界など滅びてしまえばいいと」を書いた際は、活動報告で閲覧注意である事を説明させていただいた上で、わたしが考える善良さというものについてお話しし、さらにこの詩を読んで落ち着かないものを感じたり不安になったりした際には遠慮なくご連絡ください、とお願いしていました。


しかし、レビューを頂戴し、感想が20件を超えてきたとなると、この詩を読んで傷ついた方がいたとして、果たしてわたしに連絡を下さるだろうか、と。

おそらくお読みいただいているほとんどの方が、わたしの活動報告を読んだ事がない状態でこの詩をお読みになっているのではないかと、そう思いました。


また、それと同時に、この詩の内容、深層部分についてきちんと説明する義務のようなものを感じました。


当初は活動報告で説明する予定だったのですが、冷静に考えるとR15の詩の内容を誰でも読める場所に書くのはどうなのだろうかと気がつきました。

書いても書いても納得がいかない、それはなぜなのだろうと考え、ようやく。

そのため、その他の作品として投稿させていただく事としました。

最初は評価停止作品にすべきかと思ったのですが、それだと公開する意味がないのかな、と思ったので、苦渋の選択となりました。ご不快に感じられる方もいらっしゃるかと思いますが、ご理解いただければ幸いです。


正直、怒る人もいれば不愉快になる人も、わたしの事を嫌いになる人もいるだろうと思っております。

感想欄も荒れるだろうな、と。

ですが、書かれた方から誠実さを感じる限り、返信の返信にもお答えして参ります。

落ち着かない気持ちを感じてどうしたらいいかわからないとき、ぜひ書き込んでいただければと思っています。


今回のようにお時間をいただくかとは思うのですが、その点はどうかご了承ください。


これまでにいただいた感想への返信では、あまりこの詩の状況や何を考えて書いたかなどは説明してきませんでした。

時々言っちゃったりもしてますが、基本は好きなように読んで、好きなように感じて欲しかったのです。


『世界を滅ぼそうと言われたら人は絶対ためらう。自分が正義ではないと知っているから。』

これは、この詩の1番の部分であり、そして表層の部分でもあります。

今までは、表層の部分のみ知ってもらえればいいと思っていました。


善良さも邪悪さも、表に出ることなどほとんどないし、ほとんどの人はみんな、普段は周りと協調しながらなんとなく社会を生きているとわたしは思っています。

弱肉強食の世界で知性を獲得し、良心を獲得し、少しずつ前に進んでいく、それが人間の進化の在り方なのかもしれないな、と。


でも、それで今泣いてるわたしの大切な人たちをどうしてくれるの? というのが、この詩が浮かんだ時のわたしの最初の思いでした。それは紛れもなく本音です。

なので正義は、この詩には全く存在しません。


当初わたしはこの詩を投稿する気にはなれませんでした。

怒りと破壊だけの詩で誰かを傷つけても意味がないからです。

皆様の感想欄にも書かれている通り、みんな理由があって、誰かに悪を押し付けても何も変わらない、ピラミッドの上下が逆転するだけ、そこに何も意味はない。

あって身勝手な自己満足くらいのものでしょう。


でも、すぐに人のせいにするわたしの中のわたしが囁いたのです。

「そんな事ばっかり言って、今苦しんでる私たちの大事な人はどうするの? もうさ、さっさと責任者に責任取ってもらおうよ」

「責任者って誰さ」

「あー、…地球?」

「ほほう、それ採用」(キラーン!)


というわけで、この詩のタグには「擬人化 でもきっとこんな事言わない」がついています。

地球は世界を滅ぼそうなんて言わないでしょう。

でも、もし地球が本気で責任を取ろうとしたら。優しい世界を作ろうとしたら。

この詩はそんな発想から書かれたものです。

そしたら、そのときあなたはどうする?と。 

普通は絶対ためらうでしょう。


でもきっと、ここで地球が言っている「滅ぼす」の真意は、


『僕は優しい世界に変わろうと思う。君はどうする? 僕と一緒に変わってくれる?』


ではないかと思うのです。


これまでの世界が大きく変わるとなったとき、その世界に合わせて人は変わるのでしょうか。

そこには善も悪もなく、ただ新しい理が存在するだけ。

今、世の中に合わせて生きているように、新しい世の中に合わせるのか。今の自分を貫くのか。

世界の方が変わるとき、人はどうするのか。


そんな問いがこの詩の底にはあります。

美しさなんてカケラもない。優しさもカケラもない。

ただただ、己の心の奥底にある、生き方の本音、みたいなものと向き合う。そこにいる自分の原型を知る。

「それ、本当に知りたい?」という。これはそんな詩です。そこに何がありますか、あなたならどうしますか、と問いかける。


言っちゃいましたね、言っちゃいました。

きっと怒る人もいるでしょう。そんな事は知りたくなかった、と。

詩は説明するものではないと言う方もいらっしゃるでしょう。


でも、わたしがこの詩を書いた理由はここにあります。

「あなたはどうしますか」

「世界の方が変わるとしたら、あなたは変わりますか」

「優しい世界で生きていたいですか」


…………。もっとはっきり言えば。


「地球が優しい世界を生きると望んだとき。弱肉強食ではない、楽園のような善良な世界である自分を地球が選んだとき。あなたはどういう自分を選びますか」


わたしの本音は何を選ぶのだろう。あの人は何を選ぶのだろう。敢えて、敢えて善良ではない、踏みつけられる邪悪なマイノリティである事を選び続け、不幸である事を望む人間はいるのだろうか。


こんな世界でも善良である事を捨てられない者がいるように、邪悪である事を捨てられないとしたら。

それは一体なぜなのだろうか。

あなたはそんな人間を目の前にしたらどうしますか?


わたしは何もしません。人の選択は自由ですし。

その人はそれを選んだ。善良な人間に善良さを捨てて他者を踏みつけにする事を覚えろと言えないように、邪悪な人間に邪悪さを捨てろとは言えません。

誰もが100%幸せになれる世界などないのかもしれません。

それでも、と思うのです。


こんな事を考えるわたしは多分人でなしなのでしょう。自覚はあります。

この詩には、わたしの醜い部分が詰まっています。身勝手で、傲慢で、悪魔のような。


誤解しないでいただきたいのは、人の中にある醜い部分を否定している訳ではないのです。

ただ、先にも書いたように、人は普段善良さも邪悪さも出さずに生きている。

でも、それを出しても許されるとしたら?


人を愛して許せる世界。

弱くてもいい、醜くていい、卑怯でもいい、バカでもいい、頭がお花畑でもピンク色でもいい、ニートでいい、怠惰でいい。

繰り返しになりますが、他者を思いやる事ができるならそれでいい世界で、それでも他者を踏みにじらずにはいられない。そこに幸せを感じたい人はどうするのだろうか。


世界から完全否定される。

絶対に成功しないし幸せにもなれない。

それでも邪悪であり続けるのだろうか。


地球が善良な優しい世界を選んだら、人も優しく、許し合って生きる事ができるのではないだろうか。


そう考えたから、わたしはこの詩を書きました。

別に、誰も知らなくていい、いつか気がつく人だけが知ってくれればいい、そう考えながら。

詩に本当は何が込められているかなんて、当事者以外知らなくてもいいと思うのです。

でも、そうも言っていられないのかな、という気もしてきて。

なのでこうして説明をする事にしました。いらん世話かな、とも思うのですが。


本当にこれバラしちゃったら感想欄荒れるな〜、と思います。

でも、わたしはこの詩は問いかける詩なので、これでいいと思っています。

星を取り消してもいいし、わたしを名前を見るのも嫌になってもいい。

これが、この詩の深層部分です。


>『もう誰かが泣いたり傷付いたりしているのをそのままにはしないよ』という気持ちで手を伸ばしていると思うので、というかそうなってほしいので、手を伸ばされた方は何をしてもいい。


上記は、わたしがすみいちろ様の2回目の感想に書いた返信の一部です。

わたしが擬人化した地球はこういう事を考えていると思います。

そのままにしないために「善良な世界」になろうとしているのです。


表層部分では、どうとらえてもらっても構わない。それが本音でした。

そして深層部分の説明は、この文章で説明した通り。


知りたくなかった方もいる事と思います。

でも、この深層部分について書こうとしたのは、実はごろり様への返信が最初ではありません。

岬林様への返信が最初でした。

でも日和った。諸々考えたらめんどくさそうだなって思ったから。

ごろり様に宛てたこの話も、もっとゆっくりあとで、もう少し日和った感じで書こうかな、と思っていました。

でも岬林様からの2度目の感想をいただいて、わたしにはきちんと皆様と一緒に考えてこの詩の責任を持つ義務があると感じました。


「なろう」の詩は、感想欄も含めて作品であると思います。

もしご興味のある方がいらっしゃれば、この詩の感想欄を一度ご覧ください。優しい人たちが、そして物書きとして生きる人たちの心が書かれています。


世界は悲しい事ばかりです。

悲しい悲しいと言っても、何一つ変わらない。

それでも、中世や大戦中と比べたら人間はずっと良くなっているはずだと信じたい。

なら、いつかはもっと素晴らしい「天にあるが如」き世界がこの地上にあってもいいのではないでしょうか。


なーんーてー。なんちゃってー。

酔うとたまに真面目な事を言ってみたくなるものなのですよー。これ1回目書いたときは飲んでたからね。というか書いてるときは大体飲んでるからね。


あれです。ここのところ、仕事で余裕がなかったので多分頭がショートしているのでしょう。

やはりあのお尻の素晴らしさについて書かれた作品をレビューするべきかもしれない。

戻って来い!真面目さを捨てると誓ったわたし!真面目に生きててもいい事ないなと固く握手して理解しあっただろう、ふざけたわたし!頼む、カムバァーーック!!



《蛇足ではありますが…》


もしもご興味があれば、わたしの詩だけでなく、仁羽孝彦様、作文太郎様、黒猫虎様の詩もお読みになってください。

黒猫虎様の詩は他の2作品とは少し系統が違っておりますが、わたしが暗い詩、怖い詩、狂ったようなものを好む理由が書いてあります。それらはわたしに寄り添い、慰めてくれているのだと、わたしは黒猫虎様の詩に教えていただきました。

仁羽孝彦様、作文太郎様の詩はおそらくこの詩をお読みいただいた皆様が最初に考える、世界について考えさせられるものとなっております。

どちらも本当に素晴らしいものです。

ご注意いただきたいのは、「良い・悪い」ではないのです。簡単に何かを断じるものではない事をご理解いただいた上でお読みください。


これはあくまでも個人的な、上記の3作品には関わりのないわたしの意見ですが、人はもっと許すことや思いやることを知らなければならないのだろうと思います。

そしておそらくそれらを学ぶべき人間はそんな事は気にもしないだろうし、学ばないという選択を確信と自身の尊厳を持ってし続けるのだろうと思います。


長くなってしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

仁羽孝彦様、作文太郎様、そして黒猫虎様、勝手にお名前を載せてしまった事、申し訳ありません。

もしご不快に感じられた際には削除させていただきますので、お知らせいただければと思います。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ