第80話 秘策(後編)
社会人の強豪チーム、武上電機と7回を終わって2-2。
予想外の健闘に、球場は沸き立ち、ボルテージは上がっており、どちらのチームのスタンドからも声援が飛んでいた。
しかし。
平松から変わった、相手ピッチャーは、小柄な体格で、カーブと、フォークボールを武器とするピッチャーだったが、球の出どころがわかりづらい変則フォームで、打ちづらく、なかなか好機は訪れなかった。
一方で、7回からスイッチした潮崎もまた、いつものようにのらりくらりと、得意の二種類のシンカーを主体に、かわしていき、相手打線に決定打を与えない。
試合は予想外の投手戦の様相を呈していた。
9回の打席では、笘篠は三振、清原も三振といいところがなくなっており、そのまま試合は延長戦に。
この大会も高校野球の試合方式に準じているから、13回まで行けば、タイブレークになる。
延長11回表。
試合が動く。
潮崎のシンカーに的を絞ってきた相手打線は、2番からの好打順だった。2番は倒れたものの、3番のアベレージヒッター、飯田がクリーンヒットで出塁。
潮崎の遅いシンカーが狙われた。
続く4番、5番のクリーンナップに連続ヒットを打たれて、1アウト満塁。
ここで迎えるは、6番八重樫。
大柄な体躯の選手で、いかにも長打力がありそうだ。
初球は、スローカーブ。見送ってボール。
2球目は、内角低めにツーシーム。ファール。
3球目は、右バッターの八重樫の体側に差し込まれる低速シンカー。かろうじて見送り、ボール。
カウント1ストライク2ボールから、同じく内角低めに高速シンカー。
バットの先で捕らえたが、打球に勢いがあった。
サードの清原の元に飛び、グラブを弾いた。いわゆる「強襲ヒット」になり、三塁ランナーが還って、2-3と勝ち越しされてしまう。
続く7番をかろうじて三振に取り、2アウトながら満塁。
8番バッター。
潮崎は、ここで攻め方を変えた。
狙われていると感じたのだろう。シンカーを捨てて、遅いカーブと、フォーク、ツーシームで勝負した。
それでもカウント2-3から粘られ、打球はセカンドへ。しかもこれも鋭いライナー性の当たりだった。
まだ1年生の田辺。彼女のグラブを弾いた。
ヤバい。三塁ランナーはこれを見て、猛然と本塁へダッシュしていた。点が入れば、これが「決勝点」になる可能性がある。
だが。
田辺はそれでも冷静に、一番近い、二塁にボールをトスした。
二塁のカバーに入った、ショートの石毛ががっちりキャッチ。
かろうじて、アウトにしていた。だが、これで追い込まれた我が校。
裏の攻撃が最後になるかもしれない。
まだ2回戦。
ここで負ければ、ベスト16止まり。校長が言った「ベスト8」や「ベスト4」の目標を達成できない。
11回裏。
相手ピッチャーをしつこく攻めて、球数を投げさせていた我が校は、9番潮崎が三振。相変わらず、彼女は打たなかった。
1番の吉竹が、四球で出塁。
だが、盗塁は望めない、と判断したため、俺は2番の田辺にバントのサインを送る。
夏まで在籍していた、3年生の辻よりもバント技術は劣る田辺。しかし、彼女は元・ソフトボール部で、実は器用な選手だった。
バントを三塁線に転がした。
ライン際の絶妙な当たりだった。
相手の三塁が突っ込んで来て、捕球するも、ボールを弾いていた。しかし、慌てて拾い直し、懸命に一塁に矢のような送球を送る。
足とボールの勝負。しかし、田辺はそれほど俊足ではない。
だが、ボールを弾いた分だけ、多少の時間的余裕が生まれているはずだ。
「セーフ!」
ギリギリでセーフになり、ラッキーな内野安打で、1アウト一・二塁と絶好のチャンスで、3番笘篠を迎える。
「天ちゃん!」
「かっ飛ばせ!」
相変わらずの、私設応援団からの声援を受けて、彼女は打席に立つ。
4球目のカーブを捕らえ、センター方向へ。
1バウンドした打球をセンターの飯田が掴むが、深く守っていたため、若干捕球が遅れていた。
それを見越した二塁ランナーで俊足の吉竹が、三塁ベースを蹴って、一直線にホームへ。
しかし。
まるで、かつての羽生田を見ているかのようだった。
体全体を折りたたむようにして、肩を目一杯動かして、まるで槍投げでもするかのように、ボールを投げてきた。
その正確な送球が、ぐんぐん本塁に迫り、そして、交錯する吉竹と、相手キャッチャーの八重樫。
固唾を飲んで、審判を見守るが。
「アウト!」
ギリギリでアウトになっていた。
「球界屈指の強肩! まさにレーザービーム、飯田!」
アナウンサーが吠えており、場内は歓声に包まれる。
2アウトで、一・二塁。
打席は清原とはいえ、完全に追い込まれていた。
あと、アウト一つで、試合終了だ。
だが。
「うっしゃー!」
大袈裟な声で、すくい上げるように打った彼女だった。相手投手の決め球のフォークボールが落ち切る前に捉え、右中間へ。
センターで、俊足の飯田が追い付こうと走るも、わずかに届かず。
中継処理をしている間に、二塁ランナーの田辺が還り、なんとか同点に追いついていた。
3-3の同点。
まだまだ試合はわからなかった。
延長13回。ついにこの時が来た。タイブレークだ。
タイブレークでは、点が入りやすいように、ノーアウト一・二塁という状況から試合が再開される。1番、2番がそれぞれ塁に着き、クリーンナップの3番飯田から。
いきなりランナーを背負った状況で、並みの投手なら、焦ってしまうところだ。しかし、そこはある意味では「強心臓」の潮崎。
彼女は、天然でのんびりしている性格にも見えるが、普段からランナーを全然気にしないところがあった。
自分の投球に徹し、3番飯田をサードゴロ。三塁の清原が掴み、塁を踏んで、一塁へ送球。彼女は強肩だ。
一塁もアウトにし、ダブルプレーで一気に2アウトでランナー二塁。
最後は、4番を、今度はツーシームでファーストゴロに打ち取っていた。
「ナイスピッチ!」
戻ってきた彼女に労いの言葉をかけると、満面の笑顔を浮かべていた。
「ありがとうございます。もう一点もあげませんよ」
「スタミナは持つか?」
「あと一・二回は大丈夫です」
逆に言うと、あと一・二回で決めないといけない、か。と考える。
延長13回裏。
我が校にとって、初のタイブレークの経験だが、ルールにより、8番の平野が二塁へ、9番の潮崎が一塁へ立った状況だから、打席は1番の吉竹からになる。
「1番、ファースト。吉竹さん」
お嬢様のような口調、髪型にして、いい意味で、目立つ彼女だが。
「ストライク、バッターアウト!」
しかし、彼女はあっさりと三振していた。しかも、カーブに振り回され、最後は決め球のフォークボールに空振り。
あまり三振が多くない彼女にしては、珍しい。
2番の田辺。
何球か粘ったが、打球はサードへ。先程の我が校と同じような状況になり、相手のサードが塁を踏み、一塁へ送球。しかし、心なしか三塁手の送球がわずかばかり遅れているようにも感じた。
彼女は珍しく、ヘッドスライディングを敢行していた。
決して、俊足ではない彼女。タイミング的には、ほとんどアウトだろう。
ところが。
「セーフ!」
野球の神のイタズラか、まさかのセーフで2アウトながら一・二塁のチャンスのまま、3番の笘篠を迎える。
「天ちゃん!」
「待ってました!」
ご大層に、某アイドルの持ち歌を、応援歌にして、ブラスバンドが演奏していた。
(相変わらず、いいところで打席に回る)
そう思っていると。
カウント2-2と追い込まれながらも、しぶとく三遊間へ打球を飛ばしていた。
相手チームの三塁手が反応するも、グラブからボールをこぼし、その間に笘篠は一塁へ。
ラッキーな出塁となり、2アウト満塁となる。
4番清原の打席。
すでに、この試合、予告ホームランを達成している彼女。
「清原!」
「かっ飛ばせ!」
という、我が校からの必死の声援に応えて、大振りにバットを振る。
いかにも打ちそうに見える、威圧感すら感じるスイングだったが。この時、彼女はあまりにも意外な作戦に出ていた。
「えっ。セーフティーバント?」
ベンチで鹿取が、叫ぶように発していた。
そう、初球からまさかのセーフティーバント。
もちろん、2アウトでバントをすることなど、相手バッテリーも読んではいなかったし、清原は4番バッターだからなおさらだろう。
しかも絶妙なバントが、三塁線のライン際に転がっていた。清原が、バントなど珍しいにもほどがある割には、きっちりバントをこなしていた。
三塁ランナーの潮崎は、俊足ではないが、懸命に本塁に突っ込んでくる。
この場合、三塁手としては、本塁より一塁を狙った方が、確実にアウトを取れると思うのだが。
余程、焦っていたのか、もしくは不慣れなのか、慌てた三塁手がボールを掴み、しかもそこでお手玉をしていた。
つまり、ボールを掴むのに時間がかかり、一瞬、掴んで、すぐにグラブからこぼしていた。
騒然となる場内。ようやく慌てて掴み直し、三塁付近から本塁に送球する相手の三塁手。
そして、
「セーフ!」
本塁塁上で、潮崎が珍しくガッツポーズをして、笑顔を浮かべていた。
4-3。延長13回の死闘は、まさかのサヨナラで終了した。
「素晴らしい! 武州中川高校、見事な連携プレーで2回戦突破! これはこの大会のダークホースになるか!」
相変わらずの、大袈裟なアナウンスが響く中。
礼をして、戻ってきた清原は、ナインに囲まれて、満面の笑顔を浮かべていたが、落ち着いた頃に話を振ってみた。
「私は、同じ守備位置だからな。三塁手が不慣れで、もしかしたら、って思ってたんだ」
清原の意外なほどの観察眼だと思った。恐らく最初から三塁手をよく見ていたのだろう。
後で知ったところによると、この試合直前に、武上電機の正三塁手は怪我をしており、急きょ入ったのが、この三塁手であり、試合内容が示すように、やはり「慣れて」いなかったという。
それを冷静に見ていた、清原の判断が、勝利に繋がっていた。
こうして、無事に2回戦も突破する。
我が校の予想外の快進撃は続いていた。