第68話 ホームラン対決(後編)
5回表は、三人で倒れた我がチーム。西崎のスライダーと真っスラに翻弄されていた。
5回裏。
2番と3番の松永をスローカーブと、緩急をつけたピッチングで、かろうじて抑えた潮崎。
再びランナーなしで、中村を迎える。
俺は今回も、ランナーがいない状況では中村との勝負に踏み切っていた。
四球を除けば通算で、四度目の対戦。だが、その全てで潮崎は中村にホームランを打たれていた。
去年の準々決勝では、1回目に低速シンカーを、2回目にストレートを打たれ、今回は先程、高速シンカーを打たれていた。
潮崎は、本来簡単にホームランを打たれるようなバッターではないし、被本塁打も低かったが、中村だけは別格だった。
同時に、この時、俺はもちろん知らなかったが、中村はその日、「絶好調」だったらしい。
初球からフォークで入る潮崎。中村はバットを振って、叩きつけるようなバッティングだったが、レフト線に切れてファール。
2球目は、外のスローカーブ。見送ってボール。
3球目は、緩急をつけたストレートが低めに入る。先程のカーブとの球速差が20キロ以上はある。
それでもバットを振った中村。
今度はライト線に切れてファール。
(投げるところがないな)
正直、ベンチから見ていても、そう思うくらい、中村はどの球でも反応していた。
そして、危惧は現実のものとなる。
1球外した後、5球目。
ツーシームが内角の低めに入っていく。普通ならそうそう打たれないはずのコース。
ところが、これを予想していたかのように、中村はバッターボックスぎりぎりに一歩踏み込んでフルスイングしていた。
―ガキン!―
強烈な金属バットの音を残して、打球は引っ張られるように、レフト線へ飛んで行った。
運悪く、風はライトからレフトへ流れていた。その流れに乗るように、レフト線のポール際付近まで流されながらも、スタンドイン。
中村は、笑顔でバットを放り投げて、ダイヤモンドを一周していた。
2-2。
ピッチャーとバッターには「相性」というものがあるが、もしかすると潮崎は中村に対しては、最悪に相性が悪いのかもしれない。
あるいは、中村が天才的すぎるのか。
あっさり同点に追いつかれる。
だが、試合はまだまだわからず、流れがどちらに傾いているのかすらわからなかった。
続く6回は表も裏も、両投手が粘りの投球を見せる。6回表に先頭バッターの辻が2ベースヒットで出塁。
なんだかんだで、打撃に関しては絶好調の辻が活躍するも、後続は続かず凡退。
6回裏は、潮崎が四球を出すも、後続を抑えていた。
そして、7回表。
我が校の攻撃は7番の清原から。
すでに中村には2本のホームランを打たれ、我が方はこの清原が1ホームラン。
こんな意外な形で、ホームランの応酬が始まるとは、俺も予測していなかった。
清原に対しては、さすがに西崎も慎重に投げていた。
先程、まさかのデッドボール気味の球をホームランにされており、動揺もあったかもしれないが、コーナーを丁寧に突く投球術が光っていた。
初球からスライダーで空振りを取り、2球目は外のカーブ。清原は見送ってボール。
3球目は、フォークボールを空振って、早くも追い込まれていた。
4球目。
外角気味にカットボール。西崎の決め球だ。
しかし、この時、たまたまなのか、いつもよりも変化が少ないカットボール、というよりも直球に近い形になった。
それがストライクゾーンからボールゾーンに抜けていく。
―ガアン!―
叩きつけるようなバッティングだった。
ある意味、本来の清原らしい、「力」で持っていく強引にも、豪快にも見えるフルスイング。
だが、それが功を奏したのか、力負けせずに打球がぐんぐんセンター方向に伸びて行った。
気がつけば、綺麗な放物線を描きながら、センターの頭上を越え、そして、バックスクリーンに直撃していた。
「おおっ!」
「ホームラン!」
ベンチと三塁側の我が校のスタンドから、大歓声が轟いていた。
3-2と勝ち越しに成功。
力で持っていく、本来の清原のホームランだった。
外のボール球気味の球だったが、それでも復調の兆しを見せ始めた清原。
一方、西崎はさすがにショックだったのか、肩を落として、表情を曇らせていた。彼女にとっても、想定外だったのだろう。
試合は意外な形で、我が校が勝ち越しをし、このホームラン対決も同点のまま終盤に向かっていく。
続く7回裏。
意外な形で試合が動く。
1・2番を抑えた潮崎は、3番の巧打者、松永に高速シンカーを弾き返され、ノーアウト一塁で、4番の中村を迎える。ここを敬遠し、ノーアウト一・二塁で5番バッターとの対戦。
野球強豪校の主軸を担っていたこの5番バッター。
我々の方が、甘く見ていた節があった。
配球を読まれたかのように、3球目の、変化が鋭いはずの低速シンカーを狙いすましたように、右中間に運ばれ、あっという間に3-3の同点に追いつかれていた。
潮崎の球種では、最も変化量が多いはずの低速シンカーですら打たれていた。
そして、潮崎の球数はすでに100球を越えていた。
(替えるか)
俺は、決断する。
潮崎の弱点、それはスタミナの無さ、だとようやく認識し始めていた。元々、女子野球は多くの試合で7回制が多い。
それが9回までやるとなると、スタミナの点で不安要素が出てくるし、潮崎は100球近くなると、球威が落ちてくる。
迷わずに工藤にスイッチする。
打たれた潮崎は、それでも、
「中村さんともっと対戦してみたかった」
と言っていたが、さすがに相性が悪い、と俺は心の中で思っていた。
工藤は、満を持して登場し、張り切ってマウンドに上がると、キレのいいストレート、ムービングファスト気味の癖球と、決め球のフォークボールで、後続をきっちり抑えて帰ってきた。
「さすがだな」
そう褒めたのが、マズかったのかもしれない。
「いやー、照れるっすねえ」
そう語る工藤の表情がいつも以上に緩んでいるように見えた。後で思い返すと、それが彼女の油断に繋がったのかもしれない。
8回は両投手ともに粘り、得点を与えず。
そして、運命の最終回を迎える。
9回表。
6番の笘篠から。
この試合、3打数1安打、ファインプレーもしていて、まずまずの復調の兆しを見せていた彼女だったが。
速いストレートと変化するスライダーについて行けずに追い込まれた後、決め球のカットボールにあえなく三振。
やはりまだスランプ気味だったのか、それとも西崎がすごすぎるのか。
そして7番清原を迎える。
この中村 対 清原のホームラン対決も最後になるだろう。
しかも西崎は、ここに来てまだ球威が衰えていなかった。その投球数はすでに120球を越えていたが、まだ球威が落ちていなかった。
スタミナの面から言っても、明らかに潮崎より上だった。
しかも、前の2回でボール球をホームランにされているから、さすがに警戒し、今度はストライクゾーンだけで勝負してきた。
速いストレートと、カットボールにたちまち追い込まれ、最後は緩いカーブにタイミングを狂わされて、あっけなく三振。
そして、最終回。
9回裏の春日部共心の攻撃。
2番と3番の松永をストレートと同じフォームから繰り出されるフォークボールで仕留めた工藤が、初めて対戦したのが、4番の中村。
だが、その勝負は実にあっけなかった。
潮崎と中村のような、息詰まるような攻防を見せる間もなく。
初球の120キロ近いストレート。
恐らく自信を持って、工藤が渾身の力で投げ込んだものだろう。
それを中村は、体全体を使って、体を折り曲げるようにして、腰を捻ってフルスイング。
―カン!―
まるでピンポン玉を弾くかのように、あっさりと打球は空高く舞い上がっていた。
というより、もう打った瞬間に俺は「それ」とわかってしまった。
ライトスタンドに突き刺さるようなホームラン。
サヨナラホームランだった。
一塁側スタンドが、割れるような大歓声に包まれ、右手でガッツポーズを取りながら、ダイヤモンドを一周する中村。
そして、マウンド上で、蹲る工藤が対照的だった。
常に強気で、自分に絶対の自信を持つ、自信家の工藤にとって、恐らく初めて味わったまともな「屈辱」だったのかもしれない。
だが、俺は見誤ったことを後悔した。
やはり中村は「格」が違ったのだ。
3-4で敗戦。9回サヨナラ負け。
こうして、2年目の夏もまた、甲子園という目標を果たせないまま、終わる。
同時に、これは3年生にとって最後の夏であり、羽生田と辻の引退をも意味していた。