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逆境のダイヤモンド少女たち  作者: 秋山如雪
第6章 再びの夏
55/124

第55話 謎の投手(後編)

「マジかよ。あの吉竹が、簡単にアウトとは……」

 ベンチでは、清原をはじめ、予想外の展開に声が沈んでおり、雰囲気が暗くなっていた。


 だが、刺されたはずの吉竹は、意外なほど涼しげな表情を見せていた。

 心なしか微笑んでいるようにも見えるが、少し薄気味悪いくらいの、微笑を浮かべていた。


 それは、彼女の「闘争心」に火をつけたのだ、と俺は察知した。

「吉竹。残念だったな」

 試しにそう声をかけると、


「残念? それは違いますわね、監督さん。たかが1回の盗塁死ごときで、このわたくしの足を止めたと思ったら、大間違いですわ。それにやり方はいくらでもありますの」

 自信満々に声を張り上げてきた。


 やはり俺の見立て通り、彼女は面白い。プライドが高く、自信家で、心に常に熱い闘争心を持っている。

 ある意味では、彼女は1番バッター向きで、切り込み隊長役に相応しいと俺が思ったのは、こういう性格が原因だった。


 その回は結局、3人で抑えられてチェンジするものの。


 続く7回表。野球では俗に「ラッキーセブン」と呼ばれる回。チャンスが来た。

「ボール、フォワ!」

 ナックルボーラーの吉田の投球に、かげりが見えてきたのだ。


 彼女は4番の清原、5番の石毛に連続四球を与え、ノーアウト一・二塁。

 そもそも、ナックルボールは、コントロールが非常に難しいのだ。


 故に、四球が多くなり、そこに付け入るチャンスは生まれるし、コントロールをミスったら、下手をすればただの棒球にすらなる。


 続く6番の工藤は、残念ながら低めのナックルに手を出して、キャッチャーフライ。1アウト一・二塁で7番の辻を迎える。


 例の「羽生田の辻天気予報」によれば、今日は「まあまあ」の日だそうだが。

 本職のセカンドではなく、慣れないキャッチャーというポジションをこなしながらも、打撃に関しては、彼女はセンスがあった。


 何よりも元々、大振りしない、ボールをよく見るスタイルのバッターだ。


 吉田はフルタイム・ナックルボーラーとはいえ、まだ経験値の少ない1年生。表情に多少、焦りの色が見えていた。


 その打席ではボールが先行し、3ボール1ストライク。ここで四球を出せば満塁になるという焦りもあったのだろう。


 完全にミスをして、ナックルがすっぽ抜けた。

 ただでさえ遅いナックル。ただの棒球に近い球がストライクゾーンの真ん中に近い部分に入ってきた。


 それを見逃す辻ではなかった。


―キン!―


 綺麗な金属バットの快音が響き、打球は右中間を目掛けてぐんぐん飛んでいた。ライトとセンターが追いかけるも、追いつけない。


 ボールは右中間を深々と破り、二塁ランナーの清原が長躯して一気にホームイン。続いて一塁ランナーの石毛まで還ってきて、一気に2-2の同点に追いついていた。


「辻ちゃん、ナイス!」

「辻先輩! ナイバッチ!」

 ナックルに苦戦し、沈んでいたベンチが盛り上がり、数少ない三塁側に駆けつけた我が校の応援、ブラスバンドが盛り上がる。


 そして、これが分岐点になった。


 続く8回表。

 その回、再び1番の吉竹からの打順だった。


 すでに動揺しているのか、1年生の小柄な吉田は、汗をかいているようだった。

 吉竹は四球を選び、ノーアウト一塁。

 6回と同じ状況になり、俺は盗塁を指示していなかった。


 一方で、相手バッテリーには、もちろん吉竹のデータがあり、盛んに警戒しており、何度も牽制球を投げてきていた。


 だが、吉竹はまるで予想していたかのように、きちんと帰塁しており、これは盗塁は難しいと、俺でさえ思っていた。


 ところが。


「あっ!」

 思わず、ベンチで石毛が叫んでいた。


 2番の羽生田の打席。ピッチャーの吉田が投球し、2球目にボールを受けた中嶋が、少し山なりにボールを返球していた。


 それは、1年生に対する配慮だったのか、癖だったのかはわからなかったが。


 その瞬間に、吉竹が走っていた。


 そして、相手の意表を突いたこのスチールは成功し、慌てていた吉田が二塁に送るも、セーフとなって、ノーアウト二塁。


「ディレードスチールか」

 俺の声に、その石毛が反応する。


「何ですか、それ?」

「通常の盗塁とは違い、相手の隙を突く盗塁のことさ。吉竹の奴、いつの間に学んだんだ」


 ディレードスチールは、相手の意表を突く、通常とは違うやり方の盗塁で、様々なパターンがあるが、吉竹がやったのはそのうちの一つだった。


 同時に、これは強肩のキャッチャー、中嶋の肩を防ぐ手段の一つでもある。


 羽生田は、難しいナックルのボールに食らいつき、何とか3バントまでしながらも、吉竹を三塁に送り、1アウト三塁というチャンスが広がる。


 押せ押せムードの中、笘篠は元々、目がいいためだろうか。四球を選んで1アウト一・三塁。


 さらに「ブンブン丸」の4番の清原までもが、四球を選択し、1アウト満塁となる。


 ここでさすがに相手ベンチが動き、ナックルボーラーの吉田が、ついに降板となる。


 だが、

「かっとばせー、石毛ちゃん!」

「英梨ちゃん! 頼んだよ!」

 いつも元気がいい羽生田に続き、怪我で出場できないエースの潮崎までもが声を張り上げる中。


 継投でマウンドに上がったのは2年生のスリークォーター気味の速球投手だった。

 だが、球がそこそこ速い以外は、キレ味のあまりよくないスライダーと緩いカーブしか持っていないようだった。


 1ボール2ストライクと追い込まれながらも、4球目。

 石毛のバットから快音が響く。


 外角の速球を逆らわずに綺麗にライト線へ流し打ち。


 一・二塁間を破って、三塁ランナーの吉竹が還ってきて、3-2とついに勝ち越しに成功する。


「ナイスラン、吉竹ちゃん!」

「愛衣ちゃん、すごい!」

 ベンチに戻ってきた、立役者の吉竹をナインがハイタッチで出迎える。


 なおも、1アウト満塁で、打席には1年生の工藤。


 投球だけではなく、打撃でも非凡な才能を持つ新1年生にして、俺が自らスカウトした彼女。


 やはり一味「物」が違った。


 しっかりボールを見て、相手に投げさせた上で、カットし、好球を待っていた。


 フルカウントから6球目。相手ピッチャーはここで四球を与えたくない心理から、ストライクカウントを取りに行って、コースが多少だが甘くなり、それでもインハイに速球を投げてきた。


 その難しい球を、押っ付けるようにして引っ張った彼女の打球が、レフト線を襲う。


 レフト線を破って、長打コースになり、レフトがボールを追って、返球するまでに三塁ランナーの笘篠がホームイン。


 さらに鈍足のはずの清原までもが走っていた。


 三塁コーチャーズボックスに入っていた、伊東が手を振り回す中、レフトの返球が遅いことに賭けるように走る清原。


 レフトの肩と清原の足の勝負になった。


 砂煙が上がり、大柄なランナーの清原と、相手キャッチャーの中嶋が交錯する。

 判定は正直、微妙に思えた。


 だが。

「セーフ!」

 球審が両腕を真横に開いていた。


「ナイス、工藤さん!」

「ナイバッチ!」


 一気に5-2となる。


 これで、「試合の流れ」は決まったかに思えた。


 その後の工藤は、時折、四球を与えるものの、危なげない投球で相手打線を抑えていた。


 ところが。

 9回裏。


 野球の試合は、9回裏3アウトまで何が起きるかわからない。


 秩父第一の打順は、3番からのクリーンナップだった。


 公式戦で初の9回を投げて、さすがに疲労が出てきたのか。この回の工藤は球威が落ちてきていた。球数は120球を越えていた。


 そこを狙われるように、速球を弾き返され、ノーアウト一塁で、相手の4番を迎える。


 4回にその4番に2ランホームランを打たれていた工藤。

 ここで俺は、敬遠を指示し、ノーアウト一・二塁となる。


「選手交代。ピッチャー、羽生田。センターは佐々木」

 俺はタイムを取り、そう告げる。


 初めての公式戦出場となる佐々木。

 元・バレー部のエースで長身。運動神経はいいが、野球に関してはまだ未知数だったが、試してみたいと思った。


「ついに出番ですね。がんばります!」

 その佐々木が、意気揚々とセンターに走り、センターの羽生田とグータッチをしながら交代。


 マウンドには羽生田が上がり、工藤がとぼとぼとベンチに帰還。


「何すか、監督サン。あたし、最後まで行けるっすよ」

 予想通りというか、生意気に彼女は応じてきたが。


「いいから休んでおけ」

 それだけを告げると、渋々ながらも、彼女は従って、ベンチに腰を下ろした。他の部員とは衝突することが多い、厄介な性格の彼女だが、俺の言うことなら聞いてくれる。そこを逆手に取った。


 このピンチの状態で、羽生田。

 正直、不安はあった。


 去年から投げているとはいえ、やはり潮崎や工藤に比べれば、彼女の投球は劣る。

 だが、潮崎も工藤も使えない今の状況では託すしかない。


 唯一の希望は、相手キャッチャーが、「辻」だったことだ。

 つまり、二人は仲が良くて、恐らく「息が合う」。そこに希望を見出そうとした。


 そして、予想外のことが起こる。


「ストライク! バッターアウト!」

 続く5番バッターは、データによると、長打力があり、OPSも高い。長打率も出塁率も悪くなかったのだが。


 辻の配球がいいのか、それとも辻を信頼している羽生田がいい球を投げたのか。

 緩急をつき、さらに決め球のスプリットのキレがよく、バットがボールの上を通過していた。


 6番バッター。

 2アウトながら一・二塁。まだ試合はわからないまま。


 初球からカーブを投げて空振りを誘うもボール。

 2球目は緩急をつけて速いストレートで幻惑するように、外角低めに投げる。振り遅れてストライク。

 3球目はスプリットだったが、わずかに外れてボール。

 4球目は外のカーブが外れてボール。


 5球目。

 外角のツーシームだったが、打ち返した打球が勢いよくセンターに打ち上った。


 公式戦初の守備に就いた1年生の佐々木が構える。

 俺の予想通りというか、彼女は足が速かった。チーム一の俊足の吉竹には劣るものの、羽生田クラスの俊足さは持っているようで、あっという間にボールの落下点にたどり着き、難なく捕球。


 そのままサードにボールを返球した。

 さすがに羽生田のような「鉄砲肩」を持ってはいなかったが、それでも制球は悪くなく、初心者とは思えないほどの正確なボールがサードの清原のミットに収まる。


 もっとも、タッチアップしたランナーは刺せなかったが、それでも及第点以上の評価を与えたいと思った。


 2アウト一・三塁。3点差があるとはいえ、まだわからない。

 野球は「9回2アウトから」とも言われるほど、最後の最後まで気が抜けないスポーツだ。


 打席には7番バッター。そして、この7番が中嶋だった。


 中嶋綾。秩父第一高校の正捕手にして、2年生。例の花崎実業の堀監督からもらったデータブックでは、まだ1年生の頃のデータだったが、それでも「埼玉一の名捕手候補」と書いてあった。今や「候補」ですらない存在かもしれない。


 抜群のリード、強肩、捕球能力、試合勘、配球、そしてリーダーシップ。どれを取っても素晴らしい素質があったが、打撃だけはイマイチらしく、そのため、この7番を打っていた。


 だが、一発を打つパワーはあるらしく、警戒すべき相手だった。


 辻・羽生田の急造バッテリーがどこまで持つか。正直、キャッチャー対決では明らかにこちらが不利。


 ましてや、相手がキャッチャーなら、向こうもこちらの心理を読んでくる。下手をしたら、ここで配球を読まれて、3ランホームランで同点なんてことにもなりかねない。


 固唾を飲んで見守るナインたち。


 ところが。

「デッドボール!」


 いきなり初球がすっぽ抜けるようにして、その中嶋の肩に当たり、死球で2アウト満塁。


「大丈夫かなあ」

 さすがに少し心配になってきた俺が、不意に呟いていると。


 それを見ていた、本来のキャッチャーが声をかけてくれた。

「大丈夫ですよ、先生。羽生田先輩と辻先輩は、息が合ってますからね。もしかしたら、これも計算のうちかもしれません」

 微笑みながら、彼女はマウンドを見守っていた。


 もし、本当にこれが警戒すべき中嶋を封じるための、「策」だとしたら、大したものだが、それで満塁のピンチにしてしまうのもどうかと思うのだが。


 8番バッターが打席に入る。

 一塁側スタンドからは、盛んにブラスバンド部が派手な応援曲を奏でている。


 初夏の眩しい陽射しが、中空に上がってきており、俺は汗を拭う。その日は、風は強いが暑い1日という予報だった。


 そして。キャッチャーフライ。ファウルゾーンに舞い上がる平凡なキャッチャーフライだった。


 これでようやく終わった。と思ったら。


 辻がボールを落としていた。

「やっぱ、ダメか。辻じゃ」

 嘆息する俺に対し、正捕手の意見は全然違うものだった。


「違いますよ、先生。あれは太陽の光が当たって、眩しいから落としたんですよ。この時間帯のキャッチャーにはよくあることです」

 もちろん伊東だった。普段からキャッチャーをやっている奴の意見というのはやはり貴重だった。


 幸い、ファールにカウントされるから、まだわからない。


 5球目。引っ張った打球が、セカンドを襲う。ライナー性だが、わずかにバウンドしており、勢いがありながら転がっていく。


 不規則に変化する可能性もある難しい打球だ。

 セカンドは新1年生の田辺。辻の代わりに守っているが、一応はソフトボール経験者だ。


 その田辺が、危なげなくミットにボールを収め、ファーストの吉竹に送球する。

 相手バッターはヘッドスライディングを敢行する。


「アウト!」

 ようやく試合は終わりを告げた。


 5-2。

 こうして、ナックルボーラーを擁し、我が校の合併先候補でもあった、秩父第一高校を破って、3回戦に進出する。


 夏は、まだまだ始まったばかりだった。

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