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逆境のダイヤモンド少女たち  作者: 秋山如雪
第6章 再びの夏
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第53話 エース潰し(後編)

 4回裏。

 相手校の変則フォームのピッチャーに苦戦していた我が校。

 初回からずっと三者凡退に抑えられており、一巡して1番の吉竹からだった。


 こういう場面。よくセーフティーバントを試みる彼女だが、その日は普通に打っていた。


 というよりも、一巡でボールを見極められるようになったのかもしれない。恐ろしいほどの成長速度とも言えるが。


 ストライク先行で、1ボール2ストライクと追い込まれてからの4球目。

 スローカーブにタイミングを合わせ、思いっきり振り抜いていた。


 左バッターの彼女は、外のスローカーブを綺麗な流し打ちでレフトへ打った。しかもそれがレフト線を深々と破り、二塁打になる。


 続く2番の辻。

 例の「羽生田情報」によると、今日の辻は「調子がいい」らしい。


 慣れないキャッチャーというポジションでは、配球ミスもあった彼女だったが、やはりボールをよく見て、打つ技術には相当長けている。


 前の打席の吉竹へのボールをネクストバッターズサークルでよく見ていた彼女は、3球目の甘く入ったスライダーを捉えていた。


 引っ張った打球は、吉竹とは逆にライト線に伸び、右中間を破るタイムリー二塁打になり、1対1の同点に追いつく。


 試合は、どうなるかわからない状態だった。


 6回裏。

 今度は意外な人物が活躍する。


 8番の田辺が四球で出塁し、9番バッター。

 先発の潮崎から代わった工藤。


 田辺と共に1年生だが、俺が自らスカウトした、規格外の才能を持つ1年生ピッチャー。打撃に関しても、俺の予想を上回っていた。


 相手ピッチャーの球に苦戦し、大振りでスイングして空振り、簡単に2ストライクまで追い込まれていた。

 だが。


 1球ボールを挟んだ後の4球目。それまでの空振りをしていたスイングとはまるで雰囲気が違うような鋭い打撃を見せた。


 相手のストレートを捉えた打球は、左中間を大きく破っていた。

 一塁ランナーの田辺が三塁まで到達。工藤は二塁を陥れる。しかも、相手校のレフトがボールのクッション処理に戸惑い、ボールをグラブから落としていた。


 それを見た田辺が一気に還ってきて、逆転に成功。


(工藤の奴。打てない『演技』か)

 俺にはそう映った。彼女は、わざと大振りをして「打てない」アピールをしておいて、相手を油断させてから打っているように見えた。


 そうだとしたら、相当な「策士」なのだが、高校に入って半年も経っていない奴がやる技術とは思えない。


 ともかくようやくベンチも盛り上がりを見せ、これで「流れ」が来る。

 そう思った。


 7回表の相手の攻撃。

 工藤が先頭の3番を四球で歩かせる。

 そして、再度、あの岸川を迎える。


 1球目は外角に逃げるスライダー。見送ってボール。

 2球目はフォークボールを岸川が空振り。

 3球目は内角の胸元ギリギリのインハイにストレート。岸川がのけ反るも、ギリギリでストライク。ほとんどデッドボールに近いくらいの球だ。

 追い込まれた岸川は、全く表情が変わっていなかった。


 そして4球目。

 対角線上のアウトローにストレート。


 4回と同じように、弾き返した打球が工藤の足元を襲う。やはり同じように軸足の、今度は工藤の左足を狙っていた。


 だが。

 信じられないことが起こっていた。


 気合いの声と共に、工藤は、まるで地面を踏みしめるようにして、大地にその左足を降ろしていた。


 その足の下にボールがあって止まっていた。工藤は、わざわざ上げた右足を一度下ろして、軸足の左足を踏みしめる動きを見せていた。


 恐ろしいほどの反射神経だ。サッカーならともかく、野球のボールははるかに小さいのに、彼女はボールを瞬時に上から足で抑えつけたのだ。野球のルール的には、ボールを止めるために体を使うことは違反ではないので、足を使っても一応は問題がないのだが、普通はこんな芸当はまず出来ない。


 そのまま、工藤はまるで何でもないことのように、足の裏のボールを拾って、素早く一塁に送ってアウト。


 だが、事はこれだけでは終わらなかった。


 清原だった。

 4回の件では、被害を受けて、岸川に食ってかかっていた彼女。それでも恐らくは、今まで我慢していたのだろう。

 血の気の多い彼女が、ベンチに戻ろうとしている岸川に向かって、おもむろに歩いていたのだ。こうなると野球のルールも何もあったものではない。放っておくと喧嘩になりかねない。


 その眼が完全に座っていたからだ。


(ヤバい!)

 これは高校野球。それも女子の野球のはずなのに、これではまるで一昔前のプロ野球のように「乱闘」になってしまう。


 しかもそれだと、完全にこの試合は「没収試合」になり兼ねないし、そもそも礼儀を重んじる高校野球ではそんなことは前代未聞の珍事だ。


 慌てて、俺は「タイム」を告げ、控えの佐々木を、急いで清原の元に向かわせる。ついでに工藤の様子を見てこい、と告げて。


「りょーかいです!」

 特徴的なシニョンの髪を揺らしながら、彼女は清原と工藤の元へ向かった。


 急いで駆けつけた佐々木によって、清原は何とか怒りを鎮めたようで、三塁に戻り、佐々木はマウンドの工藤の元に寄ってから戻ってきた。


「清原は大丈夫か?」

「はい。ちょっと興奮してましたけど、何とか落ち着かせました」


 事も無げにそんなことを笑顔で報告する佐々木。だが、あの喧嘩っ早い清原をなだめたというのも、不思議で、1年生とは思えない度胸が彼女にはあるのかもしれない。彼女は一体、どんな「魔法の言葉」を使ったのか、謎だった。


「工藤は?」

「あー、そっちはですねー」

 突然、頬を緩めて、意味ありげに俺に微笑みかけた。


 何かあるかと思っていたら。

「『監督サンに心配されるのは、個人的にはめっちゃ嬉しいっすけど、全然問題ないっすよ。もう1点も取らせないっす』だそうですよ」

 わざわざ工藤のしゃべり方の物真似までして、教えてくれるのだった。


 初対面の印象では大人しそうに見える子だったが、佐々木は意外なほど「お茶目」なようだった。


「いやー、あの気難しい工藤さんに好かれるとは、やりますね、監督」

 しかも、茶目っ気たっぷりに、こちらを見てほくそ笑んでいる。


 治療を終え、伊東と共に見守っていた潮崎は、つまらなさそうにこちらを見守っていたが。


 結局、その言葉通りに後続を抑え、8回も9回も三振とゴロで打ち取った工藤は、見事に潮崎の代わりを務めてしまった。


 対する我が校は、8回裏に相手の守備の乱れにつけ込み、好調の2番の辻がタイムリーを放ち、終わってみれば3対1で初戦を突破してしまった。


 試合後。


「ナイスピッチ、工藤。っていうか、ボールを足で抑えるとか、すごいな」

 純粋に思ったことを口に出して彼女を褒めていると、


「そんな褒められたら照れるっすよ、監督サン」

 あのツンツンの工藤が、珍しいほど笑顔で俺に応じるのだった。


 佐々木の言う通り、俺は工藤個人からは好印象を持たれているらしい。他の部員の言うことは聞かないことが多いくせに、俺の言うことは素直に聞いてくれる。まあ、自分がスカウトした立場だから、嫌われるよりはずっとマシなのだが。


 一方の潮崎の方はというと。

「ちょっと腫れてますけど、打撲だと思いますよ。念の為に、医者に診てもらった方がいいと思いますけど」

 付き添っていた伊東が、報告してくれた。


 改めて、潮崎の足を見せてもらうと、確かに患部が痛々しいほどに紫色になってはいるが、骨には異常がないようにも見える。

 素人目ではその程度しかわからないが。


「潮崎。伊東が言うように、医者に診てもらえ」

「はい。わかりました」

 さすがにこういう事情だから、彼女は素直に頷いてくれた。


 だが、これで次の試合の先発は、必然的に決まってしまうことになる。


「潮崎がこれでは、仕方がない。次の試合も任せたぞ、工藤」

 そう告げると、指名された彼女は露骨に喜色を現し、


「了解っす。絶対、監督サンの期待に応えて見せるっす」

 工藤は満面の笑みを浮かべるのだった。


 それを横目で見て、口元をニヤニヤと緩めている佐々木、面白くなさそうに目を背ける潮崎が対照的だった。


 ともかく、1回戦は無事に突破した。

 だが、次の試合の相手が問題になった。


 秩父第一高校に決まったのだ。


 そう。去年の秋に廃校をかけた一戦で男子硬式野球部と戦ったあの高校。その時、確か相手チームのエースの桑田が、「女子野球部がある」と言っていた。


 その秩父第一高校の女子硬式野球部が、大きな「壁」として立ち塞がることになる。


 早くも「苦戦」の予感がしていた。

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