第38話 ハニートラップ作戦
俺は、伊東にバッティングセンターの球を打つコツを教える。
バッティングセンターの球は、専用の軟式球を使っている。それでも速さに目を慣らすためには、役に立つだろうが、俺としてはとても彼女たちが一朝一夕で、145キロの球を打てるようになるなど、思っていなかった。
半ば、諦め気味に、
「お前に任せる」
と伊東に言ったら、
「先生はどこへ?」
当然聞かれた。
俺は、ほくそ笑みながら、
「勝つための作戦を練りに行くのさ」
とだけ答えて、彼女たちを見送った。
向かった先は、学校の職員室だ。
俺の席の隣に彼女は運良くいた。
「渡辺先生」
正直、彼女は苦手な部類の人間だったのだが、勝つためにはそうも言ってられない。
「あら、森先生。聞きましたよ。秩父第一の男子と試合をするんですって?」
相変わらず、おしゃべり好きで、耳が早い。
だが、俺は意を決して、彼女に声をかける。
「渡辺先生。お願いがあるんですが」
「お願いですか? 珍しいですね。何ですか?」
「秩父第一高校の偵察に行ってもらえますか?」
「偵察ですか?」
「ええ」
高校野球では、もちろんこういうことは良くある。他校の試合に偵察に行って、相手高校のチームの癖、ピッチャーの癖などを盗んだり、相手を観察するのが目的だ。
だが、普通にやっても面白くないし、逆に警戒されてしまうだろう。
そこで、俺は思いきって「渡辺先生」を使うことにした。
「それも、変装して、偽名を使って行って下さい。何か聞かれたら秩父第一高校の男子硬式野球部のファンという触れ込みでかわして下さい」
そう口にすると、渡辺先生は、その流麗な大きな瞳を輝かせて、
「何だか面白そうですね!」
乗り気になっていた。
作戦を説明する。
渡辺先生が、我が校の女子硬式野球部の顧問だという情報は、もちろんネット情報から相手には露見している。
そこで、彼女には変装してもらい、偽名を使って、秩父第一高校の練習試合に偵察として、潜入してもらう。
幸い、翌々日に、秩父第一高校の男子硬式野球部の練習試合が所沢航空記念公園野球場で行われることになっているという情報を掴んでいた。
彼女には、男子硬式野球部の練習を堂々と見てもらい、相手チームのあらゆる癖、情報、弱点を探ってきて欲しい。
出来れば、彼らに直接、接触して、情報を引き出して欲しい。それが作戦だ。
ある意味、露見してしまえば、相手に警戒されるから、これは一種の「賭け」でもあった。
だが、渡辺先生は、その綺麗なロングの黒髪をかき上げて、
「任せて下さい」
自信満々に言い放っていた。
俺としては、美人で人目を引く彼女を使って骨抜きにして、相手チームの情報を全て引き出して、丸裸にしたかった。
それでなくても、圧倒的に不利な状況だ。勝つためには、何でもやる。
題して「ハニートラップ作戦」。
彼女は、準備をして、翌々日の土曜日に行われる、秩父第一高校の男子硬式野球部の練習試合に潜入すると言ってくれた。
そして、翌々日の土曜日。
これは後で知ったことだが、所沢航空記念公園野球場では面白いことが起こっていた。
通常、偵察というのは、スタンドから直に見たり、カメラを使って撮影したりして、相手のチームの癖を探ったりするのだが。
渡辺先生は、いつものようなスーツ姿ではなく、ラフな私服姿に、伊達眼鏡をかけ、髪型まで変えて、職業はOL、名前も「金森」と名乗り、試合前に球場前にいた、秩父第一高校の男子硬式野球部員たちに、直接、声をかけたのだという。
結果、
「やっぱり女慣れしてませんね。顔を赤くしながら、色んなことを教えてくれましたよ。可愛いですね」
週明けの月曜日に聞いてみると、渡辺先生が、得意げなドヤ顔を向けて、話してくれるのだった。
その情報によると、秩父第一高校の男子硬式野球部員は、約30名。
うち、スタメンクラスで特に有力な選手は、主将で2年の一塁手の原、同じく2年の三塁手の篠塚、同じく2年のエースの桑田の3人。
さらに、どこから得た情報なのか、とても重要で、有益な情報を彼女は手に入れてきてくれた。
それは「癖」だった。
「桑田くんは、最速145キロのストレートとカーブ、スライダーを武器にしていますが、グラブの癖で球種がわかります」
「マジですか?」
「ええ。グラブの小指部分の膨らみが小さい時はストレート、大きい時はスライダーか、カーブです」
さらに、ランナーがいる場面では、足幅が狭くなったら、牽制。広くなったら、牽制なしという癖もあるという話だった。
情報はさらにあった。
「原くんは、キャプテンで一塁手。強打の4番バッターですが、インコースに弱いですね」
「篠塚くんは、三塁手。巧打の3番バッターですが、落ちる球に極端に弱いです」
相手主軸の弱点まで、暴露されていた。
本当なら、とてつもなく有益な情報になるが、もし嘘を教えられていたら、全部がパーになる。
「本当ですか? どうしてわかったんですか?」
念の為に聞いてみると、
「本当ですって。直接、その子たちに聞きましたから」
と、自信満々に答えが返ってきたが、一体どういう「色仕掛け」をしたのか気になるくらいだった。
男子硬式野球部なんてのは、大抵練習漬けだから、「女慣れ」していない。そこを狙った作戦だった。
さらに、この3人以外のスタメン、準スタメンのメンバーのあらゆる情報、苦手なコースまでほぼ完璧なデータが上がってきた。
俺は予想外の戦果に驚き、渡辺先生が持ってきてくれた、情報を書き記したタブレットに見入っていた。
「すごいですね。ありがとうございます」
頭を下げると、
「がんばって下さいね。私も、この学校がなくなるのは寂しいですから。当日は私も応援に行きます」
笑顔の彼女が少し眩しく思えた。
苦手だと思っていた渡辺先生だが、意外なところで、優秀だと再認識することになる。
だが、これでも俺としてはまだまだ不安だった。
なので、彼女たちには内緒で、ある情報筋に当たることにした。