第26話 投手戦と打撃戦(中編)
6回表。武州中川高校の攻撃は、1番吉竹からの好打順だった。
それまで散々、今井のフロントドア、バックドアの投球術に翻弄されてきた彼女。第3打席だった。
セーフティーバントだった。得意の足を使った攻撃だ。
だが、相手校にもデータは行っているようで、警戒されていたため、ファーストとサードが前進してきていた。
それを読んでいたのか、吉竹のバントは、押し込む形の「プッシュバント」だった。裏を欠いた形になり、打球はファーストの横をすり抜けて転がり、ノーアウト一塁。
2番の笘篠もバントで送る。
が、これも読まれていたらしく、サードが前進してきて捕球。二塁にボールを送った。
完全に失敗だと思われたが。
「セーフ!」
きわどいタイミングながらも、あらかじめ走っていた吉竹の俊足が勝り、ノーアウト一・二塁となる。
初めて得点圏にランナーを置き、チャンスが来た。
続く3番の辻。羽生田情報によれば、今日は「晴れ」、つまり好調だということだった。
彼女はボールをよく見て、引きつけて打つスタイルをしているが、この日はそのスタイルが生きた。
相手ピッチャーは、丁寧にコースを突くタイプで、ストライクからボールに入るシュートを見極めて、四球で出塁。
ノーアウト満塁で、清原を迎える絶好のチャンスになった。
だが。
キャッチャーが立った。敬遠の構えだ。
「えーっ。勝負しないの?」
エースの潮崎が大きな声をベンチから上げていた。
通常なら、ありえない戦略かもしれない。何しろここで敬遠すれば確実に1点を献上することになる。
だが、逆に考えれば強打の清原を避けて、1点を献上するだけで済む。恐らく相手校も清原の強打をあらかじめ警戒していたのだろう。
苦々しい表情で、相手ピッチャーを睨んでいた清原だが、バットを振ることなく、一塁に歩き、思わぬ形で先制点が転がり込む。
だが。
続く5番の石毛は、バックドアのシュートを決め球に決められ、空振り三振。
6番の羽生田はシンカーを内角をえぐるように投げられた後、体勢がくずれた羽生田が外のストレートを引っかけて、ボテボテのショートゴロ。
あえなくダブルプレーに終わり、最大のチャンスにわずか1点しか取れなかった。
ともかく欲しかった先制点は、入ったものの7回裏。
相手チームがようやく潮崎を攻略し始め、遅いフォークが狙われた。彼女の球種では一番変化が少ない変化球だ。
配球を読まれたのか、先頭の5番がライト前ヒットで出塁。6番が送りバントを決めて、1アウト二塁
さらに7番は、粘って球数を投げさせた後で、しぶとく食らいついてレフト前ヒットで1アウト一・三塁となる。
8番バッター。当然、下位打線であり、本来なら警戒すべき相手ではない。
だが、強豪校のレギュラーの矜持か、それとも実力か、強い当たりのショートバウンドを放った。
逆シングルを突いていた。ただでさえ難しい逆シングルの当たり。守備に慣れてきたとはいえ、石毛には難しい当たりだった。
そのショート、石毛がグラブからボールを弾いた。ボールはてんてんと外野へ。
サードランナーが悠々とホームインし、同点に追いつかれる。タイムリーエラーとなる。
(やはり守備では負けるか)
今さらながらも、強豪校との差を痛感することになる。
続く9番をセカンドゴロのゲッツーに仕留めて、何とかしのぎ切ったが、戻ってきたピッチャーの潮崎が、肩で息をしているように見えた。
相手は球数を投げさせる戦略を取っており、すでに110球を越えていた。
「まだまだ投げれます!」
本人に聞くと、相変わらず強気な発言が出てくるが、明らかに疲労しているのは見て取れた。
仕方がないので、ここでピッチャー交代を決断する。
同時に、相手チームもまたエースの今井の疲労を考えて、2番手ピッチャーを投入する。
8回表。
その2番手ピッチャーは、速球と緩いカーブ、小さく変化するスライダーが武器の右ピッチャーだったが、初めて対戦する相手に翻弄され、3番からの好打順にも関わらず、3番の辻、4番の清原が凡退。
2アウトランナーなしで、5番の石毛を迎える。
前回の試合で、剣道の間合いを生かして、特大ホームランを放った彼女が、意外な動きを見せる。
粘っていた。ボール球を見極め、打ち気にはやることもなく、しっかりと引きつけて粘った後の8球目。
甘く入った外角高めのスライダーだった。
―ガキン!―
鈍い金属音が響く。
「レフト!」
相手チームのキャッチャーが叫ぶ中、打球はレフトの頭上を襲っていた。前回の完璧な当たりには及ばないものの、大きな放物線を描きながら、打球がぐんぐんレフト方向に伸びていた。
そして、運良くこの球場は両翼が短い91メートルだった。まるで一昔前の球場のようだ。
それが幸いして、レフトスタンドにボールが飛び込む。
ソロホームランだった。
「ナイバッチ! 石毛さん!」
「英梨ちゃん、やる!」
2試合連続のホームランを放った石毛が長打力の兆しを見せ始めた気がしていたが、両翼の狭さに助けられたホームランでもあった。
これで2-1。試合の流れはこちらに来る、と思っていたのだが。
勝負は最後までもつれることになるのであった。
その裏の8回裏。
相手は1番からの好打順。代わったピッチャーの羽生田は相変わらず制球が悪く、連続四球を出して、3番には甘いストレートを狙われて、ヒットを打たれ、ノーアウト満塁で4番を迎える。
後で思えば、ここは敬遠すべきだった。
4番は、ネット配信の動画で見た通り、強烈なスイングを誇る3年生の藤井ことりという内野手だった。右投左打の強打者だ。
身長が170センチはあり、筋肉質で大柄な体躯で、セミロングの髪をしていた。
彼女は、まさに「全国クラス」の実力者だった。
キャッチャーの伊東と内野陣がピッチャーの羽生田の周りに集まり、声をかけた後、いよいよ対決が始まる。
初球は緩いカーブがストライクゾーンから相手に当たるくらいの内角に入り、藤井がのけぞってボール。強気な球だった。
2球目は高速のスプリットがストライクゾーンに入るも、相手はバットを振らずに見送る。
1ボール1ストライクの3球目。
恐らく狙っていたのだろう。
羽生田の110キロを超える速球が、高めに入っており、正面から叩かれた。
―ガン!―
それはまるで、ボールを叩くというよりも金属を叩いたような音だった。
猛烈なスピードでフルスイングしたバットが、芯を捉えていた。
センターの笘篠が下がる。
打球は長打シフトを敷いていた外野陣の頭を越えて、強烈なスピードのままスタンドに向かって一直線に伸びていた。
センターと共にレフトの平野も必死に追いかけるも。
無情にもバックスクリーン左側のスタンドに吸い込まれた。
グランドスラム。つまり満塁ホームランだった。
「藤井! サイコー!」
「藤井さん! ナイバッチ!」
一塁側スタンドに陣取っていた、花崎実業の吹奏楽部のブラスバンドが派手な音を奏で、補欠の野球部員たちが狂気している。
完全に作戦ミスでもあったが、俺は藤井というこの選手の力を見誤っていたことを後悔する。一点を献上してでも敬遠にすべきだった。
あの映像で見た、恐ろしいほどのスイングスピードと技術は、やはり油断できなかった。
得点は一気に5-2。
相手チームに流れが行っていた。